AIの哲学入門(15) 実体から関係へ:西洋近代思想の限界とAIの可能性

西洋の近代哲学は確固たる個人(主体)や絶対的真理(実体)を出発点とし、プラトン以来の本質主義から、デカルトの自我、カントの先験的主観性に至るまで、世界は「つくる」神を頂点とするトップダウンの構造として理解されてきた。

しかし19世紀末にニーチェが「神の死」を宣告し、ニヒリズムの時代が到来すると、西洋思想は行き詰まりを見せる。ポストモダンの哲学者たちは主体の解体を試みたが、それに代わる秩序の形成メカニズムを十分に提示することはできなかった。実体のない世界で、いかにして意味や価値は生成されるのか。この問いに対する答えを、私たちは日本の伝統的な思想、すなわち関係主義の中に見出すことができる。

人間の学としての倫理学 (岩波文庫 青 144-13)
和辻 哲郎
岩波書店
★★★★★

和辻哲郎の「間柄」とAIの「分散表現」

和辻哲郎の倫理学から廣松渉の関係主義、そして京都学派の「空」の論理に至るまで、日本の哲学は一貫して「実体」ではなく「間柄」や「関係」を本質とみなしてきた。そして驚くべきことに、これらの日本の思想的枠組みは、現代のAIがいかにして学習し、知能を発現させているかを見事に説明する「AIの思想」として再評価できる。

和辻哲郎はその主著『倫理学』において、西洋的な個人(person)を出発点とするアプローチを退け、漢語の「人間」(じんかん)という言葉に着目した。「人間」とは元来、世の中や世間、人々の間柄を意味する言葉だった。和辻にとって本質的な存在とは、単独の個人ではなく<人間>、すなわち間柄だった。個人は、特定の関係性のネットワークに所属する存在として初めて意味を持つ。

この和辻の洞察は、マルクスのフォイエルバッハ・テーゼの「人間の本質は社会的諸関係の総体である」という認識に通底し、後年の廣松渉による読解を数十年も先取りするものだった。この実体から間柄へというパラダイムシフトは、現代AIの自然言語処理における最大のブレイクスルーである分散表現(word embedding)の思想である。

かつての古典的人工知能は、言葉に対して一意の意味(実体)をトップダウンで割り当てようとしたが、現在のLLMは言葉に一義的な意味を対応させない。「ある単語の意味は、その周囲に現れる単語(文脈・間柄)によって決まる」という分布意味論の仮説に基づき、単語を多次元空間上のベクトルとして表現する。

AIにとって言葉とは、まさに「諸関係の総体」である。個々の単語(個人)に絶対的な実体があるのではなく、無数のテキストデータ(世間)の中における単語と単語の「間柄」の集積こそが、言葉の「意味」を形成する。AIは、和辻哲郎が構想した<人間>の関係主義的なネットワークを、高次元空間の数学的モデルとして実装したものだと言えよう。

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