日本病のカルテ(17) 「呪われた税」が社会保障の行き詰まりを招いた

  • 消費税は増税のたびに政争を招いて内閣が倒れ、「呪われた税」として政治的なタブーになってしまった。
  • 「消費者から預かる税」という説明や外税表示が反発を強め、社会保障財源の不足を社会保険料の引き上げで埋める構造を生んだ。
  • インフレと金利上昇が進む中での消費減税は財政を不安定化し、円安や金利上昇をさらに悪化させるだろう。

今国会の最大の焦点は食料品消費税の減税法案だが、その内容は論じるに値しない。問題はこんなバカげた法案が野党から提案され、それに高市政権が便乗したのはなぜかということだ。もちろん減税は誰でも好きだが、所得税や法人税の減税はこんな議論にはならない。その原因は、日本人が異常に消費税がきらいだからだ。

これは世界的に見ても特異な現象で、EU(欧州連合)ではVAT(付加価値税)は20%以上だが、これを減税しろという議論はない。人々がそれを手厚い社会保障のコストと自覚しているからだ。ところが日本では、大蔵省の失敗で消費税が増税できなくなり、その穴を社会保険料で埋めたため、現役世代の負担が大きくなった。

多くの内閣を倒した大型間接税

欧州の付加価値税(VAT)は、欧州統合で国境を超えた金の動きが自由になり、タックスヘイブンで節税する金持ちにも課税するためにフランスの社会党が創設したものだ。その後、各国に広がり、社会保障の財源になっているが、アメリカには連邦レベルの付加価値税はない。このため連邦政府の財政は不安定で、好不況の影響を受けやすい。

日本で大型間接税の議論が始まったのは1970年代である。高度成長期のあり余る財源で田中角栄は老人医療無料化などのバラマキ福祉を始めたが、石油ショックで財政が行き詰まって大幅な赤字になり、財政法で禁じる赤字国債(特例公債)を出すことになった。

大平首相は安定財源で財政を再建するために大型間接税を創設しようと考えたが、党内では賛否両論があった。このため大平は解散・総選挙で国民の支持を得て増税を実行しようと考え、1979年9月に解散したが、党内でも反対論が強く、248議席と過半数を割った。

大平退陣を求める声が強まったが、田中派の支持を得た大平は譲歩せず、臨時国会では首班指名に自民党から大平と福田の2人が立候補する前代未聞の事態となった。これが40日抗争だが、派閥抗争はこれで終わらなかった。

大平を降ろそうとする動きは1980年になっても続き、参議院選挙を控えた5月の臨時国会で、野党の提出した不信任案に自民党の非主流派が賛成し、可決される「ハプニング解散」が起こった。自民党議員が内閣不信任案に賛成する、またも前代未聞の事件が起こったのだ。

衆議院の解散と参議院選挙が重なったダブル選挙で、大平は心筋梗塞で急逝した。大平の弔い合戦となった選挙で、自民党は衆議院284議席、参議院135議席と圧勝した。大平の後継首相には鈴木善幸が就任し、政局は混迷が続いたが、1984年に中曽根内閣になってようやく安定した。

中曽根康弘は国会で「流通の各段階で投網をかけるように総合的に税金をかける考えは持っていない」と大型間接税を否定したが、結局1987年に卸・小売に5%課税する売上税の法案を国会に提出した。これは製造業にはかけない「日本型付加価値税」だったが、国会で野党に「嘘つきだ」と批判を浴びて廃案になった。

そこで大蔵省は田中派の政治力に期待し、消費税ができたのは竹下内閣の1989年4月だった。これは大平内閣の原点に戻ったVATで、税率も3%とスモールスタートだったが、運悪くリクルート事件に遭遇して国会は大荒れとなり、満身創痍の竹下首相は法案成立と引き替えに退陣した。消費税は最初から「呪われた税」だったのだ。

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