辺野古事故の遺族が沖縄知事選後に問う「娘はなぜ危険な海に出されたのか」

2026年9月13日の沖縄県知事選が終わった。古謝玄太氏が玉城デニー氏を破り、沖縄県政は12年ぶりに保守系へと交代する。

その翌日、今年3月に辺野古沖で起きたボート転覆事故で娘を亡くした遺族がnoteを更新した。そこにつづられていたのは、選挙結果への評価というよりも、政治の陰に埋もれかねない事故への問いだった。

知事選を終えて 辺野古ボート転覆事故遺族メモ

知事選を終えて|辺野古ボート転覆事故遺族メモ
沖縄の県知事選挙が終わりました。 沖縄の皆さんによる投票の結果を尊重いたします。そして、新しい県政のスタートに、期待をしています。 選挙のあいだ、娘の事件が争点として議論の中心にならなかったことに安堵しました。もしそこに、私たちへの配慮もあ...

辺野古問題より先に問うべきこと

遺族は、事故が知事選で政治利用されなかったことには安堵しているという。一方で、今回の選挙では辺野古移設問題そのものも、以前ほど大きな争点にはならなかった。

選挙のあいだ、娘の事件が争点として議論の中心にならなかったことに安堵しました。もしそこに、私たちへの配慮もあったのだとすれば、感謝申し上げます。

しかし、ここに遺族のやりきれなさがある。

亡くなった生徒は、修学旅行で辺野古の海に出た。しかし本人は事前に別のコースへの変更を希望していたとされる。それでも最終的には辺野古コースに参加し、そこで命を失った。

遺族が問いかけるのは、「生徒を乗せる目的の重さと、リスクの大きさは釣り合っていたのか」という極めて単純な問題である。

高校生を船に乗せて海上から基地問題を学ばせる必要が、本当にあったのか。陸上での見学や講義では代替できなかったのか。それほど大きな教育効果があったというなら、学校側はその根拠を説明する必要がある。

今回の選挙では、辺野古の移設問題そのものも、かつてほど大きくは語られなかったようです。選挙で語られる大きさと、問題の本当の大きさとは、必ずしも比例しないのかもしれません。けれども、もし政治の場でさえ語られなくなりつつある問題なのだとしたら、その問題を海の上から見るために、知華は、コース変更希望を出していたにもかかわらず、命を失うほどのリスクの中に置かれていたことになります。

武石知華さんがj乗船していた「平和丸」

「平和学習」なら危険を許されるのか

教育にはさまざまな目的がある。しかし、どれほど立派な理念を掲げても、生徒の安全より優先される教育目的などない。

むしろ問題なのは、「平和学習」「基地問題」という言葉がついた瞬間に、その教育内容そのものを批判しにくい空気が生まれていなかったかということだ。

思想的に正しいと考えられている教育だから安全面の検証が甘くなるとすれば、本末転倒である。

今回の知事選では、有権者の関心が基地問題から経済や暮らしへ移っていることも浮き彫りになった。その意味でも、遺族が感じる「釣り合わなさ」は重い。

沖縄県民自身が最重要課題とは考えなくなりつつあるテーマを、高校生に命の危険を伴う方法で学ばせる必要があったのか。

この問いには、学校だけでなく教育行政も答える必要がある。

新県政は事故を政治問題にしてはいけない

沖縄県議会には事故を調査する特別委員会が設置されている。知事選が終わった今こそ、政治的な損得を離れて調査を進めるべきだろう。

選挙が終わったことで、県議会に設置された調査特別委員会の動きも、いよいよ本格化するものと期待しています。

古謝新県政に求められるのは、玉城県政を攻撃する材料として事故を利用することではない。逆に、前県政への遠慮から問題を曖昧にすることでもない。

必要なのは、なぜ危険な海上活動が修学旅行に組み込まれたのか、誰が安全性を確認し、どのような判断で実施を認めたのかを淡々と検証することである。

遺族は、沖縄がこれからも生徒たちが安心して訪れられる修学旅行先であってほしいと願っている。

それと同時に、沖縄がこれからも、修学旅行先として、生徒と保護者と学校から安心して選ばれる場所であるために、事件の原因究明と再発防止に、新しい県政のお力添えをいただけると、心強く思います。

その願いに応える最も誠実な方法は、「平和学習だったから仕方がない」と済ませることではない。

政治的理念より、生徒の命を優先する。当たり前の原則を取り戻すことから始めるべきだ。

遺族は裁判費用のクラウドファンディングを立ち上げています。ぜひご協力ください。

「辺野古転覆事件の全容解明と再発防止を求める会」HP

辺野古転覆事件の全容解明と再発防止を求める会 | Beloved Tomoka
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