赤根智子著『戦争犯罪と闘う:国際刑事裁判所は屈しない』(文春新書、2025年)は、国際刑事裁判所の裁判長が、在職中に執筆し、緊急出版した本として、異例の性格を持っている。赤根裁判所長は、自らが米国時間8月18日にアメリカの制裁対象に指定されてしまったため、現在、世界的に大きなニュースの渦中にある。ただしアメリカのICC職員に対する制裁は2025年2月から始まっている。今回の赤根所長ともう一名に対する制裁措置は第5弾で、制裁対象者は総計13名になる。このあたりの経緯は、2日前の記事にも書いたとおりである。

赤根所長が、上記の題名で2025年6月に本書を公刊したのは、2月のトランプ政権による第一弾のカーン主席検察官に対する制裁を受けてのことであった。トランプ政権の態度や説明から、主席検察官に対する制裁だけで終わるとは想定されなかった。その大変な時期を迎えるという危機感から、本書が執筆されたのであった。

本書の冒頭は、2023年にプーチン大統領を訴追したことへの反発から、ロシア政府から赤根所長が制裁対象に指定されてしまったエピソードから始まっている。現在、赤根所長は、ロシア政府と、アメリカ政府から、制裁対象とされているわけである。ただし、入国禁止措置などにとどまるロシアの制裁と比べて、アメリカの金融制裁の意味は大きく異なる。資産凍結と取引禁止を科されると、普通の現代的な生活ができない。前回の記事でも書いたように、本来はアメリカ国内でしか効力がない合衆国大統領令だが、もしアメリカが二次制裁を金融機関に仕掛けてくるリスクを考えると、アメリカ市場から追放されたくない世界のほぼすべての金融機関が、アメリカに追随するためだ。本書で赤根判事が綴っているように、もし組織としてのICC全体に制裁対象が広がると、組織全体の機能が著しく阻害される。

赤根智子氏 ICC 国際刑事裁判所HPより
実際、本書が公刊された2025年6月には、4人の判事が追加制裁を受けている。赤根所長の制裁で、現在までのところ、実に全18名のうち半分の9名が制裁対象となった計算である。本書執筆時の赤根所長の危機感は、正しかった。
あえて日本語で本を書いた背景には、日本人である赤根所長が、出身国である日本の人びとにICCへの理解と支持を広げたいという思いもあったのだろう。日本国内で、ICCの知名度は、必ずしも高くなかった(今回の制裁事件で知名度は一気に上がったと思われるが)。米・中・露が加入していないICCにとって、日本の存在は重要だ。危機を乗り切るためには、日本の支援が大切になる。日本人の所長として、日本の支援が足りない、といった事態は避けたい、という思いが働き、執筆に至ったと思われる。
本書は、ICCが直面する危機的状況の描写に加えて、ICCの組織的性格や活動内容の説明と、赤根所長のキャリアについての描写によって成り立っている。ICCについて詳しくない方には、第2章の組織や活動の説明は、有益だろう。第4章は、日本に向けたメッセージだ。ただ、赤根所長への関心からすると、キャリアの道筋の描写は、非常に興味深い。女性の方は、特に第3章「私はこんなふうに歩いてきた」を読んでいただきたい。
地元の人の前では口にしにくいことですけれども、私が生まれ育った愛知県名古屋市は、当時はまだかなり封建的な土壌があったんです。女性は高校を卒業したらいったん就職して、結婚したら辞めて、子どもが大きくなったらパートで働くものだとパターンが決まっていました。(122頁)
女の子が行くところではない、と近所の人たちには言われながら進学校の高校に行き、東大法学部に入学する。卒業時には、国家公務員試験に合格して、官庁訪問まで行う。しかし、「通産省に女はいらん」とだけ言われて返されたり、大蔵省(当時)もまったく採用する気はなさそうで、現役の女性職員と話す機会をもったら「女の来るところじゃない」と言われたりする。地元の愛知県庁も受けてみたところ、面接で「友だち、いますか?」と「東大に行くような女に友だちはいないだろう」という扱いを受ける。そこで「公務員はないな」と結論付け、法曹の道に進む。
もともとは弁護士志望だったが、司法修習時代に、事件の捜査をする検事の仕事を知って興味を持つ。そこで指導担当の検事に「検察官になってみたい」と思いを伝えたら、「そうか、そうか」と「ノリノリ」になってもらった。「『女なんか』と言わない組織に出会えて嬉しかった」、という思いで検察官になることを決める。
すると、修習生の何人かに呼び出されて、『やめろ』と説得される。当時から気骨があったらしい赤根氏は、「君たちのやり方は卑怯だ。こんな大勢の人間で私一人を取り囲んで、翻意を迫るとは何事か。法曹は、それぞれの仕事で頑張るべきだ」と言い返したという。
検察官として勤務し始めてからは、初めての法廷で「声が小さい」と裁判長に言われてしまったり、取り調べ中に被疑者が立合事務官を検事だと思い込み続けて自分のことを向いてくれない場面に遭遇したり、庁舎に女性トイレがなく建て替え時に地方検察庁のトップに直談判して設計を変更してもらったりしたことなどの興味深い経験をしている。留学を決意したのも、「女性だから実家の近くに配属してやろう」という配慮で離れたかった地元から離れられなくなってしまったため、検事を辞任するつもりでアメリカの財団の奨学金に申し込んだのがきっかけだった。
キャリアの中では、こうしてアラバマ州の大学に留学することになったのが、転機になった。検事としては、非常に珍しかったからである。実際に、事務官に身分を移して休職してから検事に復帰するといった特例措置で、ようやく留学を果たした。その際、「アメリカが本当に多種多様な社会だと実感できた」ことも、大きな収穫となる。「私はこの懐の深い国のことが好きになりました。ICCの所長としてアメリカの制裁と対峙する現在でも、その気持ちは変わりません」という。ICCという組織に、困難な時期に必要な忍耐強い所長を与えたのは、この時の留学だったのだと言える。
このように赤根氏は、東大法学部卒のエリート検事と言えるが、極めて珍しい女性検事として、不合理な偏見などにさらされてきた。その都度、忍耐強く、品位を失うことなく、乗り越えた。アメリカに留学する機会を得たことは、転機になり、その後、東南アジア諸国の法整備支援や国連の地域研修所など、国際的な業務を次々と経験した。検事としては珍しい国際的な業務の経験である。そうした経歴から、ICCの裁判官に立候補しないか、という誘いを受けることになる。
ICCの裁判官に立候補したきっかけは、政府の方針にもとづいた上層部からの強い勧誘です。二〇一六年、法務省の法務総合研究所の所長だった私は、本省の上司に呼び出され、「ICCの裁判官選挙に出馬してほしいが、どうか?」との打診を受けました。・・・はっきり言って不安でした。・・・私はすぐに「はい」とは答えられませんでした。
すると、私の上司はこう言いました。
「今回、誰かが引き受けなければ、法務省からは二度とICCに人を送り出すことができないかもしれない。あなたが行ってくれれば、若い世代があとに続いてくれるはずだ。そのためにも引き受けてもらえないか。」
そんなふうに言われると断りにくい。迷った末、私は腹を決めました。(23-24頁)
無事に当選を果たし、判事としての勤務はとまどいの連続だったが、苦労を乗り越えて職務をこなし、周囲に評価されるようになると、やがて裁判長に立候補してほしいと、同僚の判事に勧められることになる。ICCの裁判長は、18名の裁判官の互選で、過半数を得た者が選ばれる。選挙が近づくと、18名の判事たちが、「次はやはり・・・」と相互に会話をし始めるわけである。これもやはり躊躇した。しかしICCはすでに幾多の困難を迎える時期になっていた。それを乗り切るには赤根氏しか適任がいない、というのが、周囲の評価であった。あまりに周囲から「あなたしかいない」と言われるため、ついに本人も「覚悟を決めることにした」。
それを日本の外務省に伝えると
外務省の方は「ぜひやってほしい。そうやって勇気を持って挑戦するのは大事なことだ」と励ましてくださった。私は「これならば、きっと困難なときにも支えてくれるだろう」と思いました。
そうして2024年3月に日本人としては初めてICCの所長に就任した。
こうしたキャリアを持つ赤根所長に対して、日本政府関係者は、支えていく組織的・道義的責務があるだろう。ただ、さらに強く感じるのは、赤根所長のキャリアを、どれほど困難に見舞われてもなお「素晴らしいキャリアだった」と振り返ることのできるものにすることには、大きな意味がある、ということだ。特に日本の女性にとって、その意味は小さくない。数々の偏見や障害に直面しながら、それを品位と忍耐を失わずに乗り越えてきた一人の日本人女性が、今度は世界的な政治的圧力にさらされている。本書は、その赤根智子という人物を知るためにも、非常に興味深い一冊である。
【目次】
プロローグ プーチン氏から指名手配を受けた日
1章 二つの戦争犯罪の狭間で 国際刑事裁判所が戦争に対峙する
2章 国際刑事裁判所とは
3章 私はこんなふうに歩いてきた
4章 国際刑事裁判所と日本の未来
エピローグ 日本発の、「法の支配」を守る動きに期待して
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【参照記事】
- ICC赤根所長に対する米国の制裁:日本政府が行うべき三つのこと 篠田 英朗
- 「ウクライナ応援団」が主張する「対露配慮」の「失敗」とは何か 篠田 英朗
- プーチン大統領の北方領土訪問を「招いた」日本の対ロ融和は存在したのか 篠田 英朗
- 高市首相と「敵」理論とナチス:シュミット『政治的なものの概念』 篠田 英朗
- 「祈りの長崎」の原爆の歴史と二つの世界遺産:永井隆『長崎の鐘』 篠田 英朗










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