wakatte.TV「福島大学揶揄」騒動が映し出す「高学歴者」が追い込まれる社会

YouTubeチャンネル「wakatte.TV」が福島大学の入試難易度を取り上げ、放射能研究を揶揄するような発言をした問題は、福島大学や福島市の抗議を受け、動画の削除と謝罪に至った。松本洋平文科相も9月4日、大学の研究力を偏差値で判断するのは適切ではないと異例の声明を発表した。

まったくその通りである。だが、この騒動を単なる「高学歴者による地方大学の見下し」と片付けると、問題の半分しか見えないように思える。

もうひとつ注目すべきなのは、東大をはじめとする「高学歴者」自身が、いま非常に追い込まれた立場に置かれているということかもしれない。

wakatte.TV より

高学歴でも失敗が許されない

かつて高学歴は、それ自体がかなり強力な安全保障だった。東大を出て一流企業や官庁に入れば、多少の失敗があっても組織が人生を支えてくれるという期待があった。

しかし、いまは事情がかなり違ってきている。

終身雇用への信頼は薄れ、企業は社員の人生を保障しない。その一方で、日本の労働市場にはなお新卒一括採用や経歴の減点評価が強く残っている。

つまり会社は守ってくれないのに、いったんキャリアから外れると再挑戦もしにくいという、かなり厳しい構造になっている。

高学歴者ほど「失敗してはいけない」という圧力を強く感じても不思議ではない。

これ、東大の友人とはいつも話しているが、東大出たからにはそれまでの苦労が報われるようなポジションに就けないと意味がないと言う結論に達する。
具体的には、在宅勤務が出来たり、フレックスが出来たり、安定していてこれ以上競争させられなかったり、解雇規制でガチガチに守られていたり、生活に困らない程度の残業時間だったり。
そう言う、「これ以上苦労しなくても良い」ポジションに身を置けないなら受験勉強を頑張った意味がないよねと言う結論にいつも2人で話していると辿り着く。
ただ現実問題として、なかなかそのような安泰なポジションは用意されておらず、常に競争させられるんだけど。

医学部のように「今後は競争しなくてよい、今後失敗することがない椅子」を確保出来ている人が素直に羨ましい。

「ゆるふわJTC」も切実な生存戦略か

その結果として現れるのが、「ゆるふわJTC」「コンサルFIRE」「起業EXIT」といったキャリア志向という分析は、なかなかに衝撃的である。

一見すると方向性は違う。大企業の安定した部署で消耗を避けたい人もいれば、若いうちに高所得を得てFIREを目指す人もいる。さらに上位層では、起業してEXITを狙う人もいる。

しかし共通しているのは、できるだけ人生のリスクを管理し、自己利益を最大化しようとする姿勢だ。

【参照リンク】白饅頭日誌:9月3日「教育投資レースがノブレスオブリージュを殺した」

ここで「東大卒なのに楽な大企業を望むのか」と批判するのは酷である。

資格も家業も資産もなく、地方から上京し、東京に実家というセーフティーネットもない東大卒にとっては、会社を辞めること自体が大きなリスクになる。

ブラック企業で消耗しても、医師や弁護士のような資格がなければ、簡単に別の道へ移れるとは限らない。実家に戻る選択肢も、親から支援を受ける余地もない人にとって、「安定した大企業のホワイト部署」は怠惰ではなく自己防衛なのである。

学歴への執着は不安の裏返し

こう考えると、偏差値や大学序列への過剰な執着も違って見えてくる。

学歴が単なる名誉ではなく、「一度きりの人生で失敗しないための保険」になっているのである。

だからこそ、どの大学が上か下か、どの会社に入れば勝ち組か、何歳までにいくら稼げばよいかという序列に敏感になる。

wakatte.TVの学歴コンテンツが若者に支持される背景にも、この不安があるのではないか。

もちろん、それが福島大学の研究を揶揄してよい理由にはならない。入試偏差値と研究力は別物であり、原子力災害や環境放射能について福島という土地で研究を蓄積することには、偏差値では測れない価値がある。

しかし今回の問題を「高学歴エリートの傲慢」とだけ見るのも違うようなが気がするのだ。

問題は高学歴者まで余裕を失ったこと

むしろ深刻なのは、本来なら社会全体を見る余裕を持つはずの高学歴層までが、自らの生存戦略に精いっぱいになっていることかもしれない。

大学を「何を研究しているか」ではなく「自分の人生にどれだけ得か」で見る。仕事を「社会に何をもたらすか」より「どれだけ安全に稼げるか」で選ぶ。

それは若者が利己的になったからというより、失敗したときの再挑戦を難しくしてきた日本社会の構造が生んだ面が大きい。

福島大揶揄騒動が映しているのは、偏差値至上主義の醜さだけではない。

東大をはじめとする高学歴者でさえ、人生の失敗を恐れ、自己防衛と自己利益の最大化に追い込まれている社会の余裕のなさなのかもしれない。


野口悠紀雄 学歴社会から実力社会へ AI時代の教育・雇用・評価を問い直す

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