皇位継承をめぐる議論で驚いたのは、国民も政治家もほとんどの人が「万世一系」とか「男系の皇統」という明治時代の話をまだ信じていることだ。これは天皇が戦後もずっとタブーになり、天皇の正統性にかかわる問題を避けてきたためだろう。
河内春人
中央公論新社
2026-05-22
★★★★☆
しかし歴史学では、日本書紀を根拠にして史実を語るわけにはいかない。特に1990年代以降、考古学の発掘が進んで、古墳時代の王権については従来のイメージが大きく書き換えられた。本書はその成果を歴史学の立場からまとめたものだ。
まず継体天皇(在位507~531)という諡号は8世紀につけられたものであり、存命中の名前はオホド(男大迹)だった。天皇という称号を名乗ったのは天武天皇が最初で、それまではオオキミとかスメラミコトなどと呼ばれた。
その継承も当初は複数の地方豪族の回り持ちで、合議で決まった。継体も、その先代の武烈(オハツセノワカサザキ)と血統がつながっていない。日本書紀は「応神の5代孫」とか「垂仁の女系の8代孫」とか書いているが、その中間が抜けている。

日本書紀には「万世一系」などという概念はないので、武烈で王朝は絶え、継体で新王朝が始まったという扱いだ。したがって神武以来の「男系の皇統」も存在しない。それどころか、オオキミの世襲は継体から始まったのだ。
以上は歴史学では常識で、事実関係に争いはないが、継体を歴史の中でどう位置づけるかは議論がある。従来は地方豪族の連合体だった武烈までの王権が行き詰まり、北陸から継体をまねいて新しい王朝が始まったといわれているが、本書は武烈は架空の人物だったという。
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