AIの哲学入門(14) 日本の伝統は本質より文脈を大事にする「関係主義」

皇室典範をめぐる議論をみると、いまだに「明治の伝統」と「日本の伝統」を混同している人が多い。男系男子の皇室典範は、明治22年に井上毅の発明した儒教の模倣であり、日本古来の伝統ではない。それを「神武以来126代の男系の皇統」などという神話で正統化するから論理が破綻してしまう。

自称保守が語る「日本の伝統」は、しばしば本質主義の形をとる。日本人とはこうあるべきだ。家族とはこうあるべきだ。皇室とはこうでなければならない。そこでは、あたかも日本の歴史を通じて変わらぬ本質が存在するかのように語られるが、日本の伝統はそういうものではなかった。

本居宣長

本居宣長の「やまとごころ」は「たをやめぶり」

この問いを考えるうえで重要なのが、本居宣長である。彼は賀茂真淵の賞賛したますらをぶりを批判した。これは『日本書紀』に代表される雄々しく直線的な精神である。それは儒教的なからごころであり、男性中心の価値観である。

宣長はそれを日本固有の伝統とはみなさず、それにやまとごころを対置した。それがたをやめぶりである。これは『古事記』に代表される女性的で、情緒を重んじる精神である。宣長にとって日本の古層にあるのは、強固な理念や抽象的な正義ではなく、ものに触れて心が動く繊細な感受性だった。

真淵が依拠した『日本書紀』は、対外的に「日本」という国家を意識して編まれた歴史書である。中国や朝鮮半島との関係のなかで、自らを国家として位置づけるナショナリズムの萌芽がある。

他方、宣長が一生かけて全訳した『古事記』には「日本」という国号すら出てこない。そこにあるのは、国家の建国ではなく、神々の誕生、男女の交わり、土地や血縁や祭祀が織りなす物語である。宣長は「日本」という言葉を使わず、「やまと」の世界を語った。宣長の思想を象徴するものとして、よく知られている歌がある。

敷島の大和心を人問はば
朝日に匂ふ山桜花

この歌は戦時中、「大和魂」を鼓舞する言葉として利用されたが、宣長の意図は逆である。「大和心とは何か」と問われたとき、宣長は抽象的な定義を示さなかった。彼が示したのは、朝日に照らされて匂い立つ山桜の花という、きわめて具体的な情景だった。

これを井筒俊彦は、宣長の反本質主義と呼んだ(『意識と本質』)。儒教的な発想は、ものごとの背後にある原理を探ろうとする。人倫とは何か。仁とは何か。天とは何か。世界の秩序を成り立たせる根本原理を抽象的にとらえようとする。

それに対して宣長は、世界の本質を概念で固定するのではなく、具体的なものにふれたとき立ち上がる感情を重視した。これがもののあはれである。それは単なる感傷ではなく、人が世界にふれ、花を見、月を見、人を恋い、別れを惜しみ、そのつど心を動かされる関係である。

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