
(前回:その転職、ちょっと待って!)
好景気には企業も消費者も財布を開くから製品が売れ、企業は波に乗り遅れまいと人を採る。最初に増えるのは営業の採用枠で、飛び抜けて優秀でなくても一定の実績があれば採用され、会社の看板と営業の頭数がそろえば売上げは伸びる。営業が増えれば制作もエンジニアも総務も忙しくなり、会社は全体で人を足していく。
不景気になると、この流れが逆回転する。消費者が財布を閉じればモノは売れず、2008年9月のリーマンショックの後は、外資系に限らず多くの日本企業が人件費を削るためにリストラに踏み切った。真っ先に対象になるのは、給料は高いのに実績が伴わないベテランと、営業企画や人事、経理といった売上げに直結しない部署の社員だと著者は書く。
好景気に乗じて年収を上げる転職を重ねた人は、景気が冷えた途端に前者に数えられる。本には、ITバブル期に転職を繰り返して年収を上げ、40代でリストラされた後、転職回数の多さが壁になって次が決まらない男性が出てくる。
給料の話を、今度は上から見てみたい。予算を受け持つ部門のトップになって経営計画を開くと、昇給に充てられる原資がほとんどないことに気づく。自分の昇給をゼロにして部下に回したくても、計画の数字はそう簡単に動かない。
部門を率いていたとき、もっとも手間を食ったのは他部門との案分だった。家賃の何割を持つか、光熱費をどう分けるか、コピー代をどう数えるか。ある会社ではコピーが1枚50円で計算されていた。コンビニなら10円の時代である。差額がどこへ消えるのかは、組織にいる以上は口にできない。
私は夜な夜なキンコーズに通い、コピーはそこでとった。コンサル業で最もかさむ費用は紙代だから、それだけでも相当浮いた。総務部には、環境への配慮からすべてPC上で確認していると説明した。
昇給に戻る。上から眺めると、部下の成績にさほどの差はない。差のないところに差をつけるのが昇給の難しさで、原資が乏しければなおさらだ。例外は、誰にも真似のできない実績である。
1か月で年間予算を達成した者がいれば思う存分評価できるし、社長にもよい見本として処遇しましょうといくらでも稟議が書ける。プロ野球で4割を打つ、本塁打を100本打つ、そこまでやれば周りが放っておかない。
給料が上がる転職を考えるなら、その給料がどこから出ているかを先に見ておきたい。景気の勢いで採用枠が膨らんでいる会社なら、風向きが変われば最初に削られるのは自分かもしれない。上から見ても差のわかる実績を今の場所でつくる。遠回りに見えて、給料を上げる最も確かな道はそこにある。
尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)
■
『35歳までに天職を探す「転職」の教科書』(鉾立由紀 著)Gakken
■ 採点結果
【基礎点】 41点/50点(テーマ、論理構造、完成度、訴求力)
【技術点】 20点/25点(文章技術、構成技術)
【内容点】 20点/25点(独創性、説得性)
■ 最終スコア 【81点/100点】
■ 評価ランク ★★★☆ 水準以上の良書
■ 評価の根拠
【高評価ポイント】
・テーマの切り分け:転職と年収アップをキャリアアップと同一視する風潮に対し、辞書の定義まで戻って「別のもの」と切り分けた立論は明快で、刊行から時間が経っても古びていない。
・具体例による説得:1000人超のキャリア相談から引いた失敗例(長時間労働で1年半で辞め、口説かれて移った外資系が半年で撤退した20代後半の男性、ITバブル期に転職を重ねて40代でリストラされた男性)が、主張を抽象論に終わらせていない。
・景気と採用の連動:好景気に営業の採用枠が先に増え、不景気には給料の高いベテランと売上げに直結しない部署が削られるという仕組みを、リーマンショック直後の時点で平易に説明している。
【課題・改善点】
・事例の偏り:挙げられる例が営業職とIT業界、外資系に集中しており、他の職種や業種の読者が自分の問題として読むには距離がある。
・景気描写の粗さ:著者自身が「少し大げさに描写する」と断っているとおり、好況・不況の説明は大づかみで、実際の採用判断の細部には及んでいない。
■ 総評
2009年刊行という時期を踏まえると、転職とキャリアアップを辞書の定義から切り分け、転職=キャリアアップという宣伝文句の落とし穴を具体例で示した点に先見性がある。景気によって企業が求める人材が変わり、年収目当ての転職者がリストラの対象に入りやすいという指摘も、リーマンショック直後の現場感を伴って読める。事例が営業職とIT業界に偏り、組織内部の昇給原資や予算の事情に踏み込まない粗さは残るが、転職を考える読者に立ち止まる材料を与える及第の一冊である。








コメント