キリスト教会では24日、ペンテコステ(聖霊降臨祭)を迎えた。イエスの生誕のクリスマスと復活のイースターと共に、ペンテコステはキリスト教会にとって最も重要な祝祭だ。新約聖書の「使徒行伝」第2章3~4節によれば、ペンテコステの日曜日は、イエスの母マリアと弟子たちがユダヤ教のシャブオット祭のためにエルサレムに集まっていた時、聖霊が「天からの轟音」として降臨した。「突然、激しい風が吹くような音が天から聞こえ、彼らの座っていた家全体に満ちた。彼らは、炎のような舌が分かれて、一人ひとりの上に留まるのを見た。すると、彼らは皆聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、異なった言葉で話し始めた」と記されている。

エル・グレコの「聖霊降臨」(1596~1600年)、ウィキぺディアから
彼らは突然、さまざまな言語で自発的に話すことができ(異言=グロソラリア)、その場にいた全員がそれぞれの母語でそれを理解できた。この出来事は、福音の世界的な広がり、ひいてはキリスト教共同体の誕生の最初のきっかけと考えられている。ペンテコステはイースターから50日後に祝われる。ちなみに、ペンテコステという言葉はギリシャ語の「Pentekost」に由来し、「50」を意味する。第2バチカン公会議(1962~65年)以降、聖霊降臨祭は「復活祭の第8主日」として、復活祭の完成と確証として祝われるようになった。
イエスの弟子たちは宣教の道具として、奇跡的に多くの言語を理解できるという賜物を受けた。この「ペンテコステの出来事」あるいは「ペンテコステの奇跡」は、キリストを信じた、そして今も信じるすべての人々の共同体としての教会の創設のきっかけとなった出来事、いわば教会の「誕生日」と考えられている。聖書は聖霊を、人生のあらゆる領域における創造的な力という。教会の教義によれば、聖霊はイエス・キリストの人格、言葉、そして働きを生き生きと保つために世に遣わされた賜物だ。ペンテコステ(聖霊降臨祭)の翌日である月曜日はPentecost Mondayと呼ばれ、多くのキリスト教国では祭日だ。
興味深い点は、ペンテコステの異言の奇跡は旧約聖書のバベルの塔の物語(創世記11章1-9節)と関連があることだ。バベルの塔の話は、天に届く塔を建てようとした人間の傲慢さに対する神の罰として言語を混乱させられた話だ。「バベルの塔」と「ペンテコステ」(五旬節)は、聖書において「人間の言語」を介して対をなす、正反対の物語(表裏一体の関係)として捉えられている。キリスト教神学では、ペンテコステは「バベルの塔の呪いや混乱が解消された出来事」と解釈される。
バベルの塔
神による言語の「分断」、旧約聖書(創世記)の物語だ。 人類は天まで届く塔を建て、神に並ぶ名声を得ようとした。人間の傲慢さへの神の処罰として、当時、世界中の人間は同じ一つの言語を話していたが、神は人間の傲慢さを崩すため、彼らの言葉を混乱(バベル)させ、互いに意思疎通ができないようにした。その結果、人々は理解し合えなくなり、建設は中断され、世界中に散り散りになった。
ペンテコステ
新約聖書(使徒行伝)の物語だ。 イエスの復活から50日後、弟子たちが一緒に集まっていると、突然、激しい風のような音が天から響き、舌のようなものが炎のように分かれて一人びとりの上にとどまった。すると一同は聖霊に満たされ、他国のさまざまな言葉(外国語)で語り出した。 世界中からエルサレムに集まっていた人々はあっけに取られ、「生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとはどうしたことか」と驚き惑った。
結論
「バベルの塔」は、人間が神に近づこうとして言葉が通じなくなり、人類がバラバラになった悲劇だ。一方、ペンテコステでは、神は聖霊を降臨させ、言葉の壁を越えて人々の心を再び通わせ、一つにされた。そのため、ペンテコステは「逆バベル」とも呼ばれるわけだ。
ところで、新約聖書「ルカによる福音書」第23章43節によると、イエスは当時、全ての人間が、最後まで誰も信じてくれなかった中で、自分を信じてくれた、たった一人の十字架の同伴者であった強盗に、「よく言っておくが、あなたきょう、私と一緒にパラダイスにいるであろう」と述べている。「天国」ではなく、「楽園にいるだろう」と約束しているのだ。
イエスは伝道を開始した直後、天国は近づいたと述べていたが、十字架の道に行かなければならなくなった結果、「天国」ではなく、「楽園」と言っているのだ。なぜだろうか。十字架の救済でメシアとしてのイエスの使命が成就したのであれば、どうして再び降臨しなければならないのか、等々の疑問がつきまとう。
聖霊の恵みを得た聖パウロすら「私は、内なる人として神の律法を喜んでいるが、私の肢体には別の律法があって、私の心の法則に対して戦いを挑み、そして肢体に存在する罪の法則の中に、私を虜にしているのを見る。私はなんとみじめな人間なのだろう」と慨嘆している(「ローマ人への手紙」第7章22節~24節)。人類は”第2のペンテコステ”を待たざるを得ないのだろうか。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2026年5月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。







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