
経済史の常識を揺さぶる一冊
クラークのこの画期的な経済史の専門書には脱帽した。膨大な資料を読み込むだけでも大変なことなのに、それを整理し、さらに独自の技術としての計量分析を使って史実の間にある相関関係を徹底的に調べた。その入念な作業によって、これまでの経済史からは想像もできないような筋書きが示され、新しい史実が明らかにされた。
加えて経済学者には耳が痛いのであるが、従来の経済学の無力も宣言されたのである。もちろん本書の内容すべてに賛成するのではないが、かといって反論しようにも反証を示すすべが見当たらない。
さらに本書の特長としてあげておきたいことは、この長大かつ中身の濃い本書を正確な日本語に翻訳された今は亡き久保恵美子さんの訳文の質の高さである。夫の久保敦史氏のあとがきにあるように、「多くの困難に直面しながらも、優れた翻訳者としての務めを果た」されたことに、訳業の苦しさを多少なりとも知る者として、心より敬意を表したい。
Clark, G., 2007, A Farewell to Alms: A Brief Economic History of the World, Princeton University Press.(久保恵美子訳, 2026,『10万年の世界経済史』筑摩書房.)
10万年の歴史から、成長と格差を問い直す
原書の副題はA Brief Economic History of the Worldと極めて普通だが、訳書のタイトルが「10万年」を使ったやや大げさなものになったのは、おそらく販売上の目的もあったのだろうと想像する。しかし読み終わってみると、そうか、そんなスケールで経済史は考えられるのかと、この大げさなタイトルにも同意したくなる。
巻末で産業革命期の研究者である東大名誉教授小野塚知二さんが解説しているように、二つの大目的がある。
- それまではほとんど経済成長しない時代から、1800年前後にそれが常態である時代に人類は移行した。その端緒がなぜ英国だったか。
- そもそも産業革命とは何か?それがこの200年間で世界全体を発展させたのではなく、現代につながる二極化、著者の言葉でいえば大分岐、つまりどのような理由が富める国と貧しい国の二分化を招いたのか。
手法は鮮やかだが、何よりも経済史研究の世界に計量分析という手法を導入したことがあげられる。これによって選択された史実の間の個別的な相関関係が示され、それによって説明力が格段に増大した。
そのうえ、評価すべきは発掘と分析対象の選び出し方にある。分析のスタンスとして、記述を念頭に置くこれまでの経済史研究者が見逃しがちな史実に注目したことが指摘される。発掘した歴史的事実の分析の積み重ねで、ついに前代未聞の歴史観に到達したと私には思われる。かりにその歴史観に同意しなくても、クラークが本書で使った個々の事例はそれだけで研究上の価値が高いといえよう。
「施しよさらば」に込められた経済学への批判
興味深いのは本書の原題A Farewell to Almsである。小野塚名誉教授が指摘しているように、これはヘミングウェイの小説A Farewell to Arms(『武器よさらば』)と一文字違いなのだ。
ArmsではなくAlmsであるが、後者の意味は「施しもの、貰い物」だ。クラークの経歴を見ると、1957年生まれの英国人でケンブリッジ大学を卒業、アメリカにわたりハーバード大学で学位をとっている。その後カリフォルニア大学・デービス校に長く在職している。彼がヘミングウェイの愛読者であったことは容易に想像できる。
そして、一つか二つの文字を入れ替えて違う英単語を作るという文字遊びは英国人の、特に知識人の子どものころからの遊びであるから、この想像は全く見当が外れているわけでもなさそうである。では、ヘミングウェイ『武器よさらば』に関連づけて何を訴えたかったのか?小野塚名誉教授の解釈に私見を載せてみよう。
Almsとは誰かからの頂きものだが、それは誰なのか?本書を精読すると、『人口論』で著名なマルサス以降の経済学者であり、クラークが特に意識しているのは『資本論』のマルクスである。それは、主要な章の冒頭にマルクスを引用していることでわかる。そしてマルクスにつながるスミスやリカードも「施し」の主であり、正統を自任する現代の経済学も批判の視野に入っている。
人類は1800年頃まで、いくつかの原因で人口を増やしてはいたが、食料生産力の制約により、人口を減らすことを繰り返していた。クラークはこれを「マルサスの罠」とよぶ。この罠にはまっていたのである。しかし1800年代になると、ほとんど成長しない経済から人口増を賄える成長経済の時代に転換し始めた。この新しい時代こそいわゆる大分岐の始まりになった。
その象徴の一つは、富める国から貧しい国への援助として現れたが、21世紀の現代ではこの構図も崩れようとしている。
経済成長が常態になるとその仕組みを理解しようとする学問が登場する。これには二つの潮流があり、うまく操作して成長を長持ちさせようとする立場と、成長は恒常的にならず、やがて内部崩壊すると主張する立場に分かれる。クラークは、このどちらも先人たちからの「施し」ものだが、歴史認識を誤っており、使い物にならないと批判する。
経済学という武器は前の時代の発明品で先人から受け継いだものだが、それでは恒久の平和には到達できないといいたいのだろうか。
もはや、そのような遺産とは手を切ろう、サヨナラを宣言する。次の一文は象徴的だろう。「神が経済法則を創造したのは、経済学者をからかって少々楽しむためだったに違いない」(第18章の冒頭)。
すなわち、経済学者は歴史学から見ればほんの短い期間に生じた変化を法則によるものと勝手に理解し、その探求に血道をあげたに過ぎない。神は、君たち実は違うのだよ、法則はそこにない、君たちの視野には入らない、といっているわけだ。
経済学は「大分岐」に答えを出せるか
経済学にサヨナラを言いたい理由がもう一つあるが、それは経済学が、「緊急の問題にはほとんど役に立たない」(本書:535)からだ。それは「大分岐」に何の対策も示せないからだ。
1800年以降世界は均等に発展したのではない。この点はマルクス主義の主張と同じだが、富める国はますます富み、貧しい国はますます貧しくなった。労働者の賃金でも「大分岐」を是正しようと、いくつかの提案はあった。しかし、技術移転は思ったほどの効果を持たなかった。補助金は、諸国の政治腐敗を誘発するだけだった。
唯一成功したのは貧しい国からの移民だが、それは現在では「壁」、見えるものと見えない壁の双方に阻まれている。ではどうしろというのか? 気の早い読者は聞きたくなるが、本書は600ページもあるのだから、急がずに進もう。
成長の時代は終わりに近づいているのか
経済現象は多様である。そのなかでAとBに相関がある。これを計量分析で明らかにする。これが本書でのクラークの基本技なのだが、彼はこの相関現象をそのまま法則だとは思っていないようである。
法則はもっと長期の経過の中で観察して、長期の相関を個々に発見してそれを積み木のように組み上げていき、その上に立って眺めると見えるものが法則であるといいたいのだろう。キーワードは歴史を見る長期の視点だから、訳者が10万年というタイトルを使ったのも理解できる。
クラークの視点で現代を見てみよう。人類史の中に大きな転換点はまだ一回しかない。1800年ごろ成長を意識しない「農耕社会」から、それを意識した「工業=資本主義」への転換だ。クラークは「資本主義」という表現を使っていないが、そう理解していいだろう。
そして、現代の最大の問題はその資本主義が成長できない状況になったことにある。部分の繁栄はあっても全体の成長に結びつかない。経済成長というプラスがないだけでなく、様々なマイナスが世界を覆っている。環境の悪化、世界の軍事化、精神の劣化、それらの課題に経済学は無力である。神は笑い続けている。私たちは第二の大分岐に差し掛かっている。
「マルサスの罠」と勤勉な社会の形成
「所得にまさる力をもつ神はいない」(本書:19)。クラークは徹底して所得から始めるが、所得の増加=経済成長だから、それがどうなっているかが関心事なのだろう。
1800年以前の年成長率0.5%は現代の30分の1であり、動物の世界と同じという。人間は「マルサスの罠」にはまっており、檻の中にいたのである。要約的にいえば、「人口増加を弱める凶作や戦争は人類の友であり、それを増加させる平和や公衆衛生は繁栄の敵である」(本書:21、ただし訳文は短縮した)。
日本についても、英国との対比で、多くの言及がある。江戸時代は、同時代の諸国に比べ衛生状態が良かったので人口抑制が効かず、農業生産力の限界により人々は貧困だった。
英国では、上流階級が人口を増やし、下層は婚姻率が低く人口が増えなかったので、やがて上から下への人口移動が生じ、このことが、勤勉という中産階級の文化を社会全体に運び広めることに貢献した。社会の暴力は減り、利子率は高利貸し的にはならず、人々は勤勉になり労働時間は伸びた。
産業革命という技術革新は確かに変化のきっかけではあったが、その背後には長期に醸成された様々な変化が英国で生じていた。さらに、その長期間に人間の遺伝子も、ダーウィンの進化の法則に従って変化していたという。これは、クラークの勇み足だが、産業革命の背後に経済学者が見なかった多くの社会現象があったことは認めてよいだろう。
第9章の冒頭には、『共産党宣言』の言葉が批判の的として掲げられている。本書ではマルクスの学説は役に立たない「施し」ものの代表とされる。マルクスの描く労働者は生産手段を奪われた無産者であった。彼らは働かされている賃金奴隷であり、彼らの勤勉とか、労働現場での創造性などは論じる必要のないものだった。
ところが、クラークは違う。「産業革命へつながる農耕社会の長い道のりのなかで、人間は近代的な経済界への適応性を、生物学的に高めていった」(傍点原文、本書:282)。
このあたりの論理展開は、「勤勉革命」のヤン・ド・フリースに通ずるところがある※1)。彼は勤勉こそが近代を開いたもので、産業革命という技術の革新の以前に長い時間を使って、それは家庭、家族の中で育まれていたと主張している。
※1)Jan de Vries, 2008, The Industrious Revolution, Cambridge University Press.(=2021、吉田敦・東風谷太一訳『勤勉革命』筑摩書房)
原書のタイトルはIndustrious RevolutionでIndustrial Revolutionとの言葉遊びをしている。クラークのほうが9歳年上だがほぼ同じ時期にアメリカで経済史の研究者として活躍している。クラークには勤勉革命(Industrious Revolution, Journal of Economic Historyに掲載)と題する論文があり、それに影響されたのかもしれない。ド・フリースは頻繁にクラークを引用している。彼の原書は2008年、その1年前にクラークの本書が出ている。
産業革命を支えたのは機械だけではない
クラークに戻ろう。10~14章は産業革命をあつかっている。産業革命という言葉は、産業に目が行ってしまうのでよくないといっている。「しかし、この言葉の『産業』という部分は、不適切で紛らわしい表現である」(p.288)。「産業革命の本質に産業的な面は全くない」(p.289)。
確かに機械の出現、それを装備した近代工場の普及はマルサスの罠からの脱出の一要因だが、実は技術の所得増への貢献度合いはせいぜい15%程度であった(ド・フリースもこれを引用している)。得意の数式の一つとして生産関数の式 Y = C + L + A を使った(本書:295)。
ここで重要な位置を占めるのは最後のA、つまり「効率」であり、現在の言葉でいえば生産性になる。その向上に必要なのは労働過程の現場からしか生まれない様々な工夫と知識の集積であり、当時から英国人にはそれらを得ようとする傾向があった。これも、この国に産業革命が最初に起こった背景である。1770年から1890年の間に英国の人口は三倍になったが、一人当たりの実質所得はそれ以上に増加したので、「マルサスの罠」にはまることはなかった※)。
※)経済史観には悲観論と楽観論があるが、前者の代表がマルサスの罠である。マルサス(T. Malthus)の主張が長い間、影響力を持ったのは「主として彼のレトリックが強く、議論が素朴で単純な人に訴えるところがあるからである」(アンガス・マジソン〈Angus Maddison〉『世界経済史』、政治経済研究所監訳、岩波書店、2015年、P.393、原書は2007年)。このよく知られたメタファーが広まったのは、1884年にアーノルド・トインビーが、その後ロストー(Rostow)やモキア(Mokyr)が使ったからだという(前掲マジソン、P.402)。
「生産活動に関する社会の知的ストックを増大させることへの投資」(本書:294)こそ重要であった。産業革命は過大評価されているが、それにしてもそれが英国で発生したことの、なぜ、は問われるべきだろう。通常なされてきたのは次の三つの説明、すなわち(1)制度学派の主張、(2)外部の突発要因、(3)内生要因であった。
著者の見解は(3)に近い。先に述べた国内の上から下への人口の社会移動を強調し、「産業革命はその端緒を数百年前にさかのぼれる」という。
移行の時期を正確に言うことはできないが、繊維産業の貢献が大きいことは確かである。しかし技術への報酬は大きくなく、この産業の発展で利益を得たのは消費者とそこで働いた労働者であった。
女性の労働現場への参加でその地位は向上し、生産性もあがった。これは人口増加に帰結するが、食料は不足しなかった。輸入があったからで、それは圧倒的にアメリカからであった。そこには農耕に適する無限の土地があった。輸入の代金は繊維製品の売り上げで支払われた。
アメリカは大きな市場であり、ここには繊維製品に特有の事情もある。それは大衆の需要が常にある消耗品なので、作れば売れた。人口が増えるだけ売れる商品だ。一定期間後には買い替えの需要が発生する。
産業革命の恩恵は誰が受けたのか
第14章では、再び『共産党宣言』をターゲットに自説を展開する。マルクスとは全く反対に、産業革命の恩恵は、その多くは単純労働者が得たという(本書:399)。賃金も上がり、賃金格差が縮小し、男女間の格差も縮小した。これらの事実を多くの図表で示している。
他方で資本の側の利益率は伸びなかった。その主な理由は、技術革新による超過利潤が十分でなかったからだ。繊維産業、特に綿業の機械は値段も安くすぐに真似されたからである。投資金額も多くなく、参入障壁もなかった。この事情は鉄鋼業でも同様であったという。
また英国では、産業革命による億万長者は出現せず、そのためにアメリカに見られるような名門私立大学が成立しなかった。当時に起こった電信の発明も情報のスピードを上げ、このことも新技術の普及を速めた。かくして1850年頃には経済成長の世界に入る準備が整った。しかしそれと同時に大分岐が始まった。
同じ機械を使っても、なぜ賃金に差がつくのか
1800年頃の格差はせいぜい4分の1だった。現在では50分の1である。各国の労働の評価に大きな差がついた。これは、リカードもマルクスも注目した「労賃の国民的差異」という問題である(『資本論』第1巻、第20章)。いまでは、人種差別と受け取られかねないのであまり議論されないが、クラークはひるむことがなく批判する。「英国で労働集約性がたかかったとの説は、マルクスが初めて唱えたものではない」(p.507)。
労賃に比べて資本の収益率にさほどの差がつかなかったのは、主に資本移動の自由が金本位制によって保障されていたからである。
ではなぜ賃金の格差が生じたか?これを16章で論じている。秘密は工場の効率性、つまり労働力の使い方の差である。インドと英国では同じ機械を使っていたが、一台当たりの労働者の数が違っていた。5~10倍もインドのほうが多かったから、トータルで見ると賃金の格差は解消し、英国産業の優位性は少なくとも1930年代まで維持された。
さらに、新しい機械が導入されるとこの差は拡大した。インドでは社会に蔓延する無気力が労働者にも及んでいた。英国には高級労働、インドには単純労働が、という図式になり賃金差は固定した。こうした国の間の格差は1840年頃には顕在化していた。
これに伴って英国には問題が起こる。単純労働が連鎖して仕事の流れが形成されるなら、一人がミスをしてもその部分だけを修復できる。しかし高級労働が構成する複雑なシステムでは失敗は全体に及び、結果としてダメージが大きくなる。そこで、生産過程の管理、全体を見渡す監督が重要になった。こうして、「経営者」が必要になった。インドでは労働の質が悪いことに加えて、経営が育たなかった。要約的にいえば、「貧しい国では経営の質が悪かった」(本書:510~512)。
新しい機械を導入するより古い機械に追加の労働を投入するほうが安いため低賃金労働が定着する。しかしこの状態に新しい機械が導入されると、今度は一挙に労働は過剰になり、つまり失業率が高まる。
マルクスに批判された「マルサスの罠」は、その後自然科学の分野で証明が与えられたが、産業革命以降の経済学には正当性が得られなかった。なぜなら、拡大一方の格差を説明できず、貧しい国がそこから抜け出す道を示せないからであった。
ただ、唯一有効と思われるのが貧しい国から富める国への人口の移動だが、現代世界の政治システムはそれを阻止する方向に働いている。貧しい国の人々は、成長経済に移行することで比喩的に移民させられたが、今度は比喩から現実に移ろうとして、それを止められている。
そして、援助金のバラマキは腐敗の元凶である。人々の幸せは向上しない。この点は富める国でも実は同じである。私たちは「約束の地」に近づくどころか遠ざかっている。いまこそ、施しものを返上する時だ。
成長と格差の先に、人類の幸福はあるか
クラークの主張を概略たどってみたが、同意できない部分が多々あるものの、長い視点で描かれた歴史観はこれまでにないものである。また、彼が示した個々の実証に反論することは日本人の私たちには難しいのかもしれない。
私たちは歴史を理解しようとするあまり、それを短期的に区切りたがる。その短い区切りに生じた事態を過大に評価してしまう。産業革命がよい例である。しかし、社会の底流に進行していたものが、ある出来事をきっかけにして表面に現れたのかもしれない。大きな変化はまだ一度しか現れていない。
この歴史観で現代世界を見てみよう。大分岐は、その後も大きな技術革新とともに進行し、まさにワニの口のように広がっている。国内でも、所得の多い少数と貧困に苦しむ多数が併存している。ビル・ゲイツと餓死する子供が時間的に同時に地球上に存在する。
しかし、その富める国にも暗雲が垂れ込めている。成長はほぼ止まった。1800年からの時代は終わりを告げようとしている。富める国でも人々の幸せは停滞している。貧しい国では明らかに事態は悪化している。経済学が役に立たないばかりか頼りの政治も制度も機能していない。各地の戦争は人々の状況を悪化させている。それは、長い間人類を閉じ込めてきたあの罠とは異質のようにも見える。
富める国は自国に累が及ばないように貧しい国に「武器」をおくる。しかし銃口はいつか自分たちに向かってくる。戦争がやがて平和をもたらす?それを信じられないなら、「武器よさらば」しかないのである。経済学が人類を救う武器だと信じていた私たちには、いささか衝撃的に過ぎるメッセージではあるが。








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