★★★☆☆(評者)池田信夫
著者:岸 宣仁
文藝春秋(2010-08)
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財務官僚というと、世間では「成績優秀なエリート」と思われているのだろうが、私の学生時代の印象では、大蔵省に入ったのは秀才というより権力志向の強い特殊な学生だった。大学に入ったときから公務員試験の勉強をし、授業には欠かさず出席する。大蔵省は良が3つ以内(あとはすべて優)でないとだめだといわれたので、入るのは勉強に疑問をもたず先生に忠実な学生だった。
こういう採用のしかたが財務省の業務に適しているかどうかは疑問である。本書も指摘するように、学校秀才タイプはあまり事務次官にならない。それは財務省が官庁の元締めであると同時に、政治的な利害を調整する役割をもっているからだ。これは本来は政治の仕事だが、自民党政権はその仕事を役人に丸投げして利益誘導ばかりやってきたので、財務官僚が政治家にならざるをえなかったのだ。
その結果、財務省の人事は時の政権に翻弄されるので、その試練をくぐってきた大物官僚には、世間の印象とは違って癖のある人がけっこういる。「十年に一人の次官」といわれた斉藤次郎氏がその代表だが、「斉藤組」といわれた人々には、よくも悪くも豪傑型で個人的にはおもしろい人が多かった。
本書の大部分はこうした財務省のゴシップだが、そういう人脈が日本の財政・経済政策に強い影響を与えてきた。特に90年代後半の不良債権処理の失敗と過剰接待問題は大蔵省の権威を大きく傷つけ、本流と目された人々が脱落し、自民党の介入によって大宝律令以来の「大蔵省」が解体された。こうした財務省の弱体化が、現在の巨額の財政赤字の一つの原因だ。
民主党政権はこうした霞ヶ関の本丸に切り込めないため、「政治主導」は空振りに終わった。財務省から予算編成機能の一部を奪おうという国家戦略局構想も宙に浮いてしまったが、実現したとしても機能するかどうかは疑問だ。日本は西洋的な「法治国家」といより儒教的な「人治国家」であり、官僚機構を動かしているのは法律や政策ではなく、本書に書かれているような生臭い人脈だからである。
コメント
私も読みましたが、財務官僚もサラリーマンと同じ?ように、人事を気にしていることがわかりました。
しかし、人事は上の人が決めるので、手堅い人が選ばれるときもあれば、豪傑型の人が選ばれることもあるのでしょう。
ということは、人が人を選んでるのですから、人の組み合わせで組織の盛衰が決まるということでしょうか。