門はなぜ開かなかったか? - 書評 - Google Wave 入門

小飼 弾

日経BP高畠様より献本御礼。

今年出た本の中で、最も悲劇的な一冊。

なぜなら、Google Waveは終わってしまったからだ。

それも、本書上梓前に。

なんでこんなことになってしまったのか。

本書「Google Wave 入門」は、タイトル通りの一冊。

しかし本書で入門すべき Google Wave は、すでに終わっている。

なぜ終わってしまったのか?本書がそれを教えてくれる。

whats-wave

開発者にとっては「プラットフォーム」、一般ユーザーにとっては「プロダクト」、そしてサービスプロバイダーにとっては「プロトコル」。この時点で、もう Google Wave が何なのかは誰にもわからない。それがどんなプラットフォームで、どんなプロダクトで、そしてどんなプロトコルなのか。それは本書にも書いてあるが、読めば読むほどそれが何なのかわからなくなるだろう。

強いてヒントらしいものを求めるとなると、以下だろう。

そで、コミュニケーションについてなんだが、これまでのところEメールがインターネット僕らがコミュニケーションする一番ポピュラーな手段ということになっている。これは驚くべきことだ。だってEメールは40年以上前に発明されたものだからね。インターネットよりも、ウェブよりも前だ。Eメールは次のようなものの知識がない状態で開発されている。SMSやIM、ブログ、Wiki、BBS、ディスカッショングループ、メディア共有サイト、共同編集ツール、ようするに今ではみんなが当たり前と思っているいろんな種類のコミュニケーションを知らないまま作られた。加えてコンピュータやネットワークもこの40年の間で劇的に進化している。なので、一番初めに、もう二年以上前だけど、僕らは自問したんだ。もし今Eメールが発明されたとしたら、一体どういうものになるだろうか、とね。

Waveの生みの親であるRasmussen兄弟の、言葉である。

彼らがいかにすばらしい技術を持っていて、そしてそれ以上にコミュニケーションついて何もわかっていなかったかを、Wave終了ほど明確に示すイベントはないだろう。

Eメールの代替として、Waveのどこがだめなのかは、以前書いた。

そしてWaveは落ち着くところに落ち着いた。すなわち終了したのである。

そして上記の「彼ら」は、 s/Rasmussen兄弟/Google/ としても成り立つ。

Googleの何が問題か?

人々が「わからない」ことが彼らに「わからない」ことである。

一言で言えば、中二病だということである。

「こんな賢いオレをどうして理解してくれないのか」

決まっている。理解する必要などないからだ。

それを理解して何かいいことがあるという予感を得てはじめて、人は理解をはじめるのだ。

Googlersにはおそらく、フルコースとそのフルコースをミキサーにかけて出て来たどろどろのペーストとの区別はできないのだろう。「栄養学的にどう違いがあるのか」というわけである。

その違いがわかるようになるまで、

彼らは同じ間違いを繰り返し続ける。

そんな気がしてならない。

Dan the Communicator