旧ソビエト連邦最後の大統領ミハイル・ゴルバチョフ
「私は収穫の時には立ち会わないかもしれない。しかし、今のうち蒔けるだけの種を蒔いておきたいと思う」
この言葉を初めて知った時、その内容の美しさと共に、少々大袈裟かもしれないが、「人は何のために生きるか」を考えさせられた。ゴルバチョフ(1931~2022年)の言葉について、このコラム欄でも一度紹介したことがあるが、できるだけ多くの読者に知ってもらいたいので、この連載の中に加えようと考えた次第だ。

ミハイル・ゴルバチョフ氏(1931年3月2日~2022年8月30日)「ゴルバチョフ基金」公式サイトから
ゴルバチョフといえば、ペレストロイカ(再建)とグラスノスチ(情報公開)という旗印を掲げて共産主義世界のソ連の改革に乗り出した人物として知られているが、生まれてから成人に成長するまで大統領と言えば、‘プーチン大統領‘の名前しか知らないロシアの若い世代にとって、ゴルバチョフは歴史書の中に埋もれた人物の一人に過ぎないかもしれないが、ロシア民族が誇れる歴史的な政治家だったことは間違いない。
ゴルバチョフは1985年に最高指導者になると、行き詰まっていたソ連の政治・経済体制を立て直すため、「ペレストロイカ」や「グラスノスチ」といった歴史的な抜本的改革を開始したが、長年続いた硬直的な共産党の独裁体制や官僚主義からの反発・抵抗は凄まじく、改革は難航した。
ゴルバチョフの言葉には、自身の名誉や自負心のためではなく、自分の後から生まれてくる次の世代の国民が幸せになるために今、可能な限りの改革を行っていこうという政治家の決意が伺える。共産党独裁政治のソ連の民主化という危険で冒険的な目標に向かって、「私は収穫の時に立ち会えないかもしれないが、今のうちに多くの種を蒔いておきたい」という心情を吐露したのだろう。
米航空宇宙局(NASA)が開発した検査装置を衛星に搭載して数十光年先の宇宙に向かって発射する時を観た。一人の研究員が「その器材から発信されるさまざまな検査結果、データを自分たちは生きている時にはまだ見られないが、他の研究員たちがその検査結果を知ることが出来るだろう」と語っていた。その話を聴いた時、先のゴルバチョフの言葉から感じたのと同じ思いが湧いてきた。NASAの研究員は研究開発し、次世代の研究員がその結果を利用する。NASAの研究員から「今のうち蒔けるだけの種をまいておきたい」と述べたゴルバチョフの心構えに通じる世界を感じたのだ。
特に、科学分野の世界ではその科学的成果は直ぐに具体化し、それで完結するということは少なく、世代から世代へと継承され、積み重ねられた成果から新たな成果が生まれてくることが多い。17世紀にアイザク・ニュートンが登場し、「万有引力の法則」を発見、20世紀の初頭に入ると、アルベルト・アインシュタインの相対性理論が生まれた。そして、アインシュタインの理論でも扱えなかった、原子や電子といった「目に見えないほど小さなミクロの世界」を説明するために生まれたのが量子物理学(量子力学)だ。
すなわち、ニュートンが絶対時間、絶対空間の共通ルールを発見し、アインシュタインは時間と空間は絶対ではなく、相対的だという新しい理論を構築、それをミクロ世界に拡大した量子物理学が誕生し、現代の物理学者たちは、この「アインシュタインの宇宙の理論」と「量子物理学のマクロの理論」を一つに融合する「万物の理論(超弦理論など)」を見つけようと研究を続けているわけだ。
科学史はゴルバチョフの言葉を実証的に証明している。大科学者と呼ばれる科学者も一人ですべてを発見したり、理論を構築したのではなく、過去の科学者が蒔いた種を土台に研究を進め、新しい理論を発見するというプロセスだ。
ゴルバチョフは生前、資本主義と社会主義の対立を超えて、核の脅威や環境問題といった地球規模の課題に人類全体で団結して立ち向かうべきだと説いていた。新約聖書「ヨハネによる福音書」第12章24節には「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」というイエスの聖句がある。ゴルバチョフの言葉には、そのイエスの精神に通じるものを感じる。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2026年10月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。







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