閉塞時代に生きる知恵 - 『ポストモダンの正義論』

池田 信夫

★★☆☆☆

ポストモダンの正義論 「右翼/左翼」の衰退とこれから(双書Zero)
著者:仲正 昌樹
筑摩書房(2010-09-18)
販売元:Amazon.co.jp
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菅改造内閣が発足したが、世間の反応は冷ややかだ。労組や旧社会党出身者で固め、「強い社会保障で強い経済」などという奇妙な理念を掲げる内閣が、首相のいう「閉塞状況を打破」できる可能性はないからだ。その左翼的センスの古さは救いがたい。

菅氏の学生時代には、インテリといえば左翼と決まっていた。その根底にあるのは、歴史はつねに進歩し、人々は豊かになるという歴史観だった。その流れに棹さす進歩派にはルソーやロックからヘーゲルやマルクスに至る大知識人がいたが、保守派はバークやハイエクぐらいで、理論と呼べるものもない。貧しい日本で、勉強の好きな若者が進歩派の華麗な理論に魅了されるのは当然だった。

他方、高度成長期の日本では、所得が急速に伸びることによって一種の進歩史観が広まった。左右の進歩主義に共通するのは、生産を拡大して豊かになることが進歩だという「生産中心主義」だった。

しかし1990年前後に、社会主義の崩壊で<左>の進歩主義が崩壊すると同時に、バブル崩壊で<右>の生産中心主義も挫折し、人々を支えてきた目標が失われた。日本人は、いまだにその気持ちの整理ができないまま、新たな目標を探し続けている。本書は、こうした進歩史観の歴史をフランス革命を起点にしておさらいした解説書で、あまりオリジナルな話はない。

問題は、こうした閉塞状況にどう対応すればいいのかということだ。著者は、閉塞感という言葉の裏には、社会は進歩していなくてはならないという進歩史観が残っているのではないかと指摘し、閉塞感と共存する「ミニマルな正義」を提唱する。成長時代が終わった今は、著者もいうように「安定」や「共感」を重視したほうがいいのかもしれない。望んでも、生産力の回復はもうできないかもしれない。

しかし貧しくなる中で生活を安定させることは、かえって困難になるだろう。あまり増えない富を大事に使うには、それを老人に再分配する「強い社会保障」ではなく、生産性を阻害しないように再分配する知恵が必要なのではないか。

コメント

  1. disequilibrium より:

    老人が重視する、労働至上主義の観点では、社会は貧しくなる一方ですが、その逆の観点、できるだけ楽をしようという考え方では、社会は豊かになる一方ですよ。
    日本人の労働時間は長すぎるんじゃないでしょうか。
    まあ、多くの日本人は労働しか知らないので、暇になると心が荒むというのはありますが。

  2. marug3c6jgj より:

    まあそういう考え方があるのはいいとして、問題なのは「恒常な社会」ってなんなの、そもそも存在するのってことだけど、あ、これリフレのマイルドインフレの話と同じだな・・・

  3. ケット より:

    進歩についての言葉は
    「資源の限界」
    「科学技術進歩の限界」
    という二つの前提を含んでいるのでは?
    地球だけを見ればもう新大陸はなく、石油も限界が見えているように思えます。
    しかし海は広く、石炭はまだ千年分あるともいえます。
    さらに宇宙の広さと資源量は…
    科学技術そのものは?確かに車は空を飛んでいませんし火星移民もまだです。
    でもそれは今後もずっと、パソコンの記憶容量とケータイカメラの画素数以外進歩しないのでしょうか?軌道エレベーターも核融合炉も永遠にありえない夢物語でしょうか?
    生産の限界にしても、世界にまだ冷蔵庫を持っていない五十億がいるのですから、なぜその人たちに冷蔵庫を持たせることを考えないのでしょう?