きのうの朝日新聞の香川俊介・元財務次官の記事が、ちょっと話題になっている。彼はかつて小沢一郎氏の側近として知られ、『日本改造計画』の編集長だったが、昨年8月、食道癌で死去した。彼の追悼文集『正義とユーモア』で、小沢氏が「香川氏が事務次官になって心の荷が下りた」と書いたという。
それより私が驚いたのは、週刊文春の記事だ。消費税の増税延期をめぐって、菅官房長官は当時の香川次官とこういう会話をかわしたという。
ある日、[香川氏を]官邸に呼んで、「消費税の引き上げはしない。おまえが引き上げで動くと政局になるから困る。あきらめてくれ」と静かに話をしました。香川はつらかっただろうけど、「長官、決まったことには必ず従います。これまでもそうしてきました。ですが、決まるまではやらせてください」と言っていました。
これは2014年に香川氏が次官に就任した後なので、この年末の解散が「財務省の仕掛けた政局を封じるためだった」という噂を官房長官が裏書きしたものだ。12年に消費税増税法案が民主党政権で成立したあと、香川氏は癌の手術をしたが再発した。この会話のとき、彼はすでに余命が短いことを覚悟していたはずだ。
週刊現代によると、香川氏は「待機ポスト」で休養するようにという人事の申し出を断って、13年に主計局長に就任したという。文字通り命がけで増税したわけだが、彼の意に反して増税は延期され、彼は死去した。菅氏には、少し自責の念があったのだろうか。
死期を悟った人が命を削ってまで実現しようとした目的を、省益や私利私欲で説明することはできない。彼は追悼文集のタイトル通り、正義の人だったのだろう。財政再建に殉じた香川氏の行動は、目先の選挙のために増税を延期した安倍首相や菅氏に比べると、はるかに崇高にみえる。財務省の官僚の多くが、こういう使命感をもっている。
しかし――死者に失礼を承知でいうと――財政タカ派は正しかったのだろうか。もちろん増税が「景気の腰折れ」を招くとか、税収が減るとかいう類の話には根拠がない(税収は大幅に増えた)。もっと根本的なのは、財政収支は均衡しなければならないのかという問題だ。
短期的に均衡する必要はないが、無限に「ネズミ講」を続けることはできない。では10年で均衡する必要はあるか、100年ではどうか…と考えると、答は自明ではない。100年ネズミ講を続けることができれば、無限に近い。金利水準が今ぐらいなら、政府債務がGDPの3倍になっても4倍になっても、日銀が国債をすべて買えば名目債務のデフォルトは防げる。
問題は金利上昇が起こるかということだが、これも100年間をとれば確率1で起こるだろう。そのとき日銀が国債をすべて買い取ると、大幅な債務超過になる。これは政府が(一般会計で)救済できるが、それによって財政赤字がさらに拡大し、それを日銀がファイナンスするとハイパーインフレになるおそれが強い。
このような悲劇から日本を救いたいというのが香川氏の正義感だったと思うが、それは現実的なのだろうか。消費税を5%ポイント増税するのに22.5年かかった日本政府が、それを30%まで上げるには90年かかる。さらに1600兆円を超えると推定される(オフバランスの)社会保障債務を、裁量的に削減することは不可能に近い。
福沢諭吉のいうように政治は「悪さ加減の選択」だとすると、統合政府部門(政府と日銀)が減税で財政赤字を増やしてインフレを起こすことは政治的に可能であり、考慮に値する。問題はそれをコントロールできるかどうかだが、おそらくできないだろう。日本経済は一時的には「焼け跡」になるかもしれないが、政治をリセットする効果もあり、貧乏人と若者はほとんど損しない。
ハイパーインフレというワーストシナリオでも、将来世代に莫大な政府債務を先送りするのと、どっちが悪いかは自明ではない。将来世代が自分たちの負担を決めることができないというデモクラシーの欠陥を、現在の政治家が悪用しているからだ。
リフレ派は単なる無知だが、財政タカ派の人々も正義感が強すぎて、インフレを考えること自体をきらう。だがこのまま放置していても、いずれ金利上昇は起こる。香川氏の悲願を達成するためにも、「考えられないことを考える」必要があるのではないか。財政タカ派のみなさんの反論を歓迎する。