「そして被害者も加害者もいなくなった」

戦争でも紛争でも被害者がいたならば、通常は加害者もいるはずだ。例えば、ロシアのプーチン大統領が2022年2月末、ウクライナを制圧するために軍を侵攻させた。この場合、ウクライナ側は侵略国ロシアの被害者になる。ロシアはプーチン氏のナラティブを持ち出して特別軍事作戦を宣言したとしても加害者だ。また、パレスチナのガザ地区を実効支配するイスラム過激派テロ組織「ハマス」が2023年10月7日、イスラエルとの境界線を破壊して侵入、音楽祭に参加中のゲストや集団農園(キブツ)を襲撃して1200人以上のユダヤ人らを射殺、251人を人質にした。ハマスの「奇襲テロ」事件の場合、イスラエル側が明らかに被害者であり、ハマスは加害者だ。

アントール・ショーペンハウアー(1859年)、ウィキぺディアから

ロシアのウクライナ戦争もハマスの奇襲テロ事件も被害者・加害者の構図では誰が見ても一目瞭然だが、不思議なことだが、時間の経過と共に被害者・加害者の関係が曖昧になったり、特には逆転する。その最たる例はイスラエル軍のハマスへの報復攻撃後、軍事的に圧倒的に優位にあるイスラエル側が次第に加害者と受け取られ、パレスチナ人が被害者と受け取られてきたことだ。

焦土と化したガザ地区 アルジャジーラより

ちなみに、ドイツの哲学者アルトゥール・ショーペンハウアー(1788年~1860年)は「意志と表象としての世界』第1巻・第63節の中で、”Der Qualer und der Gequalte sind eines.”(責め苦を与える者[加害者]と、責め苦を受ける者[被害者]とは同一だ」と書いている。加害者は「自分は被害を与えているだけで、その苦痛とは無関係だ」と誤解しており、被害者は「自分は悪くないのに、なぜこんな目に遭うのか」と誤解している。「世界全体が苦悩に満ちた地獄であり、私たちは全員が同じ生命の意志の現れ(被害者)であるため、本質的な意味での「独立した加害者』」など存在しない」というのだ。

ショーペンハウアーから離れて、被害者と加害者を考えてみる時、先述したように、紛争があれば、被害者が出てくるが、加害者も存在する。しかし、加害者は犯行後、様々な言い訳や理由を挙げて「自分は戦いに強いられたのだ。自分は加害者ではなく、被害者だ」と考え出す。その結果、加害者は次第に被害者側に移動していく。アガサ・クリスティ(1890年~1976年)流にいえば、「そして誰(加害者)もいなくなった」という状況が生まれてくる。

私たちの内に最高の弁護士が待機しているが、検事はいないから、不祥事が生じたとしても様々な理由などを挙げて、加害者から被害者に変身していく。しかし結局、加害者も被害者も、大元をたどれば「同じ一つの生命の意志」だという境地に辿り着く。ショーペンハウアーの「他者は自分である」という認識は、のちに彼が説く「同苦(憐れみ・コンパッション)」の倫理へとつながり、他者の苦しみを我のことのように感じる道徳の基礎となる。

ところで、現在社会では、事実関係を時間の経過に沿って記述したストーリーより、時間の経過とは関係なく、本人が生きてきた物語(ナラテイブ)が幅を利かしていく。主人公が大悪人であったとしても、そのナラティブはそれを読み、聞く人の関心を呼ぶ。大悪人は次第に被害者側に近づいていく。最近の例は、安倍晋三元首相を暗殺した山上徹也容疑者は日本の元首相を暗殺しながら、メディアの助けもあって次第に被害者のステイタスを享受するようになる。元首相を暗殺した容疑者が加害者から被害者へ変身していくプロセスほど、被害者・加害者の構図を考えるうえで教材となる例はないだろう。

キリスト教関係者は「人間は神の戒めを破り、エデンの園から追放された段階で罪人となったが、悪魔の誘惑に負けて罪人となったという理由で被害者である。その意味で、世界は被害者(罪人)しかいないことになる」と説明する。この場合、加害者は人類始祖のアダムとエバを誘惑した天使長ルシファーということになる。そのルシファーもそのナラティブを聞けば、神の愛から疎外されたと感じたことが悪事の最初のきっかけとなったというのだ。ルシファーもひょっとしたら被害者ではないか、という論理が成り立つ。すなわち、「そして加害者はいなくなった」ということになる。

被害者だけの世界とすれば、どのような世界だろうか。簡単だ。私たちが今生きている世界がその世界だ。もし被害者が絶対多数を占め、加害者が少数派とすれば、時間の経過と共に加害者も被害者に寄り添ってくるという現象が生じてくる。

大多数が被害者であり、その一部は加害者から転身してきた被害者だ。だから、大悪人も被害者のステイタスを得るチャンスは考えられる。「自分は以前は加害者だった」という思いがふつふつと湧いてくる元加害者、現被害者は加害者に同情と連帯が生まれてくる。加害者を一度も経験したことがない被害者は加害者を許すことができないかもしれない。幸い、その数は少数派だ。

いずれにしても、懐疑論者のショーペンハウアーは「加害者も被害者も同一」と悟り、同苦の世界を見出すことで救いの道を見出したわけだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2026年6月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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