『高市早苗という病』は日本の大衆の病である

本書はタイトルだけを見ると、高市早苗首相を徹底的に批判する政治本に見える。そういう面もある。新事実の指摘はないが、経歴をめぐる疑惑や「中傷動画」などをめぐる指摘も多い。しかし著者が批判しているのは、高市早苗という政治家ではなく、こういう政治家を生み、支持し、ついには首相にした日本の政治である。

高市早苗という病 (ベスト新書)
適菜収
ベストセラーズ
2026-07-29
★★☆☆☆

「保守政治家」ではなく「保守を演じる政治家」

本書で繰り返されるのは、高市氏を本来の意味での「保守」とみなさない視点だ。伝統や国家、家族、愛国心を強調する一方で、行政文書や制度、言論の自由といった、本来なら保守主義者が慎重に守るべきものを軽視しているのではないか。

著者は高市氏を「右すぎる政治家」と批判しているのではない。むしろ「保守を語りながら、保守が守るべき制度を壊している」という批判である。これは、高市氏をめぐる議論では意外に重要な論点だ。

日本ではいつの間にか、「靖国神社に行く」とか「中国を敵視する」ことが保守政治家の条件のようになった。しかし本来の保守とは、社会に蓄積された制度や慣習を急激に壊さない思想である。その意味で、高市氏は本当に「保守」なのか。

高市氏の経歴をみると、一時期までは「アメリカ帰りのリベラル」を売り物にし、新進党から立候補したこともある。よくも悪くも、右翼的な政治信念はない。彼女の政治的ポーズは、自民党の岩盤支持層にはそれが受けるという計算によるものだ。

「高市早苗という病」にかかった大衆

高市氏は派閥のなくなった自民党の生んだ病である。そこでは党内の政治力学より「選挙の顔」になる強烈な個性が要求され、政策の合理性より誰が味方で誰が敵かが重視される。彼女の敵は「行き過ぎた緊縮志向」を生んだ財務省である。

高市氏の演説は特徴的である。「挑戦しない国に未来はない」とか「成長のスイッチを押して押して押しまくる」といった強い言葉で明るい未来を語る。そんな便利なスイッチがあれば今までに押しているだろう。だが大衆はそこに現状打破を期待する。

だから『高市早苗という病』というタイトルは、半分しか正しくない。高市氏が「病」なのではなく、彼女のような政治スタイルが最も効率よく票と支持を集めるようになった日本社会こそ、本書が診断している患者なのである。

「なぜ高市早苗が首相になったのか」。その問いに対して本書は「高市氏が優れた政治家だったから」でも「国民が愚かだったから」でもなく、日本の政治・メディア・SNSがそういう政治家を選びやすい構造になったからだと答える。

高市氏の毒は日本の象徴

本書には弱点もある。高市氏の言動を「承認欲求」や「自己愛」といった心理的要因で説明しようとする部分だ。政治家が自己演出を行うのは珍しいことではない。選挙政治とは、多かれ少なかれ自分を商品化する仕事でもある。

ここまで人物論に踏み込むと、政治分析というより好き嫌いの議論に近づいてしまう。それがベストセラーになる秘訣かもしれないが、これでは高市氏と同じ「敵・味方」論法である。だがそういう毒も含めて、高市氏は現代日本の象徴なのだ。

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