黒坂岳央です。
昨今、「老後の孤独」がニュースで頻繁に取り上げられるようになった。孤独死、独居高齢者の増加、地域とのつながりの希薄化。こうした報道が出るたびに、SNSのリプ欄では「どうすれば高齢になってから友達を作れるか」という議論が起きている。
筆者からの結論としては「仕事や勉強といった挑戦を通じた戦友」だと思っている。逆に若い頃のように表面的な関係性では非常に難しい。これは男女両方あまり関係ないように思える。
逆に何もチャレンジしなければ、中高年から新規で友達を作ることは非常に難しいといえる。

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年を取ると友達ができなくなる構造
大人になってから親友ができにくいのは、人付き合いが下手になったからでもないし、供給がなくなったからでもない。「接点」がなくなるからだ。
学生時代は、毎日長時間同じ場所にいて、将来が不確定で、成功も失敗も共有し、利害関係が小さいという条件がそろっていた。大人は仕事という供給元があるのだが、趣味、住む場所、経済力、価値観がそれぞれ固まり、他人と深く関わる接点が消える。母数は多いのだが、とにかく接点がないから友達ができない。
ここでいたずらに出会いだけを増やそうと思っても効果はない。ジム、地域活動、習い事へいっても、関係性が深まることはない。さらにそういった習い事は続かない。ジムがわかりやすい例で1年以上通い続ける人は5%もいない。最初に顔を合わせた人の約半分が初月で来なくなり、残り90%以上も日を追うごとに姿を消す。
友情は「戦友化」で生まれる
一方で、仕事や資格取得など、明確な挑戦を共有している人間関係は違う。同じ目標に向かって高いストレスを長期間共有すると、人間関係は急速に強固になる。心理学的にも、強い感情を伴う共同経験は対人関係を深めやすいことが知られている。
先日、妻のもとに彼女の中学時代の友人からLINEが届いた。数十年ぶりの連絡である。内容としては相手は中学のバレー部で厳しい練習を共にした仲間で、自分の子供にバレーボールを習わせることになり、お互いの子供も交えてバレーはどうかと誘ってきたのだという。
このエピソードが示すのは、戦友関係は数十年の空白があっても即座に再会できるという点だ。単なるクラスメイト程度なら、数年会わなければ関係は自然消滅する。いざ会っても話すこともない。だが厳しい練習や大会という共同体験を通じて信頼の基盤ができている関係は、空白期間があっても土台が残っている。だからこそ、数十年ぶりでも唐突な誘いが不自然にならない。
シニアから友達を作れる人たち
筆者は時々、東京でセミナーを開催している。その際に毎回起きることは「ネットワーキング」である。
セミナー終了後、懇親会を開くと参加者同士が仲良くなり、あちこちで連絡先の交換をしている。参加者の一人が「自分は英検1級に合格しました」というと、「えっ!?すごい。良かったら勉強会に来てほしくて」と打診をすると「喜んで!」と返していたりする。毎回、あちこちで友達ができているのを目の当たりにする。
厳密にいうとこれは仕事ではなく、英語学習の戦友だが、彼らにとっての英語はまさしく人生をかけたチャレンジなので真剣さが違う。そうなると参加者同士でも、友達がドンドンできているようなのだ。
また、筆者が20代後半から上京してできた友達は、ほぼ100%が戦友である。サラリーマン時代、自分が毎日遅くまで残って仕事をしていたら「疲れた時にどうぞ」とキットカットを置いていってくれる人がいた。「この仕事大変だよね。でも一緒に頑張ろう!」という話になり、他にも人を連れて一緒に飲みに行くなど友達のように仲良くなった。
今はサラリーマンではないが、読者や視聴者の中には応援してくれる人もいる。自分は孤軍奮闘で毎日、頭を悩ませながら戦っているつもりだったが、いつしか「この記事や動画に救われました。応援しています」とか「いつもより再生が増えましたね。嬉しい」とまるで自分のことのように応援してくれる。
発信者と読者や視聴者という関係性なのに、いつしか「一緒にコンテンツの広がりを目指す」と共闘しているような感覚になり、とても仲良くさせてもらっている人もいる。自分はかってに相手のことを「仲のいい友達」のように思っているが、これも戦友を通じた関係性なのだ。
◇
時折、メディアに取り上げられている「シニアからのチャレンジ」みたいなものがある。そこで資格に合格するなど、一定の成果を出した人物は周囲に人が集まっているのが分かる。
世の中には応援されるのが好きな人もいるし、その逆に応援するのが好きな人もいる。仕事や勉強など、何らかのチャレンジを通じた戦友は年齢に関係なく、唯一できる友達ルートなのだ。
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「Z世代を甘やかすな」(著:黒坂岳央)







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