シレジアから - 矢澤豊

矢澤 豊

この夏休み、ポーランドのシレジア地方に行ってきました。

(Wikipediaより抜粋)
シレジアは、現在のポーランド南西部からチェコ北東部(プロイセン王国時代の行政区画も含めればドイツ東部のごく一部も)に属する地域の歴史的名称。支配者は様々に変化してきた。シレジアはドイツ語でシュレージエン、ポーランド語でシロンスク、チェコ語でスレスコ、ハンガリー語でシレージア、英語ではサイレジアとなる。

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なぜまたそんなところまで出かけてきたのかと申しますと、ポーランド人の女性と結婚したイギリス人のラグビー友だちが招待してくれたのです。彼はシレジア地方の17世紀に建てられた領主司教(Prince Bishop)の城館(たぶん別荘)を買い取り、4人の子供(最年少は双子、また奥様は5人目妊娠中...ご苦労様です...)とそこに住みながら館の復旧作業を続けているのです。

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(現在の城館)

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(かつての城館)

詳細は彼のホームページをご参照ください。

シレジア地方の最大都市、ブロツワフ(ドイツ名ブレスラウ)から「車で2時間」と聞いていたのですが、彼のメチャクチャな運転で2時間ジャスト。普通でしたら少なくとも2時間半。いやはや、ものすごい田舎でした。遠くに見える丘の陵線を越えれば、もうそこはチェコという場所です。

シレジア地方と言えば、18世紀の「ポーランド分割」、「オーストリア継承戦争」の舞台となった土地。あやふやながらも知識があるのは、あの「ベルばら」池田理代子大先生のおかげです。(*1)

シレジアは、元はカソリック・ハプスブルグ家の領土でありながら、域内のプロテスタント勢力がことあるごとに叛意を示していた地方なのですが、結果として「大王」フリードリッヒ2世率いるプロテスタント・プロイセン王国の支配権を受け入れる事で、ドイツ化が急速にすすみました。

しかし、第一次世界大戦後のドイツ・ワイマール共和国の低迷と、遅ればせながら勃興してきたポーランド国民主義にともない、ポーランド系住民の蜂起があり、第二次世界大戦のナチス・ドイツの崩壊とともに、ドイツ系住民は追放。かわりにソ連に占領された元ポーランド領のガリツィア地方からの移植者が、シレジアに入植しました。

友人の城館の最後のドイツ人所有者は、この地でサトウ大根から砂糖を精製する仕事に従事していたらしいのですが、敗戦と赤軍兵士に先んずるべく、貨車一杯に積んだ砂糖とともに、ドイツへ逃げたそうです。友人は現在ではドイツのマインツに住むという遺族に連絡を取り、往事の城館に関する資料などを取り寄せ、復旧作業の参考にしているそうです。

共産主義時代は、付近の農場で働く数世帯が住む、共同住宅と化していたという城館でしたが、共産主義の崩壊とともに、かつての居住者は不動産投機家氏の提示した現ナマをつかんで、倒壊寸前であった城館から退去。友人はその投機家氏から、買い手がつかず塩漬けになっていた城館の廃墟を買いとったのですが、復旧作業を進めるうちに、(ドイツ人前オーナーの遺族の証言によると)前世紀初頭セントラル・ヒーティングシステムの導入とともにカバーされていた、17世紀建築当時の天井画などを再発見。新領主様となった友人はどうみても「工事現場」といった風の居住空間に住みつつも、意気なお盛んでした。
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しかし、共産主義時代から住んでいる、今では高齢となった移植者第一世代の近隣住人との間に、境界線問題や、城館の敷地内を通る上下水道、また私道の利用問題などがあり、私たちが滞在した二日間でも地元の村長さんを交えた井戸端会議などがあったりして、新領主様もなかなか大変なようです。

付近の38世帯が所有権を共有し、全く関係ないものが勝手に大麦を育てているという、城館の裏の畑を歩きながら、

「近い将来はここを買い取ってラグビー場を作ろうと思っているんだ。2面ぐらいはとれるだろ!」

と夢を語る友人をみながら、この21世紀に領主様ビジネスもなかなか大変だなと。

ロシア兵とポーランド人に追い立てられて、命からがら逃げなければならなかったドイツ人の旧領主一族。共産主義政権の命令で入植したものの、都市部に職を求めて去っていった若い世代に置いてけぼりにされ、帰る故郷といってもこの地しかない近隣住人。遠いイギリスからやってきて、この古い土地に新たな王朝を開闢せんという意気込みのわが友人。現在、この地方の一番の雇用者はカナダの食品メーカー大手、マケイン・フーヅと、韓国のLGだという話。あれやこれやに思いを馳せつつ、村のはずれの森の一角、ちょうど廃線となっている鉄道の線路が森をかすめるところにあるというユダヤ人墓地のあたりを眺めながら、私は仮想大国「ヨーロッパ」という幻想が内包する合理と矛盾の曼荼羅模様にちょっとした目眩を感じていました。

*1

オマケ
友人の娘3人に男の子1人。今秋には男の子の援軍1人到着予定。
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