黒坂岳央です。
世の中にはさまざまな娯楽がある。酒、ギャンブル、ゲーム、読書、スポーツだ。何を選ぶかは個人の自由だし、路上で安酒を楽しむ人もいれば高級ワインを楽しむ富豪もいて同じ趣味でも、所得や社会的地位は様々だ。
だが娯楽の中には、「やればやるほど貧しくなり、そういう属性の人間が好む」というものが存在する。
それはなにか?「特定の人物を叩く」である。なぜこれが貧しくなる娯楽なのか。持論を述べる。

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他人のダメ出しは安くない
「他人を批判することにコストはかからない」と思われがちだ。スマホで「バカ」と書けばいいだけだ。
しかし、そう感じるのは時間単価が安い人だけである。なぜなら「時間」という社会的地位が高い人が最も敬遠し、それが安い人しか払えないコストがあるからだ。
他人にダメ出しをしている間、自分の人生は確実に止まる。有限な集中力や時間を、自分の市場価値をまったく上げない行為に投下し続ける。下手すれば相手から訴訟されるリスクまである。これを娯楽と感じるのは属性を選ぶだろう。
時間単価が高い人間にとって、このような高くてリターンのないコストはとても払えない。そうした人はそもそも、他人への期待値が低いので、相手をコントロールしようとしない。ゆえに「裏切られた」と感じることがない。だから他人を評価する品評会に参加しないのだ。
「他人と過去は変えられない。変えられないことに時間を使うのはムダ」という思考で動いているのに加え、彼らは謙虚である。「そもそも、自分と相手は対等であり、自分が相手を品定めするなど傲慢」と考える。
これらを考慮すると、他人へのダメ出しに時間を使える人間は、その時間の機会コストが低い人間だということが分かる。
「批判が仕事」への反論
ここで必ず出る反論がある。「批評家やジャーナリストは他人を批判するのが仕事ではないか」とか「そういうお前も経済や社会に批判的な意見を出しているではないか」というものだ。だが両者は似ているようで違う。
構造への批判と、個人攻撃は別物である。たとえば映画評論家は作品の構造・演出・脚本を分析し、読者の意思決定に資する情報を生産する。投資家は経営判断を評価し、自分の資金を賭ける。編集者は原稿を批評し、完成度を上げる。
これらはすべて、批評自体に付加価値が生まれ、それを求める人に大いに役に立つ仕事である。
一方で、SNSで「あの人は終わっている」「あの会社は最悪」と断じる行為は何も生まない。不特定多数の人に付加価値を提供するどころか、聞いていて不快な自分が感じた不満を撒き散らす行為である。
筆者も批判はする。だが、個人を名指しして「あの人はダメだ」ということはしない。自分は人様に点数をつけられるほど高尚な人間ではないし、それをすると嫌われるを通り越して恨まれる。そして誰も得しない。得しないことはやらない。自分が批判するのは構造だ。名指しする時は褒める時限定にしている。
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娯楽の選択は自由だ。だがハッキリいって最もメリットがない娯楽の一つだろうと思える。
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