盗まれた梨には怒れても、老人の切手には怒れないのか?

うきは市の農園から、収穫直前の梨が5,000個盗まれた。前年にも6,000個。会社を畳んで個人で再起を図った矢先に起きた、2度目の被害である。「もう梨は辞めます」という農家の言葉に、私も反射的に思った。こういう犯人は厳罰でいい、と。

だが、「厳罰」という言葉を口にした瞬間、別の記憶が立ち上がった。梨のように「消えた」ものが、私の家にもあったからだ。

祖父母が存命だったころの話である。祖父は要介護5。家族の顔も判別できなかった。都内とはいえ実家は遠く、私は月に2度ほど顔を出すのが精いっぱいだった。ある夏の日、玄関を開けると異臭がした。ヘルパーの記録では、毎日入浴させたことになっていた。すべて嘘だった。

嫌な予感がして部屋を検めると、金品がことごとく消えていた。郵政省を定年退官した祖父が集めていた「月に雁」「見返り美人」の切手シート。古銭。般若とおかめの面。退官記念のオメガの金時計。何一つ残っていなかった。

事業所に問い合わせると、担当者は知らぬ存ぜぬを通し、追及すると言い放った。

「あれはおじいちゃんから頂いたものです」

家族の顔も分からぬ人間が、赤の他人に金時計を贈るはずがない。

やがて、奇妙なメモが出てきた。ひらがなで「ぜんぶあげます」。そして――聞いたこともない宗教団体の入会申込書に、勝手に署名がなされていた。「全財産をお布施する」と書き添えて。抗議すると、相手は逆上した。祖父からラブレターをもらって困っている、と。

警察にも相談した。だが、「介入は難しい」と言われた。裁判も辞さぬ覚悟でいたが、事業者はある日突然、事業所を閉鎖した。両親に「もめ事はやめてくれ」と請われ、私はそれ以上追わなかった。

なぜこの話を、梨の隣に置くのか。私には、こちらのほうがはるかに悪質に思えるからだ。

梨を盗む者は、少なくとも「盗んだ」という事実を、被害者が自ら望んだことにはしない。だが、ヘルパーがやったのは、被害者が判断力を失っているという事実そのものを、道具に変えることだった。「ぜんぶあげます」のメモも、宗教団体への署名も、「これは贈与だ」という外形を後から捏造する作業である。奪ったうえに、奪われた側が望んだことにする。悪質さの次元が違う。

しかも、法はこの手口を許してなどいない。意思能力を欠いた人の法律行為は無効であり、平成29年(2017年)の民法改正により、第3条の2として明文化された。家族の顔も判別できないほど判断力を失っていた祖父の「贈与」が有効に成立したとは、まず考えにくい。

心神耗弱につけ込んで財物を交付させれば準詐欺罪に当たり、刑法第248条により10年以下の拘禁刑が科され得る。判断力を完全に失った人から、その状態に乗じて財物を奪う行為なら、窃盗として問われる余地もある。いずれにせよ、「もらった」は本来、そう簡単に通る言い訳ではないのだ。

なのに、現場では止まらなかった。理由は2つある。

1つは、立証の壁だ。本人はもう「盗まれた」と言えない。加害者が「贈与された」と言い張れば、故意の立証は一気に難しくなる。相手はそれを知っていて、「もらった」で押し通した。制度の穴を、正確に突いてきたのである。

もう1つは、事業者が消えられることだ。介護事業者は指定制で、行政の監督下にある。それでも、悪質な者ほど身軽に店を畳んで雲隠れする。追及の相手そのものが、蒸発してしまう。

これは例外的な悲劇ではない。厚生労働省の令和6年度調査では、介護施設の従事者らによる高齢者虐待は1,220件と、4年連続で過去最多を更新した。経済的虐待は、高齢者虐待防止法が定める虐待類型の1つである。そして、発覚しにくいこの種の被害の性質を思えば、統計に表れた数字だけで全体像を捉えられるとは考えにくい。

ここで、梨に話を戻したい。

農作物の窃盗は、全国で毎年2,000件以上あり、その半数以上が未解決だという。梨も、祖父の金時計も、共通しているのは「罰が軽いから盗まれる」のではない、という点だ。捕まらないから、逃げられるから、盗まれる。厳罰化という掛け声は、しばしば私たちの怒りをガス抜きするだけで終わり、肝心の「逃げ道」は塞がれないまま残る。

本当に手を入れるべきは、出口のほうだ。判断力を失った人は、自分では「盗まれた」と証明できない。ならば、立証責任の置き方そのものを変えるしかない。

梨なら、盗品がどこで換金されるのかという流通経路。介護なら、意思能力を欠いた人からの高額な財産移転について、その正当性を事業者側が証明できなければ、無効・違法と推定する仕組み。そして、店を畳んで逃げた法人と管理者を、なお追える責任の設計。逃げ道が開いている限り、罰をいくら重くしても、次の農家が、次の老人が、同じ目に遭う。

私は、あのとき追わなかったことを、今も悔いてはいない。渦中で最も消耗するのは、残された家族のほうだからだ。だが、問いだけは消えずに残っている。判断力を失った人の「消えた財産」を、私たちの社会は、どこまで本気で取り返す気があるのか。

梨5,000個の見出しに怒れる私たちが、声も上げられぬまま奪われた老人の切手1枚に、同じだけ怒れるかどうか。そこが、試されている。

尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)

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