年を取ると誰もが嫌いになるもの

黒坂岳央です。

年を取ると、誰しも嫌いになるものがある。

よく言われるのは「頑固になった」「新しいものを受け入れなくなった」という話だ。それ自体は起こりやすいが、より普遍的で誰にも起こりやすい現象がある。

それは「カオスへの耐性」である。より厳密に言えば、「不快な刺激への許容度が下がる」という現象が起きるのだ。若い頃、多くの人でごった返して騒がしい場所を好む人は少なくない。いわゆる「都会の刺激」である。だが、年を取るに従って静かな場所を好むようになっていく。

そしてこれは日本人だけで起きている現象ではない。元々、このテーマ自体、英語圏のSNS投稿で話題になっているものが着想の起点となっている。

Edwin Tan/iStock

年を取ってうるさいものが苦手に

筆者は上京した直後、たくさん友達が出来て彼らによく遊びに誘われた。ある時、六本木で開催されたインターナショナルパーティーに誘われ、喧騒の中で人生で始めて音楽に合わせて踊るということをした。

そこにはたくさんの面白い人間がいた。外国人もテンションが高く、みんなで酒を飲んで大騒ぎをした。帰り道、地味なお上りさんに過ぎない自分がなんだかイケてる都会人になった気がした。

だが、今ではそうした騒がしい場所、過密の場所がとても苦痛になってしまった。筆者の家は元々、防音に強い仕様だが、どうしても気になる外部からの音を完全に遮断するために先日、追加の防音工事を施した。

今はとにかく「静寂」を好む体質になっている。だから住む場所も「都心一等地のアクセスのいい場所」ではなく「静かな住宅街」を選んだ。仕事や勉強は静かな図書館やカフェよりも、防音工事をした自宅こそが最高に捗る。

自分はサラリーマンでないというのもあって、「アクセスの良さより静寂さ」優先である。仕事で東京へいくと、昔はついでに観光へいったり、都会の喧騒を楽しんだが今ではホテルにこもって書き物をしたり、書店で本探しをするという過ごし方だ。

これは加齢による劣化ではない。実は感度の最適化という見方もできる。

ドーパミンの減衰

若い脳は新奇な刺激にドーパミンで反応する。騒音、混乱、予測不能な状況が「刺激」として快に近い感覚をもたらす。「刺激的でなんだかワクワクする!」という感覚になる。だからクラブやカラオケが楽しく、カオスな環境にいても消耗しない。

だが、加齢とともにドーパミン系が減衰すると、同じカオスが報酬ではなくコストとして処理される。クラブが楽しかったのに今は地獄に感じる理由がこれだ。環境が変わったのではなく、脳内の処理系が変わるのだ。

職人が気難しい理由

これは仕事でも似たような事が起きる。若い頃は雑な仕事が平気だった人も、年齢を重ねて気難しい職人のようになっていく。人によっては若い人にダメだしばかりで敬遠されることもある。なぜこのようになるのか?

年齢を重ねて仕事の経験の蓄積により、脳内の予測モデルが精緻になっていくのが理由だ。カオスとは予測誤差の連続だ。若い頃は予測モデルが粗いため、カオスに遭遇しても誤差が小さい。だが仕事に熟達するほど精密なモデルを持つため、誤差のたびに処理コストが上がる。

これは仕事全般に当てはまる。経験を積んだ人間ほど、素人が気にも留めない細部の粗を即座に認識する。営業マンは相手のトークの論理的矛盾を聞き流せなくなり、編集者は文章の接続の甘さに一瞬で引っかかる。料理人は他店の皿の火入れの雑さを客として食べながら感じ取る。これは職業病ではなく、熟達の必然的な帰結だ。

筆者が昔習っていたピアノの教師は「カラオケにいくと音程がズレた歌を聞かされることにストレスを強く感じる。職業病だね」と笑っていた。これもその一例だろう。

これは仕事の精度の基準が上がったために、許容範囲が狭まることを意味する。

付加価値の低い時間を許容できなくなる

さらに年を取ると「価値の低い時間」を我慢できなくなっていく。

筆者は仕事をする上では、常に相手への価値提供にコミットしている。相手は満足してくれているか?成果物は市場価値があるか?そこだけを意識している。

そのため、昔は必死に怒って対応していたアンチコメントや揚げ足取りへの対応をしなくなった。今はそういう攻撃的な空気を感じた瞬間に見ない、読まない、反応しないとルールを決めている。相手に分かってもらおうとか、説得しようなどとは思わないし、怒りもない。ただただ、相手の悪意を一切自分に入れないようにスイッチがオフにするのだ。

これも仕事を長年続ける過程で身についた自動処理のようなものだ。

「審美眼の成熟と老害」の違い

加齢による変化の本質は耐性の低下ではなく審美眼の成熟だ。許容できないものが増えるのは、識別力が上がった証拠でもある。別にこれ自体は悪いことではない。仕事のレベルが上がれば低い仕事を許せなくなるのはそれだけレベルが上がったということでもある。

問題はそこではない。自身の許容度の低下を、相手を動かして解決しようとした時に起きる。これが世間で言う老害の正体だ。「自分が不快なのでお前が俺に合わせろ」となると人から嫌われる。

筆者は相手を動かそうとしない、信用はするが期待はしないスタンスである。そのため、合わないもの、合わない人とは静かに距離を取る。

仮に近所でピアノの音がうるさくてストレスを感じたなら、相手の家のインターホンを鳴らして苦情を言う代わりに、自分の家に防音工事をするだろう。

不快なニュースがあったら、コメント欄で文句を言う代わりにキーワードでミュートする。問題の所在が自分の感度にあるなら、解決も自分側で完結させるべきだと考える。

審美眼が育った分だけ、自分の環境を自分で整える。それが年を取ることの、悪くない側面だと思っている。

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働き方・キャリア・AI時代の生き方を語る著者・解説者
著書4冊/英語系YouTuber登録者5万人。TBS『THE TIME』など各種メディアで、働き方・キャリア戦略・英語学習・AI時代の社会変化を分かりやすく解説。

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