他人を叩く口実に使われる "学問" は、「知のストロングゼロ」である。

『なぜ「まちがえた」と言えないのか』をめぐって、久しぶりに経営学者の舟津昌平さんと議論した。初めての対談は2024年の春で、テーマも次のとおりだったから、2年半ぶりの答えあわせみたいなものである。

SNSでバトルする「専門家」を、なぜ信用してはいけないのか|與那覇 潤
ご報告が遅れましたが、6月26~28日に3回に分けて、経営学者の舟津昌平さんとの対談が「東洋経済オンライン」に掲載になりました!(リンク先は1回目) こちらのnoteをご覧になった、舟津さんと編集者さんが企画して下さったもので、ありがたい限...

が、ネットの反応に「うーむ」と唸ってしまった。対談での指摘の正しさが、そのまま立証されてしまい、自家発電みたくなってるのだ。

対談の2回目では、SNS等で「まちがえた」と言えない、ないし意見の違いを認められない人の例として、舟津さんが最近起きた炎上の例を出す。別にそれは主題じゃなくて、あくまで “たとえば” という話の枕にすぎない。

「10時10分前はいつなのか」SNSの小さな論争に潜む、誰もが「まちがえた」と言えない日本の構造
「当たり前」が通用しない今、私たちはなぜ素直に「間違えた」と言えなくなったのでしょうか。SNSや社会の空気、コンプライアンス意識の高まりが絡み合い、謝罪さえ叩かれる現代。自明性をめぐる議論から、私たちのコミュニケーションの本質を考えます。(...

「あぁ、ありましたねw」で流して本題に進むのが、(ぼくの考える)妥当な読み方なのだが、いまのネットはそうならないらしい。おそらく5chでの言及を基にしたAI生成で、こんな地獄のような動画が作られてしまう。

なにが起きてるのかというと、どうもいまのネットには「一切反論されずに、問答無用でバカ扱いして、殴れる相手」を求めてる人がいっぱいいて、ネタが投下されるのを始終、手ぐすね引いて待ってるらしいのである。

なので、対談の本筋と関係ない文字どおりの “ネタ” であっても、「みんなでバカにできるイタいやつキターーーッ!」みたくなって、そこにだけ食いついちゃう現象が起きるようなのだ。まぁ、知ってたけど(笑)。

SNSが学問をカルトにし、「魔女狩り」を再来させる|與那覇 潤
1年前、オープンレターの問題を再考するとき、表紙に「セイラムの魔女狩り」を使った。概要はリンク先でWikipediaを見てほしいが、1692年のアメリカで起きたという意外性もあり、わりと有名な事件である。 著者の藤本龍児さんを囲む機会があり...

なんで知ってたかというと、上の記事で書いたとおり、ぼくが歴史と炎上のプロだからだ(苦笑)。とりわけ2020年のコロナ禍以来の、自分は専門家だと自称する人ほど、実は単なる “ネットリンチの煽り屋” な事例の多さに関心を持ってきた。

彼らがやっているのは、学問のダンピングであり、バーゲンセールである。「センモンカの私があいつを “非科学的” と認定してあげますよ、だから殴り放題ですよ、はぁ私の学問って社会に貢献して有益!」というわけね。

なぜ、学問を修めた「意識の高い人」がネットリンチに加わってしまうのか|與那覇 潤
8月27日付で、筑波大学は所属する東野篤子教授のTwitter利用に関し、「コンプライアンス違反に該当するような事項は確認することができませんでした」(原文ママ)との回答を、ネットリンチによる被害を訴えていた羽藤由美氏に送付した。 知と理は...

そんなセンモンカに「集団でバカにしていい相手」を放ってもらい、飛びつくハイエナかピラニアみたいなフォロワーの視点でいうと、それは粗悪な “知のストロングゼロ” をガブ飲みして、よそ様に絡んでるようなものだ。

拙著ではまさに「知の “ストロングゼロ” だった、専門禍を終えるために」という節を設け、社会のお墨つきを得て暴力を振るおうとする欲求のいびつさを、平成末に流行し定着した “合法ドラッグ” になぞらえて論じている。

専門家依存が壊すメディアの信頼(10/21新刊を一部公開します!)|與那覇 潤
先週月曜にアプリを開けたら、ヘッダーのとおりの通知が来ていて嬉しくなった。当該の記事で紹介した、文藝春秋からのライブ配信も楽しく盛り上がった。みなさん、ありがとうございます。 そこでも話したとおり、今年起きた左派やリベラルの壊滅的な崩壊は、...

逸脱的な――大っぴらには自慢しにくい快楽を、味わいたい。しかしそのことで、周囲から避けられてしまうのはイヤだ。言い換えれば、属するコミュニティに敵対するのではなく、むしろ「奉仕する」体裁で、自分の中にある健全でない欲求を発散したい。

昔なら、祭礼の日はムラを挙げての無礼講になり、マナー違反が許されるといった形をとったのだろう。しかしそんな日本人のエートス(気風)は、平成後半の情報環境や消費資本主義と結びつくことで、土や汗のにおいもせず、一見すると文字どおりに「クリーン」な逸脱の様式を生み出した。

令和に訪れていまも止まらない、専門家を「推し」のタレントのように神輿に乗せ、主張に沿わない相手をネットで告発し、SNS上の集団で罵声を浴びせる風潮は、まさにそうしたインフラの上で起きている。

拙著、60-1頁
(強調を追加)

そんな現状について、大澤聡さんが『毎日新聞』の文芸時評で、拙著の別の比喩を引きつつ、広く問題を提起してくれた。とてもありがたい。

文芸時評:10月 SNSに溶ける 吐き出される内部の熱=大澤聡 | 毎日新聞
AI用のデータセンターから吐き出される膨大な廃熱で、施設周辺の地表温度が平均2度も上昇したとか。データ・ヒートアイランドなる単語まで飛びだす。デジタルがフィジカルに影響する。ねじれる。SF的なAIの大暴走など待たずとも、ハリガネムシに寄生さ...

Xで小川〔公代〕が「暴力」だと反論し、識者風のユーザーたちが群がって炎上化した、最近おきまりのその流れに問題はある。……蓮實〔重彦〕の本文を雑誌で読むことすらほとんどないまま、小川側か蓮實側かのシンプルな二択で立場が表明されてゆく。
(中 略)
たとえば、與那覇潤『なぜ「まちがえた」と言えないのか』(東洋経済新報社)にならって、学問や批評が「SNSに溶けた」と表現してみてもいい。もしくは「SNS全体主義」と。Xもまたクリーチャーのごとき全体として人類の手に負えなくなって久しい。

『毎日新聞』2026.10.29夕刊

強調したのはぼくだけど、「識者風」の風の1文字が、問題の本質を滲ませてなんともいい。先日書いたように、他の分野の “識者” にすぎない人が、ファクトも調べずSNSのオトモダチ関係だけで、しゃしゃり出る例もある。

いかに優れた知能の持ち主でも、四六時中切れ目なしにストロングゼロを飲んでれば、ふるまいが支離滅裂になり、あたかも脳がアルコールに溶けたのと同じになるだろう。そんな状態を “推し” てきたのが、コロナ禍以降のSNSだったのだ。

オープンレターの周辺で「ケア」を叫んだけもの: 小川公代氏の場合|與那覇 潤
嘘つきはオープンレターズの始まりだが、懲りないふるまいで恥をかく、学者の連鎖が止まらない。もともとレター公開の翌年(2022年)に「私は署名してません」と言い出した識者すら、かねて疑念が寄せられており、 ましてレターを全削除し逃亡してから「...

どうすればいいのか。解決策はシンプルである。

しらふに戻ればいいだけだ。SNSが生まれたのは2000年代の後半で、日本で普及したのは10年代にすぎない。それ以前には悪酔いせず、もし「まちがえた」ら素直にそう言える、学者と読者の関係がふつうになり立っていた。

舟津昌平さんとの3本目の対談(最終回)では、拙著に登場する具体例も添えて、あるべき「専門家」の姿を提言しなおしている。

「『坊っちゃん』はコンプライアンス小説である」漱石が描いた学者の盲点と「まちがえた」と言える条件
現代社会では、誠実に「まちがえた」と認める人ほど叩かれ、居直る者だけが生き残る――そんなゆがんだ風潮が広がっています。専門家であれ一般人であれ、間違いを正直に認めることがいかに難しくなったのか、本記事はその社会構造と課題を探ります。あなたは...

與那覇 TVでコメントしたり、ネットでケンカするだけなら、色んな職業の人がいる。その中で「学者」がなぜ一目置かれてきたかといえば、違う意見の人とも怒鳴りあわず、自分の信念を叫ぶだけでなくそう考える根拠を添えて、落ち着いて議論する姿を見せてきたからでしょう。

ところがコロナ禍以降に出てきた「専門家」たちは、その遺産を食い潰してしまった。……『なぜ「まちがえた」と言えないのか』でも採り上げたとおり、平成までは実例が多くありました。

経済学者の中谷巌さんや浜田宏一さんは、政府に提言した政策の誤りをそれぞれ認め、国際政治学者の田中明彦さんも、イラク戦争でアメリカを信じたことへの反省を述べている。それが令和にできないというのは、さすがにおかしな話です。

東洋経済オンライン、2026.10.30
(段落を改変)

前回も紹介したとおり、そうした本来の学問の姿を知っているホンモノは、コロナの最中も “闇酒場” でカクテルの勉強をしながら過ごした。まぁ公園ではストゼロにもお世話になったけど(笑)、それは今回の本題じゃない。

同じ時期に度数だけが高く、ハイになってリンチの高揚感を味わえるドラッグをSNSでばら撒いてきたニセモノの学者は、いわばトー横の市販薬売りみたいなものだ。そうした “合法的な犯罪者” の責任がいま、問われている。

コロナが教えてくれたバーとカクテルの愉しみ(おすすめオーダー10選つき)|與那覇 潤
金子書房の編集者である加藤浩平さんの誘いで、「バーという居場所」について、同社のnoteに寄稿した(リンクは末尾に)。知らない方のために添えると、金子書房は心理学や教育、発達支援が専門の出版社である。 前も書いたけど、加藤さんと知りあったの...

あなたが暮らしたいのは、どちらのインターネットだろう。言論の自由が守られ、いつでも異なる意見を発信できる、エスプリに溢れた環境か。それとも「早く犠牲者をよこせ!」と奇声を上げて、中毒者の群れが徘徊する知性のスラムか?

この記事を読んだ後、あなたはどちらのグラスを手にとるだろう。つまり、誰の著作を読み、アカウントをフォローするのだろう。

カクテルか、ストゼロか?

さすがにこの問いだけは、「正しい答え」はひとつしかない。ぜひそちらを選び、ほんの10年ほど前にはあたりまえだった、「正しい世の中」を取り戻す手伝いをしてくれる方が、ひとりでも増えることを願っている。

参考記事:1つめが対談の1本目!

「専門家が占い師化している」――聞き手が望む答えを語る人が売れ、間違いを認める人が損をする現代社会
専門家が間違いを認めず、社会もそれを問いたださないまま次の話題へ進む現状。その背景にはSNS普及による「間違いを恐れる空気」や、権威と大衆が互いに責任回避し合う構造がありました。信頼をどう再構築できるのか、問い直します。(このリード文はAI...
アルコール(1) ストロング系チューハイというモンスタードリンク――松本俊彦「身近な薬物のはなし」
安価で飲みやすく、そして度数の高いストロング系チューハイ。そのブームの背景とアルコールがもたらす広範な健康被害とは?

(ヘッダーは「アヘン窟」のWikipediaより)


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2026年11月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください

コメント投稿をご希望の方は、投稿者登録フォームより登録ください。

コメント