旧宮家を皇室の養子に迎える皇室典範の改正案が決まり、8日にも発表される予定です。国会で議論しないで、秘密会で「神武以来126代の男系の皇統」を継承する異例の法案は実現するのか。日本人にとって天皇とは何か。あらためて考えます。
【目次】
- 00:01 オープニング:「旧宮家の養子案」とは何か?
- 02:26 なぜ無理な養子案が出てきたのか?(女性天皇阻止の思惑)
- 04:36 法律面の大きな壁:憲法14条(法の下の平等)との整合性
- 09:52 「男系男子」は本当に日本古来からの伝統なのか?
- 13:18 神話を現実の制度に持ち込む矛盾・歴史学から見た「天皇制」
- 17:52 高まる「愛子天皇」待望論と、世論と国会での議論のズレ
- 19:16 WBC観戦などから読み取れる、天皇皇后両陛下の「ご意思」
- 22:54 皇位継承者がいなくなる危機:将来、日本が共和制になる?
- 25:04 丸山眞男が危惧した「天皇問題への思考停止」とタブー意識
- 28:15 過去の「旧皇族」の実態と、民間から皇族に復帰するハードルの高さ
- 29:30 譲位(生前退位)の歴史と、読売新聞の「女系天皇」に関する言及
- 34:16 まとめ:愛子大統領制の可能性!? 国の形をオープンに議論すべき
【出演】
島田裕巳(宗教学者)
池田 信夫(アゴラ研究所所長)
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コメント
記事の指摘は鋭い。
この文章を読むために、まず大事な言葉をいくつか説明します。むずかしそうに見えても、ここを読めば、あとは楽に読めます。
**男系(だんけい)**
天皇の「お父さんの方の血すじ」をたどることです。たとえば、ある人のお父さん、そのまたお父さん……とずっとさかのぼっていって、その先に天皇がいる場合、その人は「男系」です。大事なのは、本人が男の人か女の人かは関係ない、ということです。お父さん側の線でつながっていれば、女の人でも「男系」になります。
**女系(じょけい)**
反対に、「お母さんの方の血すじ」でしか天皇とつながっていないことです。お父さんをたどっても天皇に行きつかず、お母さんをたどると天皇に行きつく場合、それが「女系」です。
**女性天皇(じょせいてんのう)と女系天皇(じょけいてんのう)はちがう**
ここがいちばん大事なポイントです。
・「女性天皇」=天皇になった人が女の人、というだけの意味。
・「女系天皇」=お母さん側の血すじだけで天皇とつながっている天皇。
日本の歴史に「女性天皇」は何人もいました。でも「女系天皇」は、これまで一人もいませんでした。この二つをごちゃまぜにすると、話がまちがってしまいます。
**後宮(こうきゅう)**
天皇のおきさきたちが住んでいた、御所(ごしょ)の奥のへやのことです。
**摂関政治(せっかんせいじ)**
平安時代に、藤原(ふじわら)氏という有力な貴族が、自分のむすめを天皇のおきさきにして、生まれた子(次の天皇)の「お母さん側のおじいちゃん」になることで、強い力をにぎった政治のやり方です。
**外戚(がいせき)**
天皇から見て、「お母さん側の親せき」のことです。
**継体天皇(けいたいてんのう)**
今からおよそ1500年前(6世紀ごろ)の天皇で、実際にいたことがほぼ確実とされる、古い時代の天皇です。
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## 反論の本文
### もとの記事は、何を言っているのか
ある記事は、こう主張しています。
「平安時代の後宮は、中国などのように外の人が入れないへやではなく、貴族の男たちが出入りする、明るいサロン(社交場)のような場所だった。だから昔の日本人は、父方の血すじにそんなにこだわっていなかった。男系で天皇をつぐというルールは、本当は明治時代に作られた新しいものにすぎないのだ。」
しかし、この主張にはいくつもの大きなまちがいがあります。
### まちがい① 「後宮が開放的だった」というイメージは大げさ
たしかに平安時代は、貴族の男の人が宮中に出入りし、『源氏物語』のような文学が生まれました。でも、天皇のおきさきが住む後宮のいちばん奥は、男の人が自由に入れる場所ではなく、夜の見はりや女官(じょかん)による管理がきちんとありました。
「貴族の男が自由に出入りして、恋がうずまいていた」というイメージは、『源氏物語』のようなお話(フィクション)の世界と、本当のしくみをごちゃまぜにしたものです。
### まちがい② 「場所が開放的=血すじを気にしない」というのは話が飛びすぎ
仮に後宮が少し開放的だったとしても、それは「父方の血すじを気にしなかった」ことにはなりません。むしろ昔の日本は、「だれの子か(お父さんがだれか)」をものすごく大事にしていました。
これがよくわかるのが摂関政治です。
藤原氏は、自分のむすめを天皇のおきさきにして、その子が次の天皇になることで力をにぎりました。ここで考えてみてください。もし本当に血すじなんてどうでもよかったのなら、藤原氏は回りくどいことをせず、自分が天皇になればよかったはずです。あるいは、天皇のむすめ(皇女)を藤原氏の男とけっこんさせ、その子(藤原氏の子)を天皇にすればよかったはずです。
でも、藤原氏も、そのあとの平氏(へいし)も、源氏(げんじ)も、足利(あしかが)も、織田(おだ)も、豊臣(とよとみ)も、徳川(とくがわ)も、どんなに強い力を持っても、だれ一人として自分が天皇にはなりませんでした。
それは、「神武(じんむ)天皇から続く父方の血すじ(男系)を引く男子でなければ、天皇になる資格はない」という、とても強いルールがあったからです。後宮が開放的だったのは、お母さん側の親せき(外戚)が力をにぎるための「ぶたい」だっただけで、父方の血すじを大事にする気持ちは、しっかり土台にあったのです。
### まちがい③ 女性天皇と女系天皇をごちゃまぜにしている
記事は「昔は女性天皇がいたから、男女の区別はゆるかった」と言いたいようです。でも、ここに大きなあやまりがあります。
日本の歴史には、推古(すいこ)天皇から後桜町(ごさくらまち)天皇まで、何人もの女性天皇がいました。けれど、その全員が、お父さんをたどると必ず天皇に行きつく「男系の女性」でした。
たとえば、
・推古天皇は、欽明(きんめい)天皇のむすめ。
・持統(じとう)天皇は、天智(てんじ)天皇のむすめ。
・元明(げんめい)天皇は、天智天皇のむすめ。
みんな、お父さん側が天皇の血すじなのです。そして、多くの女性天皇は「ふさわしい男子が小さくて、まだ天皇になれないあいだ、一時的に中継ぎとして即位した」だけでした。
もし本当に父方も母方も区別しない社会だったなら、藤原氏の男と皇女のあいだに生まれた子が天皇になっていてもいいはずです。でも、そんな例は一つもありません。つまり「女性天皇がいた」ことは、「女系天皇がいた」こととは全然ちがうのです。
### まちがい④ 継体天皇こそ、男系へのこだわりの証拠
記事は「今の天皇家は継体天皇あたりから始まる。だから、それより前は本当の伝統といえるか疑わしい」と言います。
ところが、この継体天皇のお話こそ、「父方の血すじ」をどれだけ大事にしていたかを示す、いちばんの証拠なのです。
当時、武烈(ぶれつ)天皇があとつぎを残さずに亡くなりました。困った人たちは、わざわざ遠い福井県あたりにいた地方の人を、新しい天皇としてむかえました。それが継体天皇です。なぜ、そんな遠くの人を選んだのか。それは、その人が「応神(おうじん)天皇の5代あとの子孫」という、ものすごく細い父方の血すじを引いていたからです。
もし血すじなんてどうでもよかったなら、近くにいる有力な人や、お母さん側でつながる人を選べば、よっぽど楽だったはずです。それなのに、遠くまで「父方の血すじを引く男子」をさがしに行った――これは、1500年も前から「父方の血すじでなければ天皇になれない」というルールが、しっかりあった証拠なのです。
### まちがい⑤ 「明治の作りもの」という言い方の問題
たしかに、「天皇は男系の男子がつぐ」と法律の文章にはっきり書かれたのは明治時代です。でも、「文章に書かれた時期が明治」だからといって、「中身が明治に作られた」わけではありません。
たとえば、親子の関係や、ものを受けつぐ(相続する)しくみが法律にきちんと書かれたのも明治のころですが、親子という関係そのものは大昔からありましたよね。それと同じで、男系で天皇をつぐという考えは、ずっと昔から続いていたものを、明治になって文章にしただけなのです。
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## まとめ
この記事のいちばんの問題は、**「女性天皇がいた」ことと「女系天皇がいた」ことをごちゃまぜにしている**ことです。歴史上の女性天皇は、みんなお父さん側をたどれば天皇につながる「男系の女性」であり、お母さん側だけでつながる「女系天皇」は一人もいませんでした。
これから「女性天皇や女系天皇を認めるべきかどうか」を話し合うのは、もちろん大切なことです。でもそれは、「昔から男系で続いてきた歴史なんて無かった」とウソをつかなくても、ちゃんと話し合えることなのです。歴史は歴史としてただしく見たうえで、これからどうするかを考える――それが大事だ、ということです。