原口氏の「小沢を使え」発言にみる政治家の素養 - 矢澤豊

矢澤 豊

7月27日付、毎日新聞の記事から。

民主党 「小沢氏を使え」…原口氏が注文
原口一博総務相は27日、菅直人首相の政権運営について「私たちは自民党に比べ圧倒的に弱い組織でやっている。小沢一郎(民主党前幹事長)という大なたを使わずして誰を使うんだ」と述べ疑問を呈した。東京都内で記者団に語った。ただ「(小沢氏は)ときどき味方が信頼できなくなるのか、1年半に1回くらい大きな出来事が起きる。トラウマなんだろうか」とも述べ、新進党解党などで「壊し屋」と呼ばれてきた小沢氏への警戒感も示した。


私は個人的に原口氏なる人物を存じ上げません。また、正直なところ、池田さん初め、アゴラ寄稿者中の多くの方々のように、電波・通信・放送行政に詳しくありませんので、総務大臣となった原口氏の「政策発案者/執行者」としての力量を評価することも差し控えたいと思います。

しかし上に引用した新聞報道から推し量ると、あまりスジのいい政治家とはいえないようですね。

議院内閣制を採用する日本の政治制度の枠組みの中で、内閣のメンバーは議会、そして議会を通じて有権者たる国民に対し、連帯責任を負っています。

原口氏は総務大臣として内閣の一員なのですから、総理大臣たる菅氏の政権運営をアレコレ評することに慎重であるべきはずです。 もし菅氏の方針に反対なのであれば、大臣の座を辞した上で、一党員/一議員として自分の信ずるところ発言すべきなのです。

こうした「筋」を通さず、個人的な「疑問」とやらを周囲の「記者団」とやらに開陳する。なにを意図しているのか、はっきりとは分かりませんが、あまり友だちにしたくないタイプですね。ましてや大臣、総理など、とても、とても。次回、「疑問」とやらが生じた時は、周りの人に聞こえるような大声で考えるようなことはせず、まず一人で黙って考えた後で菅さん本人にその意を糺してみてはどうでしょうか。小沢氏のためにアドバルーンをあげてみているのであれば、ますます「大臣」という器ではないと思えます。

総じて日本の政治家は、自分の「言葉」に対して軽卒すぎます。メディアの批判を集めると「本意でなかった」と安易に引っ込めたり、実体のない「腹案」をもてあそんだり。そんな空虚な「パフォーマンス」の向こうに透けて見えるのは、「信念」の不在です。

私は民主党の支持者でもありませんし、率直に申し上げて総理大臣は菅氏には荷が重いと思っている人間です。また小沢氏の復権を期待するものでもありません。しかし、民主党は自ら「カネと政治」の問題に一定の決着をつけるために、「鳩山・小沢」のツー・トップ体制を退陣させたのではなかったでしょうか。それを選挙に勝てなかったから「小沢を使え」では、選挙民を愚弄するにもほどがあるというものです。

またこうした「信念」に裏打ちされないパフォーマンスにより、犠牲となっているのは、政策の遂行者としての政治家の地位そのものです。原口氏のような、「忠誠心」以前の「節操」に欠けるような人材に囲まれた中で、「求心力の低下」などといわれてしまっては、菅氏もみもふたもないでしょう。こうした政治家のオウンゴールの間隙をついているのが、官僚利権であることに気がついていないのでしょうか。

原口氏はどうやら政治家として成長する前に、もう「エラく」なってしまったようなので、医学用語でいうところの「手遅れ」というやつでしょうが、今回の参院選で初当選された方々を含め、若手政治家の皆さんは、決して「言葉」を弄するような政治家にならぬよう、自らを謹んでください。

みている人は、みているのですから。