このコラム欄でも一度書いたが、ナラティブ(narrative)という言葉を最近、耳にする機会が増えてきた。人工知能(AI)によると、ナラティブは、情報を伝えるだけでなく、人々の心に響き、行動を促す物語の力を現代社会で活用する概念だ。客観的な事実を羅列したストーリーとは違い、ナラティブは主観的な意味や感情、価値観が加わったものだ。科学関連情報を発信する動画「PIVOT」で脳科学者の茂木健一郎氏は「ナラティブは現在、軍事力以上に大きな影響がある」という趣旨の話をしていた。また、社会学学者が「社会の活性化には失った神話の復権が必要だ」と主張していたことを思い出す。

高市早苗首相、施政方針演説の中で「国会において、皇室典範の改正に向け、安定的な皇位継承等の在り方に関する議論が深まることを期待する」と語る。2026年2月20日、首相官邸公式サイトから
ところで、日本では皇位継承について、皇位問題の専門家や政治家から様々な意見が聞かれる。読売新聞が皇位継承について連載インタビューを掲載しているが、その中で自民党の小林鷹之政調会長が「初代の神武天皇から126代にわたり、様々な過程を経ながらただの一度も例外なく男系による皇位継承・・」という趣旨の発言をされたという。それに対し、アゴラ言論プラットフォームの池田信夫代表は「皇位継承は神話ではなく、史実に基づいて議論をしよう」と述べられていた。池田氏によれば、「126代全て男系天皇だった」というのは「神話」であって「史実」ではない、というのだ。
ただ、どの国の建国の話にも程度の差こそあれ味付けされた話、「神話」が加わっている。歴史が長い国であればあるほど、その国の建国を史実だけで記述することは難しい。特に、建国当初の話となれば猶更だろう。イスラエルの建国の話の土台となる、旧約聖書「出エジプト記」の話は今日、「イスラエル人のカナンへの出エジプトは史実ではなかった」という主張が聞かれ出しているのだ。
日本の建国の物語は、「古事記」や「日本書紀」に記された神話に基づいており、初代天皇である神武天皇が橿原(かしはら・現在の奈良県)の宮で即位したことが始まりとされている。神武天皇が初代天皇として即位したのが、紀元前660年の1月1日(旧暦)とされている。この日を現在の暦に換算した2月11日が、現在の国民の祝日である「建国記念の日」となっているわけだ。
いずれにしても、126代の天皇の歴史は大きな物語(メタナラティブ)だ。初代・神武天皇から現在の第126代の天皇陛下に至るまで、一度も血統が途切れることなく、一つの同じ系統(男系)で天皇の位が受け継がれてきた、という「万世一系」の話は文字通りグランドナラティブだ。
ただし、「万世一系」は史実ではなく、メタナラティブだ。史実は歴史の流れの中で変色することがあるが、物語は変わらない。その話を受けいれればいいだけだ。検証は必要ではない。神武天皇は「天照大神の末裔」とされているため、歴代の天皇はすべて神々の血を引いていることになる。すなわち、天皇の系譜は神話から始まり、それが今日まで続いていることになるのだ。
少々独断気味だが、共産主義の歴史観は本来、物語であって史実に基づいてはいない。「歴史は階級闘争を経て、最終的に平等な共産主義社会へと発展していく」という物語だ。それを共産主義者たちは強引に「歴史の必然」と受け取り、「信じる」だけではなく、それを実行に移していった。20世紀のフランスを代表する哲学者ジャン=ポール・サルトル(1905~1980年)が好んで語ったアンガージュマン(社会参加)だ。革命だ。
諸外国では、戦争やクーデターによって王朝(支配者の家系)が交代することが歴史上何度も起きた(例:中国の易姓革命、イギリスの王朝交代など)。しかし、「万世一系」の日本では政権を握る者(藤原氏、平氏、源氏、徳川幕府など)が時代ごとに変わっても、天皇の位そのものを奪って自ら天皇になる者は現れなかった。権力者は常に「天皇から国家の統治を任される(任命される)」という形式をとったため、世界でも類を見ないほど長く一つの天皇系が続くことになった。
繰り返すが、「万世一系」は史実ではなく、物語だ。物語には革命はいらない。ただ、それを信じ、継承することだけが重要となるのだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2026年6月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。







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