沖縄県名護市の辺野古沖で2026年3月、同志社国際高校の研修旅行中に小型船2隻が転覆し、高校2年生だった武石知華さん(17)と船長が亡くなった事故をめぐり、学校法人同志社の特別調査委員会が公表した報告書から、あまりにも痛ましい事実が明らかになった。
武石さんは研修旅行の前に、「辺野古をボートに乗り海から見るコース」から別のコースへの変更を希望していた。しかし、学校側が変更を認める生徒を抽選で決め、武石さんはその抽選に外れたため、本人が離れたいと申し出たコースに参加することになったのである。

同志社第三者委員会記者会見のようす
「きれいな海」の陰で説明されなかったこと
生徒に対する当初のコース説明では、青い海の写真と基地反対運動の写真が並べられ、「ボートで辺野古を巡る」と紹介されていた。説明原稿では基地建設への反対活動にも触れていたため、学校が基地問題そのものを完全に隠していたわけではない。
しかし、最も重要な情報は説明されていなかった。生徒が乗る船が、基地反対運動に使われる「抗議船」であること、船の大きさや形状、具体的な航路、安全性、乗船時の注意事項について、学校は生徒にも保護者にも説明していなかった。特別調査委員会は、この点について学校法人同志社の「説明義務違反」を明確に認定している。
学校の教員自身も、コースを選んだ生徒から「綺麗な海が見たい」という声を聞き、コースの本当の趣旨が十分に伝わっていないことに気づいた。
そこで教員は選択後になって、主な目的は「きれいな海を見る」ことではなく、「基地建設と、それに反対する人が対峙する『現場』を見ること」だと通知した。「そんなコースだとは思わなかった」という生徒には変更を認めるとも伝えた。
これは裏返せば、最初のコース選択が、十分な情報に基づいて行われていなかったことを学校側自身が認識していたということである。
51人が変更を希望していた
さらに異様なのは、その後の対応だ。
学校は再度変更を募ったが、変更先をB、C、D、Gの4コースに限定し、グループの代表者が申込書を教員に直接持参するよう求めた。当初の希望調査はGoogleフォームだったのに、変更だけは紙の申込書を直接提出させる仕組みだった。
その結果、辺野古ボートコースを選んでいた武石さんを含む51人が変更を希望した。ところが学校側は、受け入れ先の定員などを理由に、変更を認める生徒を抽選で決定した。
変更できたのはわずか14人。残る37人は辺野古ボートコースにとどめられ、武石さんも抽選に外れた。
つまり、辺野古ボートコースに残った37人は、全員が積極的に参加を望んでいたわけではない。最終的な参加予定者37人という数字は、変更を拒まれた生徒を含めてつくられたものだったのである。
「参加希望」ではなく撤回の意思だった
学校側は、各コースの人数や受け入れ可能人数を調整する必要があったと説明するだろう。報告書にも、「活動家の船に乗せる人数を確保する目的で変更を拒んだ」とまでは書かれていない。
したがって、学校が意図的に生徒を抗議船へ押し込んだと断定することはできない。
だが、外形的に行われたことは、そう疑われても仕方のないほど異常である。
生徒は最初、抗議船であることも、その船の大きさも、安全上のリスクも知らされずにコースを選んだ。その後、本当の内容を知って変更を申し出たにもかかわらず、その意思は「抽選」で退けられた。
これは単なる人気コース間の変更希望ではない。十分な説明を受けていなかった生徒が、事後的に参加の意思を撤回したのである。とりわけ船を使う危険性の高い活動について、その撤回を学校の人数調整より軽く扱ってよいはずがない。
本人が避けようとした船で命を落とした
特別調査委員会は、抗議船であることなどが事前に適切に説明されていれば、別のコースを選んだり、選択を取りやめたりした生徒が相応に存在したと指摘している。さらに、学校の安全管理体制の不備を「事故発生の最大の原因」と認定した。
武石さんは実際に変更を申し出ていた。
それでも学校はその意思を尊重せず、抽選という形式で退けた。そして武石さんは、自ら避けようとしたコースの船上で命を失った。
報告書が意図的な隠蔽や悪意まで認定しているわけではない。しかし、重要な情報を知らせずに選択させ、真相を知って撤回を求めた生徒を、学校側の都合による抽選で元のコースに残した。その仕組みは、結果として生徒の自己決定権と安全を二重に踏みにじった。
「まさか、こんなことが」と言葉を失うのは当然である。
教育の名の下で、生徒本人の「乗りたくない」という意思よりも、学校が作った旅行日程と人数配分が優先された。この事実こそ、事故を単なる海難事故として終わらせてはならない最大の理由である。







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