池田さんの紹介にあるように、Googleは著作権保護のオプトアウト(権利者が拒否しない限り許諾したとみなす)への転換をめざしていると、近著「著作権法がソーシャルメディアを殺す」で紹介した。その転換が実現の方向に向けて大きく前進した。11月14日、ニューヨークの連邦地裁がGoogle Books とよばれる書籍検索サービスにフェアユースを認める判決を下したからである。09年に日本の出版業界にも黒船騒ぎを巻き起こした訴訟の判決である。
訴訟は図書館の蔵書を無断でGoogleにスキャンされた全米作家組合などが05年に提起した。08年に和解案が発表されたが、当初の和解案では全世界の著作権者が対象とされたため、日本の出版業界に電子書籍の黒船騒ぎが起きた。その後、対象を英国および旧英領諸国に絞ったため、日本は対象外となった。その修正和解案も11年に裁判所が承認しなかったため、訴訟に復帰していた。
フェアユースは米著作権法第107条に定める4要素を考慮して、公正な使用であると判定されれば、許諾なしの使用でも著作権侵害とはならない。必ず満たさなければならない「要件」ではなく、考慮すべき「要素」なので、Google にとって不利な侵害と認定される要素があっても、有利な非侵害の要素の方が多ければ、総合判定で侵害とはならない。Google Books訴訟でも地裁は4要素について分析しているが、ここでは第3要素と第4要素についての判定を紹介する。
第3要素は「使用された部分の量と質」である。全部はもちろん大部分をコピーすると当然、侵害とされる。また、ほんの一部でも作品のコアの部分をコピーすればやはり侵害となる。検索エンジンは、検索結果についはスニペットとよばれる3~4行しか表示しないが、検索用のデータベースを作成するために、ウェブ検索サービスではホームページ全体を、書籍検索サービスでは書籍全文をコピーする。
2000年代前半のウェブ検索サービスに対する訴訟では、3件ともフェアユースが認められた。これら3件の訴訟でも、第3要素は検索エンジンに不利(侵害)とされた。しかし、全体をコピーしないと検索サービスが成り立たないことや検索サービスのもたらす社会的効用を考慮して、若干不利にすぎないとされた。
今回の書籍検索サービスに対しても裁判所は全く同じ判断を下した。検索サービスの提供には全文コピーが欠かせないこと、検索結果の表示を数行に限定していること、書籍検索サービスのもたらす社会的効用が大きいこと などからGoogle 不利(侵害)だが、若干不利にすぎないとした。最後の社会的効用については、判決を書いたチン判事も9月の口頭弁論で、自分の書記官も文献調査に重宝していると指摘した。
第4要素は「使用が原作品の市場を奪うか否か」である。判事はGoogle Booksによって探している本が見つかれば、購入につながる。つまり、市場を奪うどころか逆に開拓することから、圧倒的にGoogle有利(非侵害)とした。
対照的に、日本の最高裁が11年に違法判決を下したまねきTV事件やロクラクII事件のサービスは、海外に住む日本人が日本のテレビ番組を視聴できるように留守宅に代わって録画して、ネット経由で視聴できるようにするサービスだった。原作品の市場を奪うわけではなく、海外に住む日本人向けの市場を開拓するサービスだったが、日本ではこうした新市場を創出するサービスでも侵害とされてしまう。
説明は割愛するが、第1,第2要素でもGoogle有利(非侵害)とされた。この結果、第3要素以外はGoogle有利(非侵害)となり、総合判定でフェアユースが認められた。第3要素の検討でも考慮した社会的効用について、チン判事は最後の総合評価のところでもその効用が極めて大きい点をあらためて強調した。
こうした社会的効用の大きい書籍のデジタル化についても、日本ではフェアユース規定がないことがネックになっている。国会図書館の書籍デジタル化事業がそれを実証している。07年4月27日に開催された文化審議会法制問題小委員会著作権分科会で、国会図書館の田中久徳電子情報企画室長が事業の概要を紹介した。詳しくは文化庁のHPを参照されたいが、筆者なり要約すると以下のとおりである。
①国会図書館は、明治時代に刊行されたすべての図書をデジタル化する「近代デジタルライブラリー」事業の中で権利の調査を行った。
②全体の約7割にあたる5万人強の権利が不明だったため、決まっているルールに従って様々な調査を行った。
③その結果、1冊当たり数千円、1名についても同じく数千円、総額では2億6,000万円近い経費がかかった。
フェアユースは経済学でいう市場の失敗に対する解決策である。市場の失敗は、ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンの「ミクロ経済学」(東洋経済新報社)によれば、「個人の自己利益追求が社会全体に悪い結果をもたらすとき生じる状態」である。資源のない日本の方が、フェアユースがないために国会図書館の書籍デジタル化計画に見られるように資源の浪費を強いられ、社会全体の利益が損なわれる結果を招いているわけである。
米国のように社会全体の利益になるのであれば、オプトアウトへの転換も可能にするフェアユース規定について、日本でも2000年代後半に導入が検討されたが、権利者の反対で骨抜きにされてしまった(その経緯については近著の第2章参照)。
今回、米国でも画期的と評価される判決が出たのを機に再検討しないと、米国との差は開く一方で、よく指摘されるネットサービスのプラットフォームを米国勢に握られてしまう問題の解決は望むべくもない。
米国では今回の判決のように裁判所が新技術や新サービスに好意的な判決を下す理由は、フェアユース規定の存在以外にもある。この点については「その2」で紹介する。
城所 岩生