
(前回:「ライドシェアは危険」は本当か:安全管理をタクシー会社だけに任せる必要はあるのか)
前回は、「ライドシェアは危険だから認められない」という議論を検証した。
タクシー会社が担ってきた安全管理には意味がある。しかし、本人確認、アルコールチェック、GPS、ドラレコ、運転時間管理など、その機能の多くは技術的に切り出せる。
安全管理と、タクシー会社への所属は同じではない。

では、安全管理を独立して設計できるなら、なぜ日本のライドシェアは今なお既存交通事業者の管理下に置かれているのか。
ここから先は、安全ではなく市場構造の問題である。
2027年、東京で完全無人タクシーの商用運行が始まる見通しだ。
Waymo、日本交通、GOの3社は、2027年中に東京で国内初となるレベル4の完全無人タクシーを目指している。政府も2030年度までに、バス、タクシー、トラックを合わせて自動運転サービス車両1万台を導入する目標を掲げている。
自動運転は必要だ。
だが、本格普及するまでの間を誰が運ぶのか。
東京で100台規模が走ることと、日本全国の日常交通が自動運転へ置き換わることは全く違う。
技術。
法制度。
事故責任。
保険。
遠隔監視。
道路環境。
そして、利用者の心理。
これらがそろい、自動運転が珍しい実証ではなく、全国の日常交通として一般化するまでには、私は10年単位で見た方がよいと考える。
その間にも人は移動する。
病院へ行く高齢者がいる。
夜の飲食店から宿へ戻る観光客がいる。
駅から登山口へ向かう人がいる。
10年後の技術を待つために、今日の利用者が我慢する理由はない。
自動運転を最も必要とする地方ほど難しい
自動運転は地方交通の救世主のように語られる。
運転手がいなくても車が走れるなら、人手不足に苦しむ地方ほど恩恵は大きい。
しかし導入初期には別の壁がある。
価格だ。
自動運転車には、車両本体だけでなく、センサー、計算機、通信、遠隔監視、保守、ソフトウェア更新などの固定費がかかる。
都市部なら、1台を朝から深夜まで高稼働させて回収しやすい。
人口数千人の町では違う。
朝に病院へ数人。
昼に買い物へ数人。
夕方に駅から宿へ数人。
こうした需要で、高価な自動運転車を何台も維持できるとは限らない。
自動運転を最も必要とする地方ほど、導入初期には採算に乗せにくい可能性がある。
ただし、この状態が永遠に続くとは思わない。
自動運転車の価格は今後下がるだろう。国土交通省も、AIベース自動運転車の量産や部品・システムの汎用化による価格低下を期待している。
だから問題は、自動運転が高いことではない。十分に安くなるまで何年かかるかである。
2027年に東京でサービスが始まることと、地方の低密度需要でも採算が合う価格になることは別問題だ。
「空白の10年」を何で埋めるのか
そこでライドシェアである。
地方にはすでに自家用車がある。
運転できる住民がいる。
スマートフォンがある。
通信網もある。
需要がある時間だけ、地域にある車と人を交通供給に変えられる。
つまり、自動運転か、ライドシェアか、ではない。
時間軸が違う。
自動運転が十分に安くなるまで、人間のライドシェアで交通空白を埋める。
高需要地域では、その後、自動運転への置き換えが進むだろう。
低需要地域では、自動運転普及後も人間ライドシェアの方が安い場所が残るかもしれない。
ライドシェアは単なる「つなぎ」ではない。
自動運転への橋渡しであり、低密度地域では自動運転と併存し得る交通手段である。
ところが日本では、ライドシェアまで既存交通事業者の管理下
日本版ライドシェアは2024年に始まった。
現在も関東運輸局は、これを「法人タクシー事業者による交通サービスを補完するため」の制度として扱っている。地域の自家用車と一般ドライバーを使っても、基本構造は既存事業者の管理下にある。
ただし制度は少し動いている。
国土交通省は、バスや鉄道事業者による日本版ライドシェアへの参画を検討し、先行トライアルも進めている。2025年からバス・鉄道事業者による先行トライアルが始まり、2026年にも制度拡大の検討が続いている。
これは前進である。
しかし本質は変わっていない。
入口が「タクシー会社」から「既存交通事業者」へ広がりつつあるだけで、安全基準を満たした個人が独立して市場へ参加できる制度にはなっていない。
車は一般人のもの。
運転するのも一般人。
それでも、市場への入口は既存事業者である。
業界は独立型ライドシェアには反対、自動運転には参加
全国ハイヤー・タクシー連合会は、欧米型ライドシェアについて、運行・整備管理の最終責任、労働問題、事故や渋滞などを理由に「ライドシェア新法の制定に断固として反対」としている。
その一方で、自動運転タクシーについては、タクシー事業者の責任で安全を確保することを基本に、制度検討へ積極的に参画し、「主体的に関与」するとしている。
一般ドライバーが独立して市場へ入ることには反対する。
運転手そのものが消える自動運転には、既存タクシー事業者として参加する。
もちろん、業界側には安全や責任主体という論拠がある。
だが結果として、新しい交通供給が登場するたび、既存事業者が入口に残る。
私は、この構造を「タクシー利権」と呼ぶ
「利権」という言葉は乱暴に使うべきではない。
だから意味を限定する。
既存事業者が行政規制によって市場への入口を握る。
新しい供給主体が登場しても、その管理下に置かれる。
技術革新によって運転手そのものが不要になっても、既存事業者の位置は残る。
私は、この構造をタクシー利権と呼ぶ。
タクシー会社が利益を得ることが問題なのではない。
企業なのだから利益を得て当然だ。
問題は、競争相手が市場へ入れるかどうかまで、既存業界中心の制度が左右する構造である。
この連載の第1回で私はこう書いた。
運転手がいてもタクシー会社。
運転手がいなくてもタクシー会社。

技術は変わる。
運転手さえ消える。
それでも市場への入口だけは変わらない。
ライドシェアを既存事業者から切り離せ
第4回で見たように、安全管理には本人確認、免許確認、アルコールチェック、GPS、ドラレコ、保険、事故歴・違反歴、運転時間管理などがある。
これらは「既存交通事業者に所属すること」と同じではない。
安全基準を国が決める。
基準を満たした運転者と車だけを登録する。
第三者の運行管理事業者を認証する。
重大違反があれば停止する。
運行履歴を保存する。
事故時には追跡できるようにする。
必要なのは、既存事業者の許可ではなく、安全基準のクリアである。
自動運転社会への移行期だからこそ、ライドシェアを既存事業者から切り離し、独立した交通供給手段として認める意味がある。
10年後の技術を理由に、今日の移動を閉じるな
自動運転には期待している。
価格は下がるだろう。
技術も進歩する。
いずれ人間が運転するより安く、安全になる地域も出てくる。
だから自動運転とライドシェアを対立させる必要はない。
将来は自動運転。
その移行期にはライドシェア。
低需要地域では、その後も両者を併用する。
2027年に東京で無人タクシーが走っても、日本中の交通空白は消えない。
未来の自動運転を待つために、現在の利用者が不便を我慢する必要はない。
問題は「自動運転か、ライドシェアか」ではない。
10年後の技術を理由に、今日の移動を誰が握り続けるのか。
そこが問われている。
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