日経ビジネスの特集「富裕層の正体、彼らが消費をやめた理由」はタイトルをみた瞬間思わず、飛びついて読んでしまいました。
消費をしないとされる理由に 1. 金持ち歴が浅い 2. 目立ちたがらない 3. 忙しい 4. 資産を換金しにくいという理由が挙がっています。また、欧米の富裕層との違いとして欧米の人たちはキャッシュリッチで世の中のために率先して消費する、とあります。
読んでいろいろ思うところがありましたので少々、私の考えを述べさせてもらいます。
欧米には新興リッチとファミリーリッチがあります。新興リッチとは一代にして築き上げた富でその傾向は派手で目立つことが比較的好きです。たとえば不動産の仕事を通じてペントハウスと称する最上階の部屋を購入するのは新興リッチが多かったのが私の経験です。なぜ、最上階でなければならないのか、とかつて聞いたことがあるのですが、答えは「その上に人がいないから」。お分かりだと思いますが、トップを目指す志向が非常に強いのです。
この手の人たちは誰よりも早く最新のモノを手に入れたり、珍しいモノを人に見せたりするのが好きな傾向があります。消費も旺盛なほうだと思います。
スコットフィッツジェラルド作の「華麗なるギャツビー」という本があります。20世紀の英語の小説としてはトップクラスの評の名著ですが、この小説の舞台は1920年代のニューヨーク近郊の富裕層の正体なるものが背景となっています。知らない者が週末のパーティーに集まってくるその派手な生活は新興リッチの象徴のようにも見えます。
一方、ファミリーリッチ。こちらは○○家の名を何代にもわたって引き継ぐ名家ですから、当主は当然ながら次世代に引き継ぐためのランナーの一人でしかないのです。つまり、当主が無理なことをすれば次のランナーにたすきが渡せないので迷惑がかかります。箱根駅伝があったばかりなので想像しやすいと思います。私のよく知っているファミリーリッチの某氏。総資産は日本円で多分うん十億円かその上の桁にいくと思います。その彼は毎日飲むワインが趣味のひとつ。ただし、予算枠は一本20ドル程度。1700円が高いワインかといえばワインの世界である欧米においてほとんどテーブルワインに毛が生えたようなものです。これでは10年間飲み続けてもせいぜい650万円しか消費できないのです。
ではなぜ、それでも20ドルなのか、といえば残った資産を次につなぐための何者でもないのです。そして、次世代、またその次の世代に於いて子供たちが「お父さんやおじいさんはファミリー資産を守って偉かった、だから自分もそうする」という気にさせるのです。
ところで日本における富裕層とは金融資産1億円以上をもっていることといわれていますが、私なりの解釈は自宅を除いた動産、不動産がネットで1億以上ある人と考えています。この定義が正しいかどうかは別としてその人数は日本には76万世帯、更に超富裕層とされる5億円以上が5万世帯となっています。正直言って5000万世帯の母数に対して人数が少ないのであります。つまりこの人数で富裕層の消費云々を談じるには統計サンプルが小さい気がいたします。
また、日本には相続税の関係でファミリーリッチが作られにくい環境にあります。私が知っている数件のファミリーでも私が小さい時には大きな屋敷があったのに今では不動産開発会社に売られ、細切れの分譲地になっているのです。理由は相続税対策で売却せざるを得ない、というものです。
ということは日本では新興リッチが主流ということになるのですが、先ほどの華麗なるギャツビー氏のように家に何十人も人を呼んでホームパーティーをいつもやっているような人はまずいないでしょう。なぜなら人を呼ぶ家が富裕層といえども小さいし、もともと家に人を呼び込む習慣は欧米ほどないのであります。更に家を人に見せるのを嫌がる人もいまだに多いのであります。
つまり、日本の富裕層は孤独な富でありその使い道が比較的閉ざされているといった方が良いのかもしれません。毎日2万円の食事を10年続けても7300万円。読売新聞の某社主はこういう生活をしているようですが、食べ物は一日3回しか食べないのですからその消費は知れており、使い切れないのであります。
欧米のように人にばら撒く=寄付をするという行為も日本ではあまりポピュラーにならず、結局、何が待ち受けているかといえば国税が「おいでおいで」をしているところにすーっと吸い寄せられるという仕組みしか見えてこないのであります。
私の友人が以前「金持ちになったってさー、…」と恨み節にも聞こえるセリフをはいていたのですが案外、そのとおりなのかもしれません。もっとも金持ちは金持ちになりたくてなったわけではなく、仕事の熱意が講じて結果としてそうなったということを最後に付け加えておきましょう。
今日はこのぐらいにしておきましょうか。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2013年1月11日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。