イラン国営IRNA通信(英語版)のヴェヴィサイトを開くと、「テヘランのシナゴーク(会堂)でホメイ二師没後37年の追悼集会が開催された」という記事が目に止まった。「テヘランのシナゴーグで・・」と少し懐疑的になったが、イラン学生通信社(ISNA)でも同じ記事が掲載されていた。どうやら事実らしい。それにしても「米イスラエル軍と戦闘中のイランで、それもユダヤ教のシナゴーグでイラン革命の主人公ホメイ二師の死後37年目の追悼集会が開かれた」ということにやはり新鮮な驚きを感じた。

ホメイ二師の追悼集会を挙行するテヘランンのシナゴーグの風景、IRNA通信
イラン専門家によると、イランのユダヤ教コミュニティがイラン革命の指導者ホメイ二師の追悼集会を開くには2つの理由が考えられるという。一つはイラン当局からの政治的要請に基づいているという。イランではイスラム教以外の宗教(ユダヤ教、キリスト教、ゾロアスター教)も憲法で公式に認められている。追悼集会を公式メディアで大々的に報じることで、「イランは反ユダヤ主義(ユダヤ人差別)ではなく、反シオニズム(イスラエル国家の現体制への不服従)である」という政治的メッセージを世界にアピールし、宗教的多様性を誇示する狙いがあるからだというのだ。
もう一つの理由はイランのユダヤ教コミュニティの生存戦略という。今年の集会は、2026年2月に米イスラエル側の攻撃で死亡した第2代最高指導者アリ・ハメネイ師への哀悼と、新指導者モジタバ・ハメネイ師への忠誠と連帯の表明という非常に強い政治的意味も含んでいる。ユダヤ人コミュニティが反体制やイスラエル擁護とみなされれば、スパイ容疑などの重罪に問われるリスクがあるため、自発的というよりは「身を守るための安全弁」として行事に従事せざるを得ない側面があるというのだ。かなり説得力のある解説だ。
イスラム教シーア派の盟主イランに住むユダヤ教徒の実情を少し振り返る。イランには、イスラエルと米国を除くと中東で最大規模のユダヤ人コミュニティ(約8,000~25,000人規模)がある。その動向には明確な「二面性」があるという。イラン議会には、ユダヤ人コミュニティのための専用の固定議席(1議席)が憲法で保障されている。首都テヘランをはじめ、各地に複数のシナゴーグ、コシェル(ユダヤ教の戒律に沿った)肉屋、ユダヤ系学校、図書館が存在し、日常の礼拝は認められている。
その一方、イランのユダヤ人指導者や議員は、コミュニティを守るため、常に「私たちはユダヤ教徒であって、シオニスト(イスラエル支持者)ではない」と公式に明言する。 毎年恒例の「エルサレムの日(世界アル・クッズ・デー)」などの反イスラエル官製デモや、イラン軍の対イスラエル軍事作戦の際には、ユダヤ人コミュニティ全体で支持表明を出したり、パレードに積極的に参加する。国内のユダヤ人にとっては「現体制への絶対的忠誠を示すことで、コミュニティの安全と生存を確保する」ための不可欠な政治的処世術というわけだ。
多分、今年は違うだろうと推測せざるを得ない。最高指導者アリ・ハメネイ師がイスラエル軍の空爆で殺害され、多くの指導者も犠牲となった。”イスラエル憎し”が非常に高まっている時だからだ。
イランにおけるユダヤ人への迫害は、ホロコーストのような「物理的な強制収容や大量虐殺」といった形態ではないが、国家制度による構造的な差別、スパイ容疑による逮捕・処刑、そして近年の軍事緊張や最高指導者交代に伴う強力な「踏み絵(忠誠の強制)」という形で、極めて具体的な迫害と圧迫が昨年以上に強まってきている。西側のイラン専門家は「2025年半ばのイスラエルとの軍事衝突、および2026年2月のハメネイ師の死亡の前後で、彼らを取り巻く環境は寛容のポーズから抑圧へと急激に悪化している」と証言する。イランのムラ―政権下では、ユダヤ人は公式に「二等国民」扱いにさらされている。
2025年のイスラエル軍によるイラン本土空爆、そして2026年2月のハメネイ師死亡という国家の緊急事態を受け、イラン当局は体制維持のために国内のマイノリティ(少数派)への締め付けを強化している。情報漏洩の犯人として国内のユダヤ人やバハーイー教徒などのマイノリティに矛先を向けている。イスラエルへの内通者容疑だ。人権団体の報告によると、イスラエルとの衝突以降、テヘランやペルシャ帝国発祥の地シラーズに住む35人以上のユダヤ人指導者や市民が、治安当局に連行・尋問された。当局からは「海外(イスラエル)の親族と一切連絡を取るな」と激しい脅迫を受けている。
世界のディアスポラのユダヤ民族は過去、反ユダヤ主義が危険点にまで高まった場合、他国の安全な地やイスラエルに移住・亡命するが、イランのユダヤ教コミュニティでは大量の移住、亡命の話は聞かない。その理由として、「歴史的愛着」「資産の凍結リスク」「移動制限」「高齢化」という4つの現実的かつ切実な理由からイランに留まるケースが多いからだという。
イランのユダヤ人は、現在のイスラエル国家ができる遥か昔、紀元前6世紀のバビロン捕囚の時代からペルシャ(現在のイラン)の地に住み続けている。彼らは自分たちを「ユダヤ教を信仰するペルシャ人」と考えており、言語も文化もペルシャのそれに完全に同化している。また、イラン国内には、旧約聖書に登場する「エステル王妃とモルデカイの墓」や「預言者ダニエルの墓」など、重要な聖地が多数ある。祖先が数千年間守ってきた土地を捨てることへの心理的抵抗が強いという。
また、経済的な足枷がある。出国時には全財産をイラン側が没収するシステムがあるからだ。イランは国際的な経済制裁下にあるため、銀行を通じて海外へ送金することはできない。。不動産は強制没収される。ユダヤ人家族が海外旅行(親戚訪問など)に行く際、「家族全員で同時に出国すること」は基本的に認められない。イスラエルへの渡航は死刑を含む重罪となるため、直行便はもちろん、第三国を経由した移住も極めて高いリスクを伴う。ちなみに、1979年のイスラム革命時に、若者や富裕層の多く(約6万~8万人)は既に米国やイスラエルへ亡命した。現在イランに留まっている層は、当時の移住の波に乗らなかった高齢者が大きな割合を占めていたという。
参考までに、ペルシャ王クロスの話を再度掲載する。イスラエル(ユダヤ人)とイラン(ペルシャ民族)の関係を考える時、非常に啓蒙的な話だからだ。
ペルシャ王クロスはBC538年、ユダヤ民族を解放し、エルサレムに帰還することを助けた話をご存じだろう。ヤコブから始まったイスラエル民族はエジプトで約400年後、モーセに率いられ出エジプトし、その後カナンに入り、士師たちの時代を経て、サウル、ダビデ、ソロモンの3王時代に入ったが、神の教えに従わなかったユダヤ民族は南北朝に分裂し、捕虜生活を余儀なくされた。
北イスラエルはBC721年、アッシリア帝国の捕虜となり、南ユダ王国はバビロニアの王ネブカデネザルの捕虜となったが、バビロニアがペルシャとの戦いに敗北した結果、ペルシャ王国の支配下に入った。そのペルシャ王クロスはユダヤ民族を解放し、エルサレムに帰還することを認めた。
現代のイランの為政者はイスラエルを最大の宿敵と考え、「地図上からイスラエルを抹殺する」と敵愾心を露わにしているが、2550年前、ペルシャ王はユダヤ民族を救った。ペルシャ王のその決断がなければ、その後の「イスラエルの建国」は実現していなかったかもしれない。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2026年6月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。







コメント