- 日本の実質賃金停滞は、株主還元の増加だけでは説明できず、生産性の伸びが賃金に反映されにくい構造に原因がある。
- 正社員中心の硬直した雇用慣行や非正規雇用の拡大が労働移動を妨げ、低生産性企業から成長企業への人材移動を阻んできた。
- さらに近年は円安と輸入物価上昇による交易損失が実質所得を押し下げており、必要なのは株主還元規制ではなく労働市場の新陳代謝である。
株価は史上最高値圏にあり、企業利益も過去最高水準にあるのに、なぜ生活が豊かになった感じがしないのか。最近、この疑問に対して「企業が利益を株主に配りすぎているからだ」という説明が目立つ。配当や自社株買いを減らし、その分を賃金や国内投資に回せば「強い日本経済」が復活する、という議論である。
たしかに数字だけ見ると、2013年から2024年にかけて企業の経常利益は80%増え、配当は210%増え、自社株買いは460%増えたが、平均給与は11%しか増えていない。しかしここから「株主が労働者を収奪した」と結論づけるのは早い。日本の実質賃金が30年近く上がらなかった理由は、もっと根深いのだ。
「株主還元が多すぎる」は原因と結果を取り違えている
まず注意しなければならないのは、賃金と株主同じ財布から取り合っているわけではないということだ。賃金は企業が利益を計算する前に支払う費用であり、配当や自社株買いは基本的に利益を稼いだ後の資本政策である。「配当を10兆円減らしたら賃金が10兆円増える」という関係にはない。
経産省が問題視するように、上場企業の総還元性向が上昇したことは事実だが、それは外国人株主の増加やコーポレートガバナンス改革で、資本効率を無視してきた日本企業がようやく株主資本コストを意識するようになった結果である。
昔に比べると株主還元が増えたというだけで、なお利益の大半は社内に残っている。上場企業の配当性向30%というのは、OECD平均程度である。GDP比でみると、日本の分配所得(配当)は1.5%で、G7で最低である(図1)。日本企業は「還元しすぎ」どころか、依然として内部留保偏重なのだ。

図1(小川製作所)
日本経済の特徴は、企業が株主に払いすぎていることではなく、企業部門が貯蓄過剰になっていることだ。内閣府によると、日本の非金融法人企業は1990年代後半から約四半世紀にわたって貯蓄超過を続けている。2023年ごろには企業の現預金がGDPの約6割に達し、OECDでも突出している。
財務省の法人企業統計では、2024年度の内部留保は約638兆円に達するが、これは「638兆円の現金が金庫に眠っている」という意味ではない。利益剰余金は過去の利益の蓄積であり、設備、土地、海外子会社、金融資産などにも姿を変えている。
これを共産党のように「内部留保を吐き出せ」と言い換えても意味がない。問うべきなのは、なぜ日本企業は国内で借金して投資する主体から、資金を余らせる主体に変わったのかである。
「生産性が低いから」だけでも説明できない
賃金を長期的に決める最大の要因が労働生産性であることは間違いない。そして日本の生産性の「水準」は低い。日本生産性本部によると、2024年の時間当たり労働生産性は60.1ドルで、OECD38カ国中28位だった。
しかし「日本の賃金が上がらなかったのは生産性が低いから」というだけでは、30年間の現象を十分に説明できない。日銀の調査では、日本の生産性上昇率は(アメリカを除く)先進国と大差がないが、実質賃金はそれほど伸びない上方硬直性があるとしている(図2)。

図2(日銀)
その硬直性の原因は何か。それを日銀は「デフレマインド」だとしているが、これはトートロジーである。なぜ企業がみんな賃上げしなかったのか。確かに賃上げ自粛は2000年代の初めにはあった。それはこの論文も指摘するように「労使交渉において賃金よりも雇用の安定を優先する慣行」があったからだ。
OECDも、生産性の上昇と実質賃金の伸びが乖離するデカップリングが多くの国で起きたと分析している。1995~2013年については、日本では平均賃金と生産性の乖離のかなりの部分を労働分配率の低下で説明できる。つまり生産性が上がらなかったのではなく、生産性が上がっても果実を賃金として分配しなかったと考えられる。それはなぜだろうか。
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