スポーツや教育に体罰は必要なのか?

前田 陽次郎

体罰を容認する意見が掲載されましたので、それに反対する意見を書きたいと思います。

生島氏の意見は、ある意味体罰容認派の典型的な考え方であるといえます。簡単に言えば、「口でわからない奴には、体で覚えさせるしかない」ということです。

しかし、その手段としては体罰を与えることしかないのでしょうか。


口でわからないから体で覚えるしかない。それはある意味正しい考え方です。指導者の言う意味が理解できない時には、とりあえず無理矢理にでも言うことを聞かせて、後になってその意味がわかる、というのは、よくあることです。

しかし頭で理解できないことを実行させるのに、繰り返しになりますが体罰という方法しかないのでしょうか。

決してそうではありません。体罰を与えなくても、相手に威圧感を与えれば、嫌々でも言うことを聞くでしょう。怖い人に怒られたら、自分では違うと思ったことでも、たとえ手を出されなくても、言うことを聞かないと怖いと感じて、とりあえず言われた通りにする、ということは、あるでしょう。

実際に手を出さなくても、威圧感を与えるだけで広い意味での体罰だ、という考え方もありますが、ひとまず置いておくことにします。

生徒に対して威圧感を与える手段として、体罰を加えるのか、それ以外の方法を取るのか、というのは、指導の技術的な問題です。そして技術的には、体罰を加える方が手っ取り早いです。だから、「口でわからない奴には体で覚えさせるしかない」という話に結びついてしまいます。

体罰は簡単な手段ですが、その使い方は、実は難しいのです。だから生島氏が指摘するように、「体罰が悪いのではなく、間違った体罰が悪いのです。」という考え方につながります。

ここで、「間違った体罰が行われないように注意しながら体罰を容認する」のと、「体罰以外の方法で生徒を威圧することを指導者に求める」のとでは、どちらが悲惨な事件を防げるのか、ということが選択肢になります。

少なくとも私は、体罰は禁止して、体罰以外の方法で生徒を威圧する技術を指導者に身に付けてもらう方が、悲惨な事件を防げると思います。

繰り返しますが、「手を出さなくても生徒を威圧すること自体が体罰であり禁止すべきだ」、という考え方もありますが、私はその意見にまでは賛同しません。

長崎総合科学大学非常勤講師
前田 陽次郎