「娘を慶應に入れて商社マンと結婚させたい」願望は単なる父親のエゴなのか

東京大学卒の投資家・信太郎氏が、3歳の娘に望む人生プランをXに投稿し、賛否を呼んだ。

難関の慶應中等部に合格し、大学まで内部進学する。学生時代には留学を経験し、卒業後は年収1000万円程度の企業に就職する。そして東大、京大、一橋大、東京科学大などを卒業した商社マンと結婚し、2人か3人の子どもを育てるというものだ。

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投稿には多くの「いいね」がついた一方、「つまらなそう」「本人の意思がない」「経済的に自立させるべきだ」といった批判も寄せられた。

しかし、この人生設計を単なる父親の保守的な価値観と片付けてよいのだろうか。むしろ信太郎氏自身が、日本の学校教育が作り上げた「人生の模範解答」に忠実すぎるように見える。

人生まで偏差値で測る日本人

日本の学校教育は、決められた問題に正解し、偏差値の高い学校へ進み、有名企業に入ることを成功としてきた。

信太郎氏のプランも、その延長線上にある。慶應は学歴、留学は国際性、大企業は安定、商社マンは高収入という具合に、人生の各段階に社会的な採点基準が置かれている。

すべての項目で高得点を取れば、最後に「幸福」という合格証が与えられる。しかし人生は入試問題ではない。

慶應に入っても幸せになるとは限らず、大企業も安泰ではない。商社マンと結婚しても家庭生活の成功は保証されない。反対に、無名大学から起業する人生や、結婚せず専門職として生きる人生が失敗とも限らない。

同級生に、「お嫁さん希望です!」と公言する三田のアイドル的な美女がいて、実際、年上の商社マンと卒業後すぐに結婚した。しかし、実はDV旦那で、酷い暴力を日常的に受けて、直ぐに離婚。その後、精神疾患を発症し、貧困に陥った。今現在は、ナマポ受給の無職でボロ賃貸に住んでいると言う例を身近に知っている。

日本の教育は、正解を選ぶ方法は教えても、正解のない人生を自分で設計する方法をほとんど教えてこなかった。

「経済的自立」も別の模範解答

批判派の「娘を経済的に自立させるべきだ」という意見も一見もっともだ。

だが、高学歴を得て、大企業に入り、高収入を得ることだけを自立と考えるなら、それもまた学校的な模範解答にすぎない。

信太郎氏は、東大卒女性の未婚例を挙げながら、仕事と結婚の両立の難しさをユーモア交じりに弁明した。娘には仕事を持ってほしいが、結婚や出産の機会も逃してほしくない。そこには親としての率直な葛藤がある。

問題は、その解決策が「慶應に入り、商社マンと結婚する」という既成のコースに回収されてしまうことだ。

日本人は、自分が何をしたいかより、他人からどう評価されるかを重視する。偏差値、大学名、会社名、年収、配偶者の肩書。本人の幸福より、社会の成績表で高得点を取ることが優先される。

必要なのは正解から外れる力

親が娘の将来を心配するのは当然だ。教育機会を与え、安定した生活を望むことも責められない。

だが、終身雇用は崩れ、大企業も学歴も人生を保証しない。これから必要なのは、決められたコースを正確に進む力ではなく、コースから外れても自分の道を作り直せる力だ。

娘に必要なのは、慶應に合格する力だけではない。慶應に入れなくても自分の道を探せる力である。

商社マンと結婚することでもない。結婚してもしなくても、自分の人生を引き受けられる力である。

信太郎氏の投稿に並んでいるのは、娘自身の夢というより、日本の学校と社会が親世代に刷り込んだ「優等生の人生」だ。

親が子どもに渡すべきものは、完成された人生の答案ではない。世間の模範解答を疑い、自分なりの答えを何度でも書き直していく力ではないだろうか。

もっとも、こんな意見さえ、文科省の答申にでも書かれていそうな「模範解答」になってしまうのだが。

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