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先に結論を言ってしまう。お金は「不安通貨」になる。
これだけ覚えて帰ってもらえれば、正直それで十分だ。資産が順調に増えている。数字だけ見れば文句なし。なのに、ほっとできない。「もっといい方法があったんじゃないか」——この声、消えない。
「不安通貨」(櫻井かすみ著)Gakken
不安通貨とは何か。不安という感情をまとったまま使われるお金、それが不安通貨だ。お金が足りないから起きるわけじゃない。むしろ逆で、お金という道具に、お金には背負いきれない役割を押し付けているから起きる。
「お金さえ増やせば安心できるはずだ」。この信仰、けっこう根が深い。信じて走り続けた結果、お金が「幸せを生み出す道具」から「不安を打ち消すための道具」にすり替わる。この瞬間、お金は不安通貨に生まれ変わる。
比較のため。正解探しのため。安心を得るためだけに使われ続けるお金。これをどれだけ増やしても意味がない。「足りない」「遅れている」「間違えたくない」——こいつらが燃料になって、不安通貨はどこまでも肥え太っていく。
スーパーの話をしていいか。夕食の買い物中、いつも買う国産の鶏もも肉。カゴに入れようとした瞬間、外国産との値段差が目に入る。100グラムあたり数十円。たかが数十円だ。栄養価も大差ない。頭では分かっている。
なのに、手が止まる。「この数十円、積み上げたら結構な額にならないか」——そんな考えが一瞬よぎって、結局、外国産に手が伸びる。帰り道、節約できたはずなのに、なぜか気分がすっきりしない。
子どもが「友だちとテーマパークに行きたい」と言った時も同じだ。入園料、交通費、食事代——瞬時に頭の中で電卓を弾いて、「その日は予定があるから」と、やんわり断る。本当は、断るほどの金額じゃなかったのに。
これは「金額」の話じゃない。数字だけ見れば、どっちも無理のない支出だ。それでも「もったいないかもしれない」という声が、日常のあちこちにへばりついて離れない。この釈然としなさこそが、不安通貨の正体だと思う。
真の理由は、支出の是非にあるんじゃない。「これで十分だ」と思える基準が自分の中にないこと。それに尽きる。基準がないまま貯金や投資を続けたところで、それは幸せのための行動じゃなくて、不安を打ち消すためだけの行動に成り下がる。一時的にほっとしても、また次の不安が来る。もう、いたちごっこだ。
じゃあ逆はどうか。使って幸せになるお金——幸せ通貨というやつが、ちゃんと存在する。
安心、納得、余白、成長、つながり。そういうものに変換されて、幸せという感情をまとって使われるお金。使った後、心が穏やかになる。選んだ理由を自分の言葉で説明できる。他人と比べなくても納得できている。そういう実感があるなら、それは幸せ通貨だ。
同じ1000円でも同じ1万円でも、感じ方次第で不安通貨にも幸せ通貨にもなる。大きな資産を持つ人でも、たった100円を払うのに「嫌だ」と感じたなら、そのお金は不安通貨。逆に、収入が多くなくても、子どものために1万円を喜んで払えるなら、そのお金は幸せ通貨だ。
金額の大小じゃない。使うときの感情そのものが、この二つを分ける。分かれ道はただ一つ。不安から選んだか、自分の基準から選んだか。それだけだ。今、財布から出ていくそのお金は、どっちの顔をしているだろうか。
※ここでは、本編のエピソードをラノベ調コラムに編集し直しています。
尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)
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