2010年度予算案が閣議決定されました。一般会計の総額が、過去最大の92兆3,000億円、国債の発行額が44兆3,000億円ということですが、国債増発は「何とか“44兆円くらい”におさまった」ということで、鳩山首相は「うまくいった」という認識のようです。予算“案”とはいえ、与党が衆議院で過半数を持っているので、国会でいろいろとあっても、おそらく、通過することになるでしょう。
この予算を鳩山首相は「いのちを守る予算」と称しています。「子供は社会で育てる」「コンクリートから人へ」ということをこの予算に込めているということを示しているのでしょうが、単に、政府自身が「生活関係予算の増額には苦労した」ということを物語っているようにしかみえません。
ここで「生活関係予算を充実させた」というのは、報道を聞く限り、かなり苦心があったように思いますし、それはそれなりに大変だったということなのでしょう。ただ、これはどのような位置づけなのでしょうか。景気浮上につながるようには感じられませんし、福祉政策という意味では中途半端で「バラマキ」という印象を否めません(福祉目的であれば、もっとターゲットを絞る必要があるように思います)。とはいえ、これは経済政策でも福祉政策でもなく、「社会政策」ということらしいので、景気浮上とは切り離すべきなのだという議論もあるようです。でも、だとしたら、この不景気の折、しかも、政府債務残高が最高に積み上がっている“今”、どうしてもやらないといけなかったことなのでしょうか。
社会全体を変えていくためには「やれることからやっていく」という姿勢が大切なので「子育て支援や公立高校の無料化を行う」ということのようですが、実際、借金を増やしてまで行うとなると、その返済は“当該子供(将来の納税者)”が払うことになるのですが、それでいいのでしょうか。「子供は社会が育てる」と言いながら、結局、次世代におんぶに抱っこということでしかなく、将来的に「税金は高くなるし、年金負担も高くなる」わけであり、次世代の方々に喜ばれる政策とは思えません。端的に言えば、「次世代に負担を高めただけ」のシステムであるようにしか思えません。
どうすれば「子供は社会で育てる」ようになるのか、という問題は、国家システム全体に関わる問題でもあるので、とりあえず「おカネを配ってみる」というのでは問題があると思います。おカネを配るなら、せめて恒常的な財政手当ての“目途”くらいはつけてから行ってほしいものです。その点を一切無視して予算化したというのは、この内閣として“実績”に目が眩んだとしか思えません。
鳩山首相は「これ以上、政府債務残高を増やすのは問題だ」という趣旨の話を選挙前には言っていましたよね。
今回は「税収不足が予想以上だった」ので「今回は違うのです」ということらしいのですが、「何が」「どのように」“違う”のかという点が見えません。税収が不足しているのであれば、無理に「子育て支援」や「公立高校の無料化」を行う必要はなく、税収を確保するための手立てを先に考えるべきではないでしょうか。
そのような手立てが見えないのであれば、景気浮上策としての経済対策、および、セーフティネットとしての福祉政策に“今”は注力し、その間に、社会政策の基本的な国家戦略を深く議論するということで政策運営を行うべきだと思います。現状の民主党が掲げる社会政策についてのコンセンサスは「政府債務を増やさない」という合意のもので形成されたものであり、財源的な問題がクリアになっていないのであれば、仕切り直しも含めて、大いに議論を行ってほしいと思います(総選挙を「行う/行わない」は別にしても)。
まぁ、とりあえずは「政府債務残高を増やすのは問題」と言っていた時と“今”で「何が」「どのように」“違う”のかという点を丁寧に説明してほしいものです。
これは「秘書の行動は国会議員の責任」と言っていた話しにもつながるように感じます。今回は利権に絡む問題ではないので「今までとは違う」という説明でしたが、果たしてそうなのでしょうか。今回は「利権」とは関わりがなかったようですから、確かに「その点では違う」とは思います。でも、国会議員が知らない間とはいえ、秘書がやったことには違いないのであり、それが“法律”に抵触するのであれば、その責任は当該国会議員が負うべきでしょうね(利権以外であれば、法律に抵触しても許されるという理解は難しいように感じます)。それは「おカネ(延滞税など)」で済ませるのではなく、道義的な責任の取り方というものを考えなければならないように思います。
話が少し脱線しましたが・・・
民主党のマニフェスト実現には財源的な問題があることは“政権奪取の前”から言われていたことです。しかし民主党の皆さんは「大丈夫、財源は必ずある」と言い続けてきました。財源なき政策は「絵空事」であるはずが、財源の(目途さえ)ない中で実行してしまっているのであり、それは金融リテラシのない多重債務者と同じです。
借入は計画的に!!
コメント
おっしゃることは御尤もです。
今までの予算についての論説と、今回の予算案に関するものとを対比しつつ分析いただけるとありがたいです。
「借入は計画的に!!」
その通り。
でも、これだけの借金を作ったのは、誰なんでしょう。
民主党政権をけなすだけでは、何も解決しません。
自公政権は、そんなに素晴らしかったですか?
私は今回の子供手当ての予算化はとても良かったと思います。
国が国民に対して、将来の日本を担う子供を大事にしますよと言う素晴らしいメッセージになったと思います。
子供に使うわけですから、子供自身は、なんて日本は素晴らしい国なんだと感じ、日本への愛国心を持ってくれればと思います。
きっと子供手当ての何倍も国や社会に返してくれるでしょう。
ただ、貰う我々一般国民は子供手当てを貰うのが当然の権利の様に思ってもらっても困ります。
でないと、ゆとりを生み甘えの構造を増幅させる危険性もあるからです。
aeai4a8bbla9a4t8さん、コメントありがとうございます。
ただ・・・
>自公政権は、そんなに素晴らしかったですか?
このようなことはどこにも書いていませんし、思ってもしませんよ。民主党にこれ以上負債を増やしてほしくないだけです。
未来さん、いつもありがとうございます。
ただ・・・
>子供に使うわけですから、子供自身は、なんて日本は素晴らしい国なんだと感じ、日本への愛国心を持ってくれればと思います。
借金で育ててもらっても、返済をするのが自分(今の子供)ですから、ありがたくはないように思います。
民主党政権のすることに少しでも疑問を呈すると
かならず自民党政権時代と比較される方が出てきますが
政府の政策の是非が問われるのは当然ではありませんか?
疑問を呈する事すらダメなのでしょうか?
間違いも見当違いもあるでしょう。
それらも全て国民に公開する、見せるというのが
民主党の自民党との一番の違いだったはずです。
公開した上で、さぁ評価してください。
という姿勢こそが民主党なのではないのですか?
子ども手当の財源は、全額借金というわけではないと思います。もっとも、税収は歳出の半分にも満たないのですが。
もし借金が問題なら、(もしもなにも、私は大問題だと思いますが)より優先順位と効果の低い歳出を削減するべきです。
例えば、公共事業費、公務員給与、年金、高齢者医療、研究助成金、ODA、農業補助金、温暖化対策などなど、優先順位の低い歳出はいくらでもあります。当然、増税も検討すべきです。
もっとも、優先順位のつけ方には、異論がありそうですけど、少子化対策の優先順位が最低と考える人は少ないのではないかと思います。
disequilibriumさん、コメントありがとうございます。
つまり、少子化対策は優先順位が高いので、入りがどうであれ、子育て支援は行うべきということですね。私とは意見は違いますが、そのような考え方もあると思います。
しかし、少子化対策というのであれば、私は「おカネを配ればよい」という問題ではなく、社会全体の変革の中で考えるべきだと思っています(ここに異論があるのでしょうが・・・汗)。したがって、現状、「おカネを配る」ような小手先の政策を行うくらいであれば、今は「景気対策」を重要視すべきであり、また、財政規律の“目途”くらい付ける必要があると思います。
景気対策の様子を見ながら、(少子対策を含めて)社会改革の議論を推し進めればよいと思います(工程表はしっかりと作る必要があるでしょうね)。
経済政策にも福祉政策にもならない、長期戦略の社会政策を、この危機的な経済状況の中で行う余裕は、今の日本にはないと思っています。実際、経済対策は極めて少ないわけですから、マニフェストだから、国民受けが良いから、だけで行うべきではないと思います。
景気が悪いときに長期戦略は必要ないというのは一体どのような理屈なんですか?
国に長期戦略がなければ、長期的な投資はできなくなりjます。それも景気を悪化させる要因です。まさか短期的な投資だけで経済が成立しているとお考えですか。
将来性のない国には投資できないので、少子化対策を行わければ、景気は何時まで経っても良くなりません。
それこそ「景気対策の様子を見ながら」なんて言っていたら、何時まで経っても問題は解決しないのではないかと思います。
少子化対策は、最大の成長戦略であって、資本主義経済を存続させ、活性化させる為にも、絶対必要な政策です。
連投になりますが、お金を配ることを問題視しているようですが、
子育てに必要なのは「お金」と「時間」です。仕事はお金を得るための手段ですが、働けば働くほど、当然時間は減ります。
お金を配ることも、この制約を緩和する上では重要です。
この国の出生率は、1.3程度しかありません。人口を維持するのに必要な2.05を大きく下回っています。
当たり前ですが、この国に必要なのは「一人っ子政策」ではありません。
一般的な家庭が、QOLを犠牲にすることなく、2人、3人と安心して産み育てられる社会です。
そのために、今の子供手当ては、多すぎるということは決してないと思います。
>景気が悪いときに長期戦略は必要ないというのは一体どのような理屈なんですか?
悪い時だから”戦略”を立てるのです。「長期戦略がいらない」としか読めないような理解では議論はできません(また、アグリしていないだけというのでしょうが・・・)。
少子化対策の重要性は理解しますが、非常に長いスパンの政策です。やり方も財源もしっかりしたものがなければ、為政者が変わるたびに「もらえたり」「もらえなかったり」していたのでは、安心して子育てができません。
>仕事はお金を得るための手段ですが、働けば働くほど、当然時間は減ります。
おカネを配るだけが「子育て支援になる」と本気で思っている人に、いろいろといっても聞く耳を持っていただけないので、仕方ないのですが、これだけでOKということはありません(「それだけでよい」とは言ってないというのでしょうね)。
おカネだけを配るのではなく、色々セットで行う必要があるということが理解できるのであれば、長期的な戦略を持った政策の必要性が理解できるはずです(アグリできないのでしょうがね)。
これまでの自公の政策を試験勉強にたとえれば,試験科目で「英数国理社」があって,毎度のことながら試験まで時間(=財源)が無く,「英数国」(=社会政策)は昔のつめ込み教育でそれなりの余力があったので,とりあえず目先の効果が上がる「理社」(=経済,福祉政策)をやって,何とか及第してきたものの,最近はゆとり教育のためか,基礎学力が低下し,短期にいくら理社を頑張っても赤点しか取れなくなってしまったということではないでしょうか。そこで民主党の政策は,基礎学力の落ち込みが激しいので,本当は「英字新聞と微積分と論語」(=本格的な社会政策)くらいをやらねばいけないのだが,とりあえず「英単語の暗記と,計算問題,漢字の書き取り」(=子供手当て)から始めたと,そういうことだと思います。今ここで「そんなことやって時間が無いんだから~」とわめいてまた「理社」をやれば,同じ事の繰り返しだと私は思います。
少子化対策が喫緊の課題であることは間違いないと思います。ただ、今の「子ども手当」は、それが少子化対策なのか、景気対策なのか、福祉政策なのか明確にしてないことが本質的問題だと思います。
少子化対策としての目標やロードマップを明確にしてきちんと取り組むべきです。これから生まれる子や二人目、三人目への優遇や子育て環境の整備等々、考えるべきこと、今打てる手は沢山あります。
極端に言えば、追加の手当ては、来年度は2子目以上の新生児だけであれば、財源も少なくてすみます。将来的にも今後の子どもへの支援が保証できれば対策とし有効でしょう。
自民党時代から「少子化対策担当相」なる人がいるのに、きちんとした議論が聞こえてこない。また、今の首相からは、「社会全体で子育て」なんて理想論、抽象論しか聞こえてこないのでは駄目だと思います。
ここを見てもどこをみても、こども手当て賛成の方々には議論の余地がなく、今だけ、自分だけよければいいという方が多いなあという印象ですね。
ちなみに所得制限の基準となりそうになった年収2000万だとか860万とかありましたが、そんだけ給料もらえてればはっきりいって子供手当てなどびた一文必要がありませんよ。
生活保護手当て程度の稼ぎの方にこそ必要なものでそれが多く見積もって年300万だとしたら制限基準はそこからそう遠くないところにラインを引くべきだと思います。
思わぬところで格差を実感しました。
nac00230さん、ddoopp1980さん、コメントありがとうございます。
>景気対策なのか、福祉政策なのか明確にしてないことが本質的問題
その通りだと思います。
>思わぬところで格差を実感しました
おっしゃる通りですね。
議論がかみ合う方がいらっしゃったので、少し安心しました。おカネをもらって拒否する人はいないとは思いますが、「それでいいのだ」的なレスが多いので、驚いていました。。。
多くの人は「政府の借金」という意味を誤解しているようですね。国債は政府が借りているのであり、それは政府が返さないといけないもの、という点を忘れているようです。
新聞ではGDPの1.7倍(政府債務残高すべてでいえば1.9倍)といっていますが、実際は政府の収入は40兆円弱なのに対して政府債務残高は800兆円くらいなので、ざっと20倍あるのです。しかも、それは返済しないといけないわけですから、返済のためには、「増税」「ハイパーインフレ」「国債をターゲットにした資産課税」など、どれも国民経済にとって問題の多い道しかないのですけど・・・
短期的な景気浮揚を狙った経済政策でもなく,貧困層を救済するセイフティーネットを張る福祉政策でもなく,長期的に社会が子育てを支援して少子化を食い止めるための社会政策だと明確に断言されていると思いますが,違いますか?
格差を実感したって,今までは,扶養控除で高額所得者しか,税を免除される恩恵を受けられなかったものを,手当にすることで,税金を納めていない人にも国から援助がもらえるようにしたのであって,これは明確に格差縮小の政策でしょう。もし,所得制限をかますなら,高額所得者は扶養控除も廃止されて,手当も貰えないで,働く者のやる気を削いで,社会全体が沈没するモラルハザードです。違いますか?
jit19850726131431さん、コメントいただいて恐縮ですが・・・
>長期的に社会が子育てを支援して少子化を食い止めるための社会政策だと明確に断言されていると思います
現在のような財政状態で行うのは「如何なものか?」といっているのです。また、おカネをばら蒔くことで果たして社会政策なのでしょうか?
アンケート調査では半数の人が貯蓄に回すようです。目的外に使用するためのおカネをばら蒔いて何になるというのでしょう。
また、
>格差を実感したって
この部分は「所得制限のラインが高すぎる」という点を言っているのです。
仮に所得制限が860万になったとしたら,860万を少し超えるくらいの人達は一挙に勤労意欲が削がれて,子ども手当をもらえる収入に抑えて,国から子ども手当をもらえるようにするでしょう。それは,税金を納めて国の財政を支えている人達の勤労意欲を削いで,手当をもらう人達を増やすということです。その分,歳入が減って,歳出が増えます。逆に,所得制限しなければ,高額所得者は元々潜在能力が高いので,勤労意欲が湧けば,子ども手当の額以上に稼ぎ出すはずです。そうやって,いっぱい稼いでいっぱい納税する人達の稼ぐ意欲を高めることで,財政を立て直すしかないのでは?違いますか?
さらに,所得制限のラインを500万にしたって,300万にしたって,同じことです。そのラインより上の人達の勤労意欲を著しく削ぎます。
「長期的に社会が子育てを支援して少子化を食い止めるための社会政策」が実施すべきことであることは、先ほども書いたとおりですし、手当てがその為に全く無意味と言ってる積もりはありません。
(経済政策、福祉政策でないとまで断言されているかは知りませんが。。。 また、報道を見ても、目玉が子ども手当てで、政策は「生活第一」と言っており、手当ての趣旨がそのように受け止められているようには見えません。)
でも、そのための議論が、財源の話や手当ての所得制限の話にしか広まらないのはなぜでしょうか?理想と「手当て」という政策を結びつける地図が十分に描かれずに、「手当て」が政策として、地図の無い道を一人歩きしているからではないでしょうか? だから、景気・格差。。。等々の脇道(比喩が適切でないかもしれませんが)に入り込んでしまうのです。
結局、マニフェストの「手当て」が先にあり、「少子化対策」のための有効な施策は何であり、まず何から実施していくのがよいか、という議論が置き去りにされてる、というのが私の言いたいことです。
jit19850726131431さん、「英数国」の話のときと違って、全くロジックが見えません(英数国は面白いなぁと思ったのですが・・・)。
>所得制限しなければ,高額所得者は元々潜在能力が高いので,勤労意欲が湧けば,子ども手当の額以上に稼ぎ出すはずです
所得制限をしなければ、高額所得者が意欲的に働くというのは「どのようなロジックなのか」、検討がつきませんが、そもそも、この手当のために将来増税になるのは確実ですし、さらに税金が上がるということの方を気にすると思いますよ。
もらえるものは、それが定額給付であっても、「もらう」でしょうが、のちにそれ以上に取られるわけですから、将来のことを冷静に考えることができる高額所得者であれば、所得制限しようが、所得制限しまいが「このようなばら蒔きはやめてほしい」と思うはずです(なので、せめて「所得制限くらいはすべき」と思っています)。
なお、ボーダーをどこにするかは難しいですが、それは政治判断をするしかないでしょうね。とはいえ、これは「福祉政策において」です。社会政策であれば「おカネのバラマキ」以外の政策をいろいとセットで考えるべきだというのが私の主張です。
だいたい,今の官僚機構が,天下りの効率の悪い組織で,国民の納めた税金を無駄食いしてコンクリートの山を築いてきて,自分らだけ美味しい思いをしてきた過去の負の実績があり,そんなズブズブの信用の無い組織が総括されぬまま,そんな所へ税金流すより,子育てをしている国民一人ひとりの創意工夫で,子育て手当を有効に使っていただくという趣旨でしょう。それを,「ばら撒き」と表現するのは,国民を愚弄する表現であり,著しく不快です。貯蓄に回ろうが,パチンコに使われようが,国民の将来の安心が得られて,リラックスできて,明日からの勤労意欲が湧く方が,どうせ働いて稼いで納めた税金が,官僚さんの懐を温めるのを黙って見ているよりマシでしょう。
>働いて稼いで納めた税金が,官僚さんの懐を温めるのを黙って見ているよりマシでしょう。
これが趣旨であれば、ロジックは理解できますが、それって、「税金を払うことが馬鹿らしいでしょ」といっているわけであり、政策論議ではありません。
少なくともここでは「今回の予算は国の政策としてどうか」ということを議論しているのですから、議論の根底をひっくり返すような話をされても答えようがありません(「違いますか」という話でしたので、回答したのですが・・・汗)
nac00230さん
>マニフェストの「手当て」が先にあり、「少子化対策」のための有効な施策は何であり、まず何から実施していくのがよいか、という議論が置き去りにされてる、というのが私の言いたいことです。
その通りだと思います。
意見は違うとは思いますが、私が考えるものは、以前、このアゴラにも投稿しました。
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「子育て支援」が社会政策なら「地域主権」とセットで考えるべきでは?!
http://agora-web.jp/archives/852746.html
税金を払うのが馬鹿らしいなどと,一言も言っておりません。今まで散々無駄遣いして少子化を食い止めることに失敗してきた官僚機構に税金を流すくらいなら,子育てに苦労している方々に全員が納めた税金を集中させた方が,少子化を有効に食い止められるのではと言っているのです。わかりませんか?この決定的な違いを。議論の根底を自分でかってにヒックリ返さないでください。
僕が言いたいのは年収860万なんて会社でも役員以上の方しかもらってないと、結局制限なんてする気がないんなら言い方があるだろうと。
労働意欲がどうの言ってますが、さもしい考えですね。としかいえません。労働している人にとってみれば現状は働く意欲がなくなるとか言ってる次元じゃないんですがね、机上の空論でしょう。僕みたいな子供もいない人間にとって見ればこんなずさんな政策自体にげんなりですがね。
ここ10年くらいで露骨にお金にものを言わせようとする人や動き、それに簡単に動かされる人が目につくようになってきたと感じています。まあ偏った主観といわれても否定しませんけど。
>仮に所得制限が860万になったとしたら,860万を少し超えるくらいの人達は一挙に勤労意欲が削がれて,子ども手当をもらえる収入に抑えて,国から子ども手当をもらえるようにするでしょう。
どうやって自らの収入を抑えるのですか?自営業なら分かりますが。普通のサラリーマンがそこそこの収入があるという事は、そこそこの責任のある地位にいるのではないでしょうか。そういう方々が子供手当て欲しさに勤労意欲(?)が削がれて、自ら降格を希望したりズル休みをしたりしはじめるという事でしょうか。
不況・転職が困難という状況で、そこそこの収入のを得ている能力のある方々が喩え自分の評定を落としてでも「子供手当てを貰わにゃならん、だからサボって収入を抑えにゃならん」という想定になるのは興味深いですね。子供が巣立った後に(子供手当て支給が終わった後に)バリバリ働いて老後の生活に備ようという事でしょうか。本末転倒な勤労意欲のように思いますが…
>子育てに苦労している方々に全員が納めた税金を集中させた方が,少子化を有効に食い止められるのではと言っているのです。わかりませんか?
これを議論しようと言うのですか???
もう少し現実的な議論でないと答えようもないですし、「わかりますか」といわれても・・・汗
>少子化対策は、最大の成長戦略
最大のといえるほどの成長戦略でしょうか?
人が一人増えれば、当然その生活に関わる需要が増えるわけで、需給ギャップを多少埋める効果があるかもしれませんが、日本で余っている供給は生活必需品関係では無いように思います。日本は資源が無い国です。
また、今はネットで大きなコストもかからず英語を学べてしまうので、せっかく育った優秀な子供が外国に逃げ出してしまうことも考えられます。
大きな富を生み出せる人が逃げ出さないような、またそういう人が来たくなるような国を作ることのほうが必要なのではないでしょうか?
>26. 前田拓生 さん
あなたにとって何が「現実的な議論」なんですか?
それをまずはっきりさせるべきかと。
税の使い道で何が効率的で、何が効率的でないか。自民党政権下の過去の実績から評価することは、十分に議論に値する内容だと思います。
子供手当ての直接給付は、前回も主張しましたが、官僚機構や特殊な団体等を利用しない点で、「腐敗する余地が無く」効率も良い仕組みです。
確かに、給付されたお金の一部が貯蓄に回されますが、それは少子化問題とは関係ありません。減税をしても貯蓄に回されるのは同じであって、むしろ、消費性向の高い子育て世代に給付した方が、貯蓄される割合は低くなります。
disequilibriumさん
「経済政策」であれば・・・
>消費性向の高い子育て世代に給付した方が、貯蓄される割合は低くなります。
これは所得制限をすべきです。この世代は消費をしたい世代であると同時に子供のために貯蓄をしたいと望んでいる世代でもあるので、余分におカネが入れば、貯蓄に回ります。したがって、ある程度のレベルに制限をしないと効果はありません。
福祉政策であれば、当然、所得制限をすべきです。でも、社会政策だという話ではないのですか?
社会政策であれば、もっと議論をすべきであり、拙速におカネを配っても意味がないといっているのです。「少子化対策」が最大のテーマというのであれば、もっとその点を強調すべきでしょうね。単に「おカネを配って終わり」って、単純すぎです。
連投になります。
子供手当てに使われるお金は、税によって賄われるので、財政に余裕がないので、その分増税が行われるというのはもっともなことです。
しかし、それは問題ではないのです。というより、だからこそ直接給付なのです。
直接給付で中抜きが行われず、ロスが発生しなければ増税されても構わないのです。
増税が問題になるのは、余計な団体などを経由して、ロスが発生する場合のみです。
>27. aoi700aoi
人が増えることというより、人が減らないようにすることに価値があると考えています。人口が減少し、高齢化が進むことは、資源の有無に関わらず、経済に悪影響を与えます。経済の基礎を確立することは、当然ながら大前提であり、その意味で、最大の成長戦略なのではないかと思います。
>29. 前田拓生さん
確かに、「おカネを配って終わり」では問題だと思います。財源がよっぽど豊富にあれば別ですが、今の子供手当て程度では、出生率を1.5倍以上に引き上げることは難しいと思います。
しかし、それでも今の子ども手当は全く無駄ではなく、税の使い道としては十分効率的であるというのが私の考えです。
それ以外にも、労働政策などを通して、お金のかからない政策も実行すべきではないかと思います。
>、確かに、「おカネを配って終わり」では問題だと思います。財源がよっぽど豊富にあれば別ですが、今の子供手当て程度では、出生率を1.5倍以上に引き上げることは難しいと思います。
その通りですね。
>しかし、それでも今の子ども手当は全く無駄ではなく、税の使い道としては十分効率的であるというのが私の考えです。
所得制限をして、福祉目的に子育て支援をする方が、経済的効果は高いと思います。
また、「直接に流れるから効率的」ということであれば、以前お話しした地域主権で、国からではなく、一番近い行政機関(基礎自治体)で子育てを考えれば良いと思います。
「霞が関」のようなところで市民が監視するのは難しいですが、基礎自治体のような身近なところであれば、監視もしやすいし、無駄に使われば、追及もできます。また、基礎自治体で使う費用は、すなわち、当該地域の市民(介護職員さんや保母さんたち)に落ちるので、地域の所得が増加することになります(霞が関や虎ノ門のために使うことにはなりません)。
>直接給付で中抜きが行われず、ロスが発生しなければ増税されても構わないのです。
>増税が問題になるのは、余計な団体などを経由して、ロスが発生する場合のみです
本当ですかぁ~???
グローバル社会で人の出入りもかなり自由になっている以上、増税は問題でしょう。大人しい性格とはいえ、これ以上、政府債務残高が増加すれば、そのための増税は必至なので、このような国を見限って、(他国に移住し)人口は減退するのではないですか。
その方が問題だと思いますよ。
>32. 前田拓生さん
「直接に流れるから効率的」と言っているのであって、地方自治体に流れるのは全然直接的じゃありません。当然ですけど、監視をするのにもコストはかかるし、追求するにもコストがかかります。それが徹底される保証はどこにもありません。腐敗しない保証なんてどこにもないのです。
また、少子化対策は国の政策であり、地方自治体がそれに従う保証もどこにもないのです。私はそんな「地域主権」は必要ないと思います。
>33
移住する能力があって、なおかつその意思がある人間は限られています。そういった方々は、個別に優遇するのが効率的ではないかと思います。
そもそも子供手当によって少子化が解消されるでしょうか?そのあたりの検証が不十分だと思います。
私はたいした効果はないと思います。出生率は多少増えるかもしれませんが、2.0以上になるとはとても考えられません。
仮に効果が十分にあったとしても、現実に効果が現れるのは30年以上も先になります。その前に日本が破綻してしまいます。財政再建が優先されるべきだと思います。
>「直接に流れるから効率的」と言っているのであって、地方自治体に流れるのは全然直接的じゃありません
そういうだろうとは思っていました。
そもそも福祉目的以外におカネをばら蒔くのは「政策」ではありません。それは政策を放棄したダメな政府が行うことです(国民に任せているだけですから)。官僚やその周辺に対する不信感があるのでしょうが、「だから」といって、すべてを中抜きで行うのが”合理的”というのは、全く論外です。
”理”にかなっていません。
いろいろなことを考えて「システム」なり、「仕組み」があって、そこをおカネが流れることによって社会がうまく機能するのです。おカネだけを直接流せば、それは自己だけの「理」にかなるところにしか流れず、社会全体としては機能しなくなります。
「コストがかかる」「無駄だ」というのもマスコミがかなりの部分作り上げていることです。この場合のコストも無駄も、その部分におカネが流れることによってGDPの一部になっているのです(当然、天下りや虎ノ門などは論外です)。
tom574さん、コメントありがとうございます。
>日本が破綻してしまいます・・・
その通りですね。でも、本当はすでに破たん状態ですが・・・汗
昨日のTVで森永教授が「政府には実は500兆円くらい資産があるのです」「だから大丈夫なのです」といっていましたが、あれは、あの方の調査不足です。
実際には500兆円の部分に社会保障基金分を入れて計算をしているようはずであり、社会保障基金はすでに使い道が決まっているので、それを国債償還に充てることはできません。
このようなことを平気でマスコミ等で流すから、多くの国民が間違った選択をしてしまいます。現状の政府債務を解消するには「大幅な増税」「ハイパーインフレ」「大がかりな資産課税」しかなく、国民生活にとって問題がある道しか残されていません。にもかかわらず、ここでおカネをばら蒔くわけですから、危機的としか言いようはありません。
disequilibriumさん
>移住する能力があって、なおかつその意思がある人間は限られています。そういった方々は、個別に優遇するのが効率的ではないかと思います
本気でそのようなことをいっているのであれば、社会を単純化しすぎています。
また、高額所得者に対して「優遇する」というのは、累進課税制度の基本的な理念に反することになります。しかも、その減税分(優遇分)は中間所得層に負担が行くことになり、国民生活を圧迫します。
悪循環を加速させるだけであり、意味のある政策とは到底思われません。したがって、議論の対象としては疑問があります。
「子供手当て」だけで少子化問題を大きく改善する(増子化する)ことができるとは誰も考えていないと思います。
小渕少子化担当相時代の「ゼロから考える少子化対策プロジェクトチーム」の提言がわかりやすいです。
「給付だけでは解決できない。」これは前提です。
http://www8.cao.go.jp/shoushi/13zero-pro/teigen/pdf/gaiyo.pdf
しかし、給付に効果がないわけではありません。
どの程度効果が見込まれるのか、民主党の説明が不足していることは問題です。
この政策によって起きる副作用や社会の構造的変化に対するシミュレーションが慎重に行われているのかという疑念を持つのは当然だと思います。
(我々は「こうなるとは思いませんでした。」という言い訳を聞きたくない)
その意味で前田さんのご指摘はごもっともだと思います。
また、本論で費用対効果や効率性の観点からして他により有意な手段があるのではないかとご指摘していることもコメンターの皆様は認識されていると思います。
その上で、disequilibriumさんは子供手当ては直接給付で非常に効率的でないかとコメントされております。
行政機関を出来る限り中抜きするという発想自体は、民主党が官僚機構をリストラしたいのならその目的に合致するものです。
ただ、本論は少々財務当局観点に寄っている感があると思う人達が少なからずいるのではないでしょうか。
財政規律は重大な問題です。
しかし、「国のあり方」もまた重要な問題です。
「国のあり方」を裏付ける財政の問題を無視することはできませんが、財政を中心とした発想で「国のあり方」を判断するのは危険かもしれません。
企業経営を例えにして考えればわかりやすくはないでしょうか。
資金繰りに詰る可能性があるからといって、それだけで将来に向けた投資を止める判断はできません。
「会社のあり方」に照らし合わせて、どういう事業・財務戦略がより適切かを考えるべきでしょう。
社会政策の根幹は「国のあり方」をどう決めるのか、という問題です。
ブレア政権で提唱された「第三の道」は、単純なバラマキではなく社会投資国家としてのイギリスの在り方を示したものでした。
「国家は社会に投資し、その利益を得、そしてまた投資する」という概念こそが画期的であったのです。
「子供手当て」が「バラマキ」なのか「社会投資」なのか、どう考えるかで見方は大いに変わる可能性があります。
鳩山首相に理念がないからといって「子供手当て」に理念がないというわけではないと思います。
advanced_futureさん、詳しいコメントありがとうございます。
一切、ごもっともだと思います。
私自身も今回の内容は「財務規律」を中心に書いているので、そのように映って「当然」と思っています。ギデンズの『第三の道』を踏襲する形で行ったブレア政権を模して、現政権が実行していることは十分に承知していますし、それに期待をしている一人でもあります。
ただ・・・
「理念」を実行に移すのであれば、その工程表を示してもらわないと、それが「どの方向なのか」が見えないのではないでしょうか。社会政策だから「子育て支援は効果あり」といっても、それがどのような政策の布石なのかという部分さえ知らされなければ、国民は不安であり、「この理念のためには増税になります(国債を増発するわけですから)」ということでは問題だと思います。
そもそも「理念」が共有されていない状態なのですから、そのあたりは「丁寧な説明」が必要だと、私は考え、このコラムにも書いておいたわけです。拙速におカネをばら蒔く前に、その必要性、工程表、将来像などを国家戦力的に説明してほしいと願っています。
>、その必要性、工程表、将来像などを国家戦力的に説明してほしいと願っています
ここの「国家戦力的」は「国家戦略的」の間違えです(汗)
ついでなので・・・
子育て支援を含め、国家戦略的な発想として書いたコラムは、上のレスにも書きましたが、「子育て支援」が社会政策なら「地域主権」とセットで考えるべきでは?!」があります。
http://agora-web.jp/archives/852746.html
前田先生の子供手当てについてのコメントは
?子供手当ての正当性
?その方法論
に関して混同されていませんか?
先生は数日前の「子育て支援に所得制限は当然!」というエントリで「子供手当てを行うならば所得制限は必然」という主張をされましたが、同エントリのコメント欄出の議論を見ると、どう考えてもその主張は無理があると思います。
先生のその後の?に関する主張は概ね同意できる面もありますが、?に関して所得制限を行うべきとの主張は上記エントリのコメント欄を見る限り、非論理的ではないでしょうか?(議論は尽くされている感があるのでここで繰り返しませんが)
失礼ですが以後の子供手当てを含む社会保障に関する壮大な内容が、すべて「子育て支援に所得制限は当然!」という主張を擁護するために組み立てられている気がします。
ここはひとつ勇気を持って「子育て支援に所得制限は当然!」という主張を撤回されてはいかがでしょう?
君子は豹変す、過ちては改むるに憚ること勿れ、です。
silさん、コメントをいただき恐縮ですが、おっしゃる意味が理解できません。
今なお、子育て支援は問題があり、やるなら、所得制限をした福祉政策で行うべきと考えています(とはいえ、予算はこれでついてしまったので、如何ともしがたいのでしょうが・・・汗)。
所得制限のボーダーラインは政治的な判断が必要ですが、2000万円や1000万円では意味をなしません。経費を考え、福祉政策としての大義名分が立つような金額で行うべきでしょうね。
また、社会政策で行うというのであれば、拙速におカネを配るのではなく、研究をし、議論をし、その上で、国家戦略的に行うべきだという主張であり、その点は変わっていません。
なお、社会政策であれば「所得制限などは必要ない」という論理は分かりますが、「おカネを配る」という方法が間違えていると言っているのです。つまり、社会政策として「子育て支援」には正当性はなく、社会政策でない場合においては、所得制限しないという選択肢は問題が多いと主張しています。
子育ての主体は家庭です。この子育て家庭というものを「選択」して,子育て以外の家庭も含めて全員が納めた税金から,子育て家庭に手当を「集中」して支給することが,なぜ単なる「ばら撒き」と表現されるのでしょう。
「政治」とは究極的には税金の使い道の「選択と集中」であり,その後どう使われるかは選択された者に一任されるべきものです。まさか,子ども手当の使い道に明細書や領収書の添付が義務付けられていないから「ばら撒き」と表現されているのではないでしょうね。
また,事前に工程表を提示せよとのことですが,ダムや高速道路,空港の建設など,当初の工程表から著しく違う現実を見るにつけ,そのようなバラ色の工程表や将来像が事前に提示されることよりも,むしろ工程はブラックボックスでも,結果として少子化にストップがかかるか否かが重要であり,そして後の選挙で審判が下されるものでしょう。
さらに,地域主権とやらですが,国民は国税と地方税を納めており,今回の子供手当は基本的に国税の話であり,地域主権というのなら,そこは,地方税から活動資金を支給されるように要望するのがスジでしょう。国が国民に国税を財源として支給するものを,横から地域が手を出して「中抜き」しようとする行為を国民の誰が納得できるのでしょうか?
まあ,子ども手当は所得制限無しに,地域主権とやらに「中抜き」されることもなく支給されるということですから,この話は既に終わったことです。
>「政治」とは究極的には税金の使い道の「選択と集中」であり,その後どう使われるかは選択された者に一任されるべきものです
その通りです。
政治に一任したおカネを、また、国民に戻してしまうというのが、定額給付や今回のやり方である「子育て支援」です。おカネを渡してしまうのというやり方が問題なのであり、もっと方法論を考えるべきだと主張しているのです。そこには仕組みが必要なのです。
「中抜き」が良いということで、すべてを排し、システムや仕組みを否定するというのは、全くナンセンスです。そのナンセンスな議論をしていても、恐らく何も生まれません。
本気で「おカネを配ることが子育て支援だ」と思うのであれば、それはそれで正しいのでしょう。今回の政権がそうなのですから・・・。
>国が国民に国税を財源として支給するものを,横から地域が手を出して「中抜き」しようとする行為を国民の誰が納得できるのでしょうか?
そこは全く違います。
制度そのものを変えてしまうということです。国家は憲法、外交、金融などのみを行い、通常の国家機能は「道」「州」が一切行う形です。なお、生活一般については自治権をもった「基礎自治体」が行うというイメージです。
まぁ、そもそも「同意できない」のでしょうから、説明しても意味はないかもしれませんが・・・汗
>>前田 様
わざわざレスをいただきありがとうございます。
>>今なお、子育て支援は問題があり、
この点に関してはまったく同意です。少なくとも今回の子供手当てがベストではなく、ベターであるとすら思えません。この政策は中止、マニフェスト上差支えがあるなら延期扱いすべきです。
しかしながら
>>やるなら、所得制限をした福祉政策で行うべきと考えています
この点に関しては
・ボーダーラインをどこに設けるかで大きな不公平が生じる。
・多産の高額所得者と1~2子を育てる低額所得者の間に、著しい不公平が生じる
・徴税技術上「所得制限を設けるために」コストがかかる。
・そもそも公約違反であり、今後の政策運営で国民の信頼を失う
などの問題があります。
長くなりますので分割して投稿します。
前田先生はそもそも「子育て支援に所得制限は当然!」の本文中では「所得制限をした福祉政策で行うべき」の「福祉政策」には全く触れておらず、後のコメントおよびエントリでその論を発展させておられますが、それは初回のエントリでの言葉足らずを補うというより、その過ちを糊塗するためではないのですか?
>>所得制限のボーダーラインは政治的な判断が必要ですが、2000万円や1000万円では意味をなしません。
一時喧伝された2000万という数字は、民主党執行部の「所得制限は実際には行いません。」という強い決意のあらわれであると感じます。所得制限を設けるべきとあくまで主張されるならば、その具体的なボーダーラインもあわせて主張されるべきです。
silさん、再度コメントをいただいたのですが・・・
いただいた質問はすべて福祉政策なら「どのようにすべきか」を明らかにせよ、という話であり、前提が異なります。
「福祉政策なら」という場合の上記の質問はすべて、政策的・テクニカルな問題であり、政党の思惑でも違いますし、財政的な規模の問題、範囲など細かな数字をもとに考えるべき問題です。それはそれなりに議論がいろいろとあると思われます(おカネをばら蒔く以外にも方法を探るべきという議論も含めて)。
現状はテクニカルに入る前の問題であり、そもそも「福祉政策でない」というスタンスが「如何なものか」といっているのです(福祉政策でないなら、もっと考えるべきでしょ、といっているのです)
百歩譲って「福祉政策であれば、所得制限をし、ターゲットを縛って行うべきでしょう」といっているだけであり、テクニカル的にも問題のない範囲で、大義名分をつけましょう、と言っているだけです。「それは経費的に難しい」というのであれば、「なら、政策はやめて、他の政策で福祉政策を行えばいい」というだけです。福祉政策であれば代替えも問題ないでしょう、ということを言っています。
>福祉政策であれば代替えも問題ないでしょう、ということを言っています。
ここですが、誤解のないように補足です・・・
所得制限で配るのに経費的な問題があるというのであれば、福祉政策として、生活的に問題のある家庭について「子育て」をどのように支援していくのかを、いろいろな仕組みを考え、実行すべきということです。
そもそも
>本文中では「所得制限をした福祉政策で行うべき」の「福祉政策」には全く触れておらず
この前に「行うのであれば」という文章が入っているのであり、そもそも思い入れがなくて「行うべきでない」という政策に対して、具体的な数字を出せ、という要求は、私としては「如何なものか」と思うのですけど・・・
何が前田さんと違うのか、やっと理解できました。それはお金の有効な使い方に対する考え方の違いです。学者さんでは仕方がないですが、政治家や経営者は知っていて言いませんが、お金の最も有効な使い方とは「領収書の要らないお金をあげること」です。領収書が必要なお金というのは、結局のところ、出資者の「使い走り」をやらされるだけということなのです。自分のお金なら大切に使うけれど、他人のお金では、どうしたって「あるから使う」になります。今の官僚機構など「余ると予算が減らされるから使い切る」という具合です。ただでさえ財政危機の折に、こんな無駄なお金の使い方をしている余裕はありません。私が今回の民主政権の子供手当てが画期的だと思うのは、国が子育て家庭に「領収書の要らないお金をあげる」からです。さすがに政治家はお金の使い方を知っているなと関心したわけです。それを、どんなに小さな団体や法人でも社会的組織は、お金を使えば領収書を求められます。それは自治体、道州でも一緒です。そんな、社会的組織の枠組みをいじることに、お金を使うのは、さらに無駄です。
>お金の最も有効な使い方とは「領収書の要らないお金をあげること」です
議論の結論としては「どうか」と思いますが・・・
それが「議論における違い」ということなら、そうなのでしょうね。ただ、この部分を掘り下げる気にはなれません。
ありがとうございました。
前田先生、ご丁寧なご返答ありがとうございます。お手数でしたら以下読み飛ばしてください。
>>現状はテクニカルに入る前の問題であり、
私は純粋にテクニカルな問題として「子供手当ての所得制限には実行不可能なほどの困難が伴いますよ」と主張しているだけです。
「子育て支援に所得制限は当然!」という先生の理念は正しいかもしれませんが、実行の困難さを
>>政策的・テクニカルな問題であり、政党の思惑でも違いますし、財政的な規模の問題、範囲など細かな数字をもとに考えるべき問題です。それはそれなりに議論がいろいろとあると思われます(おカネをばら蒔く以外にも方法を探るべきという議論も含めて)。
ということで棚上げしてしまうのはどうでしょうか?
「パンが無ければケーキを食べればいいじゃない」というのはまことに合理的ですが、ケーキが無ければ絵に描いた餅です。
silさん、再度いただいたのですが・・・
これは「福祉政策として子育て支援をどうするべきか」を表明しろ、ということなのでしょうか?
生活をしていくうえで問題があり、そのうえで、子育て支援が必要な世帯に対して、国家的に支援するのは当然でしょう。その金額を見積もって、財政的な基盤の確実性を考慮してから、実行するのは至極当然なことですし、他の政策でも同じです。審議等を行った結果、”困難”ということであれば、別の案を考えることになります。それを「マリーアントワネットの言葉」を引用するのは如何なものなのでしょうか。
生活困窮者への支援は、政府が責任を持って政策を講じるのは当然であり、どのような仕組みが良いかを考える必要があります(その一つの案が「子育て支援」なわけです)。これは「子育て」だけでなく、失業者も増加しているので、その点も考えなければならないと思います。
一つの福祉政策として「子育て支援」を行うのであれば、所得制限は当然ですが、それが技術的に無理なら、別の政策を考えるべきだという話であり、なら、対案を出せという話ではないと、私は思っています。それはそれで多くの議論が必要であり、単純ではないのです。
いろいろ勉強になりました。
ありがとうございます。
僕としては合理的な説得力を示せ(さ?)ず、十分な議論の結果を感じさせぬままに施行されていく政策のひとつだなと思いました。
もちろんこれまでの自公政権でもそうだったのですが、民主党はクリーンで国民に見える政治(言い方は違うかもしれませんが)をすると謳い、それが政権交代につながってた一因となったのに、まるで何も変わっていないという失望があります。むしろマスコミの過剰な擁護のためひどくなったとすら感じます。
最後に jit19850726131431 さんは
>子供手当てが画期的だと思うのは、国が子育て家庭に「領収書の要らないお金をあげる」からです。
といいますが、少し前に麻生政権が既にやったじゃないですか。
しかも全国民に。
silさんへの追伸ですが・・・
前回、前々回のコラムから、今回のコラムに至るレスのほとんどが、「子育て支援は、福祉政策ではなく、社会政策」というのが、多くの方の意見です。社会政策だから「所得制限しなくてよい」というのが、議論の中心でした。
なので、「社会政策なら、もっと議論をするべきだ」「拙速におカネを配ってもダメ」というのが、私の主張であり、その話を、ずーとしています(何回書いたか覚えていない位です)。
中には「福祉政策であっても、費用がかかるので、所得制限なしが良い」というのがありましたが、「費用がかかるから、所得制限なし」には全く合理性はないので、違う案を出すべきであることは明らかです。
とりあえず、内容の筋だけは理解して、レスをしていただきたいと思います。
ddoopp1980さん
>十分な議論の結果を感じさせぬままに施行されていく政策のひとつだなと思いました。
その通りですね。
初めからこの調子だとこの先が思いやられます(汗)
ddoopp1980さん
全国民が対象では何も「選択と集中」が行われていません。それこそまさしく「ばら撒き」というのです。
最後に,所得制限の問題について少しだけ触れておきます。これは専業主婦が130万円以上の仕事には就かないという問題(これは,主婦でもできる程度の仕事では130万円しか稼げないという問題)と似ていて,サラリーマンの“サラリーキャップ”(厳密には意味が違いますが)問題とでも呼びましょうか。860万という現実的な金額で考えてみると,対象は40~50歳くらいの子供が2人いる比較的優秀なサラリーマンにあたるでしょう。本来なら昇進して年収も860万→900万とさらに上を目指すところですがその人達が,昇進しないで859万に張り付いてしまう可能性が高い。なぜなら単純計算で年収に子ども手当2人分を加えて859万+31万×2≒910万をもらった方が得だからです。
これは経営者側にとって好都合です。本来なら900万の報酬を支払わなければならない優秀な人材を859万で雇い続けることができるからです。さらに自分は860万なんてもらう可能性はないから関係ないと思っている人もそうではありません。なぜならこのキャップはヒエラルキー的に順に下層の社員の人件費を押さえ込むように作用するからです。「あの優秀な人の年収が859万なんだよ」と言われれば,それより下の人達は黙るしかありません。会社の経営幹部という一握りを除けば,事実上サラリーマンという職業の年収の上限が859万というキャップがかぶせられるということです。この“サラリーキャップ”が良いか悪いかはそれぞれの立場で見解が割れるところでしょうが,納税者の大部分を占めるサラリーマンの士気に負の方向で大きな影響が出ることは避けられないでしょう。
>59. 前田拓生さん
それがマニフェスト選挙ではないかと思います。
「十分な議論がない」この基準も不明ですが、もしそのことを問題視するのであれば、政策ではなく、その仕組みを批判すべきでしょう。それが「筋」というものです。
それだけを主張されれば良いのに、なぜか「地域主権」だとか「NPO」だとか要らぬことを主張されるから、色々と批判が出てくるのではないかと思います。
disequilibriumさん、しっかりとコラムを読んでからレスを入れてください。
コラムでは・・・
++++++++
現状の民主党が掲げる社会政策についてのコンセンサスは「政府債務を増やさない」という合意のもので形成されたものであり、財源的な問題がクリアになっていないのであれば、仕切り直しも含めて、大いに議論を行ってほしいと思います
++++++++
といっているのであり、地域主権やNPOは別のコラムですよ。。。
>22はnac00230さんへの質問回答であり、
>34はdisequilibriumさんの質問に答えたのではないですか???
地域主権やNPOは、レスで「どう考えているのか」という質問に答えただけであり、民主党のマニフェストを云々しているわけではありせん。
jit19850726131431 さん
そうですか。おっしゃることはわかりました。
しかしその論理は
こども手当てが永続し、なおかつこどもが年をとらないこと
昇進することに給料UP以外の付加価値がないこと。
(お金に換算できるとして年30万以上の)
昇進によって年収が910万を超えないこと
が前提になりますね?
そんな道理はないでしょう。
>あの優秀な人の年収が859万なんだよ
なんていわれてああそうですかと納得する人は現実にはいないでしょう。少なくとも「優秀な」人なんですから。
しかもおもいっきり個人情報ではないですか。
>短期的な景気浮揚を狙った経済政策でもなく,貧困層を救済するセイフティーネットを張る福祉政策でもなく,長期的に社会が子育てを支援して少子化を食い止めるための社会政策だと明確に断言されていると思いますが,違いますか?
>子育ての主体は家庭です。
>子育てをしている国民一人ひとりの創意工夫で,子育て手当を有効に使っていただくという趣旨でしょう。
>子育てに苦労している方々に全員が納めた税金を集中させた方が,少子化を有効に食い止められるのではと言っているのです。わかりませんか?この決定的な違いを。
>お金の最も有効な使い方とは「領収書の要らないお金をあげること」です。領収書が必要なお金というのは、結局のところ、出資者の「使い走り」をやらされるだけということなのです。自分のお金なら大切に使うけれど、他人のお金では、どうしたって「あるから使う」になります。今の官僚機構など「余ると予算が減らされるから使い切る」という具合です。
>貯蓄に回ろうが,パチンコに使われようが,国民の将来の安心が得られて,リラックスできて,明日からの勤労意欲が湧く方が,どうせ働いて稼いで納めた税金が,官僚さんの懐を温めるのを黙って見ているよりマシでしょう。
>ただでさえ財政危機の折に、こんな無駄なお金の使い方をしている余裕はありません。
主張されている事がさっぱり分かりませんが表現するなら、子育てしている方々って「どうせお上から貰うのなら、飴玉もゲンコツも公平に貰らわにゃ気が済まんから、うちの家計簿と照らし合わせて政策立ててよ。」という設定って事なのでしょうかね。
前田先生、「お疲れ様でした。」としか言い様がなくてすみません。
>「お疲れ様でした。」としか言い様がなくてすみません
いえいえ、十分に力をいただきました(笑)
とはいえ・・・
ここのレスを読むだけでも大変ですね(大汗)
前田拓生さん、焦らず、しっかりと考えてからレスを入れてください。
>しっかりとコラムを読んでからレスを入れてください。
コラムはもちろん読んでます。しかし、
>地域主権やNPOは、レスで「どう考えているのか」という質問に答えただけであり
コメントに答える形であっても、それはあなたの主張ではないのですか。そうでないと仰るのなら、議論になりませんよ。
「コメントは読まないでください」とでも仰るのでしょうか?
しかも、別のコラムといっても、あちらの主張の方が先ではないですか。
「あちらのコラムは読まないでください」とでも仰るのでしょうか?
なぜ批判されるのか、理由をよく考えてください。
>焦らず、しっかりと考えてからレスを入れてください
同感ですね。
disequilibriumさんは
>「十分な議論がない」この基準も不明ですが、もしそのことを問題視するのであれば、政策ではなく、その仕組みを批判すべきでしょう。
という話ですから、それにこたえて、本論のコラムは「そのような批判ですよ」と言っているのです。議論は議論で答えましょうよ。せっかくなのですから・・・
なお、このレスで地域主権系で「批判」しているのはdisequilibriumさん他数名(?)ですよ。しかも本論ではないですし、「場」が違うのではないですか???
まぁ、長々やってきましたが、議論系ではなく、単に中傷系に走るのであれば、やめましょう。