【辺野古事故】同志社 八田英二氏は総長と理事に留任で責任を取ったことにするのか

沖縄県名護市の辺野古沖で、同志社国際高校の研修旅行中に小型船2隻が転覆し、女子生徒と船長の2人が死亡した事故をめぐり、学校法人同志社の八田英二理事長が辞任する意向を示した。西田喜久夫校長も退任する。

これだけを聞けば、「法人トップと校長が責任を取った」と受け取る人も多いだろう。

しかし、飯田哲史氏が指摘しているように、そんなきれいな話ではないようだ。今回の人事が本当に「引責」と呼べるものなのか疑問を持たざるを得ない。

※現時点で西田喜久夫校長が嘱託職員として残るという情報は確認されていない。

理事長を辞めても「同志社のトップ」に残る

最大の問題は、八田氏が辞めるのが「理事長」だけだという点だ。八田氏は理事長退任後も、同志社の総長と理事に留まる意向とされる。総長は単なる名誉職ではない。同志社の各学校の教学を統轄する重要な立場であり、理事として法人の意思決定にも引き続き参加する。

八田英二氏 学校法人同志社HPより

つまり、「理事長が引責辞任」という見出しだけを見ればトップが身を引いたように見えるが、実際には同志社という組織の中枢に残り続ける。これで本当に「責任を取った」と言えるのだろうか。肩書を一つ外すことで世間に区切りをつけた印象を与えながら、総長と理事という重要ポストには残る。

飯田氏の指摘が事実関係を正しく捉えているなら、これは引責というより、引責したように見せるための人事ではないかとの疑念を抱かれても仕方がない。

報酬まで残るなら何のための辞任なのか

さらに釈然としないのが報酬の問題だ。同志社の役員報酬規程では、総長そのものに相応の報酬が設定されている。したがって、理事長を辞めたからといって、同志社との経済的な関係までなくなるわけではない。

もちろん八田氏に実際にどの区分が適用され、いくら支払われるのかは法人側が説明すべき事項である。しかし、理事長辞任後も総長として高額な報酬を受け取り続けるのであれば、世間が思い浮かべる「引責辞任」とはあまりにもかけ離れている。

2人が亡くなった事故である。責任を取るというのは、肩書の付け替えで済む問題ではない。権限も待遇もほぼ維持したまま「理事長だけ辞めます」で済ませるのであれば、遺族や社会にどう説明するつもりなのだろうか。

なぜ法人ではなく「高校の問題」にするのか

今回の事故では、第三者委員会が学校現場だけでなく、学校法人同志社のリスク管理体制にも問題があったと指摘している。それにもかかわらず、実際の人事を見ると、西田校長は学校を去る一方、法人トップだった八田氏は総長・理事として残る。

これでは、責任を同志社国際高校の現場に押しつけ、法人本部はできるだけ傷を負わずに済ませようとしているのではないか、との印象を与える。

文科省にも「理事長辞任」だけを説明したのか

同志社は八田氏の理事長辞任について文部科学省に報告したとされる。それならば、理事長は辞めるが、総長と理事には残るという肝心な部分まで明確に説明したのか。

「理事長辞任」という耳ざわりのいい言葉だけが報道されれば、世間は法人トップが責任を取ったと錯覚する。しかし実態として総長と理事に残り、権限や報酬まで維持されるのであれば、その全体像こそ公表されるべきだ。

2人の命が失われている。それにもかかわらず、肩書を整理し、責任を取ったように見える人事を組み立てて幕引きを図るのであれば、あまりに不誠実ではないか。

同志社は「良心教育」を掲げてきた。その看板を掲げる学校法人が今問われているのは、立派な理念ではない。事故の責任から逃げず、誰がどこまで身を引くのかを、正面から説明する良心が本当にあるだろうか。

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