
Igor Kutyaev/iStock
前回、AIを「見破る」競争は問いを取り違えている、と書いた。問うべきは真贋ではなく、書き手が本当に分かっているかである。これは試験の話にとどまらない。同じ地殻変動が、いま書籍の世界で起きている。

私の経験から断言できるのは、AIの出力の質は、使い手の元知識の深さで決まるということだ。元知識がなければ、AIの論理破綻も、指示の無視も、根拠のない断定も見抜けない。判断できない者がAIに丸投げした文章は、たいてい同じ顔をしている。
これから書くのは統計ではない。日々原稿に向き合う者の実感である。だが、その実感には根拠がある。私は文章のAI傾向を測る、自分なりの基準を持っている。いくつか挙げよう。
問題提起から解決、大団円まで一直線に進み、伏線がすべてきれいに回収される。登場人物の口調やトーンが似通い、誰も不快なことを言わない。葛藤が「気づき」だけで解け、犠牲も代償もない。比喩は「〜のような」という直喩ばかりで既視感があり、固有名詞に乏しく、誰も反対しない安全な価値観に着地する。
整いすぎて、痛みがない。これがAIに書かせただけの文章の手触りだ。
そして、これは教育だけの話ではない。最近は書籍も、AIで作られたものが増えた。著者が一ミリも書いていないと分かる本が、現に棚に並んでいる。
流行りの言葉を表紙に冠しただけの便乗本、ネット記事を体裁よくまとめ直しただけのノウハウ書——誰が書いても同じ顔をした本である。読者は思いのほか、その手触りに気づく。読み進めるうちに、中身が薄いことを感じ取るのだ。
ここに、本が売れない理由の一つがある。物価が上がり、可処分時間が削られるなかで、人はますます財布の紐を締める。そのとき、AIで作れる程度の本は、AIで作れる時点で買う理由を失う。
同じ程度のものを、読者は無料で手に入れられるのだから。本が売れないと嘆く前に、その一冊が、書き手の知識と経験と思考の宿った、その人にしか書けないものになっているかを問うべきだ。著者の顔が見えない本に、千数百円という身銭を切る人はいない。
逆に言えば、活路もそこにしかない。一次情報にあたる。現場に足を運び、当事者に会い、数字の出どころを自分で確かめる。そうして自分の頭で考えた痕跡——それこそが、これからの本の価値になる。AIを道具として使いこなすことと、AIに書いてもらうことは、まったく別物だ。前者は書き手を拡張し、後者は書き手を消す。
AIを見破る技術は、これからも進歩するだろう。だが本当に必要なのは、AIに見破られても揺るがないもの——AIには代えられない、書き手その人の中身である。検出器が問うのは文章の出どころにすぎない。読者が問うのは、いつだって中身である。
尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)
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