手厚いセーフティーネットは必要か?

藤沢 数希

多くの経済学者が反市場的な政策をかかげる民主党政権を批判している。筆者もそのひとりだ。筆者は貨幣を媒介とする市場経済というのは、人類が生み出した様々な仕組みの中でも、もっともすぐれたもののうちのひとつだと常々思っている。このことは、悲惨な破滅をむかえた社会主義国家の歴史や、精緻な経済理論を持ち出すまでもなく、日常生活の中で毎日観察できる。競争的な市場の中で生み出されるモノやサービスは常によくなり、そして安くなる。民間企業の創意工夫のおかげだ。一方で政府が生み出すモノやサービスは「お役所仕事」という言葉からもわかるように、非効率の代名詞だ。もちろん警察や国防、環境問題の解決などのように市場だけではうまくいかないことがあることも明らかなのだが。


経済学的にも市場を重視するというのは圧倒的な主流派で、多くの経済学者の提案する政策パッケージは競争的な市場とセーフティネットを組合わせたものだ。もちろん競争的な市場というのは既得権益者にとって不都合なことが多々あり、自分たちの特権的な利益を守るために競争を取り除こうとあの手この手をつくして政治家に必死に働きかける。その結果、多くの経済学者が提案する標準的な政策パッケージが完全な形で導入されることはほとんどなくなってしまう。残念ながらこれら既得権益者の特権的な利益は、多くの国民の薄くて広い損失からきているのだけれど。特に日本では、多くの知識人やマスコミの間でも経済学的な考え方が根付いておらず、そもそも「理想論」としては市場経済を目指さなければいけないという当たり前のことでさえ共有されていないようである。

筆者は市場重視に関しては巷にあふれる標準的な経済学者の考え方に大いに賛同するが、一方でセーフティネットの方に関してはそれほど楽観的ではない。経済学者は最低賃金の規制やきびしい解雇規制は労働市場の柔軟性、流動性を毀損し、かえって失業率アップにつながり、失業者や非正規社員のような弱い立場の人達にしわ寄せがいくと主張する。それは全くそのとおりである。そこで解雇規制を緩和したり、つぶれそうな企業を国が保護することをやめて、労働力が円滑に衰退産業から成長産業へ移動するようにする必要がある。その際に失業者の一時的な痛みをやわらげるためのセーフティーネットを構築する必要がある。特に最近はベーシックインカムのように、国民全てに最低限の生活費を無条件で配るという政策まで議論されている。またヨーロッパの一部の福祉国家のように、何年間も失業給付金を支払い続けるという議論もある。しかし本当にそれほど手厚いセーフティーネットは必要なのだろうか?

結論からいうと筆者はベーシックインカムをはじめとする行き過ぎたセーフティネットには反対である。というのも資本主義、自由市場経済のなかで社会をどんどん発展させていくドライビング・フォースが、実は競争の結果による貧富の格差そのものであると考えるからである。市場に中では競争の勝者が賞賛を浴びる一方で、敗者は惨めな思いをすることになる。それゆえに人々は少しでも勝者になる確率を高めようと必死に努力するし、自分の才能を最大限に発揮できる分野を必死に探すのである。こういった人々の向上心が数々のイノベーションを引き起こし、数多の世界的な企業を創りだしてきたのである。セーフティネットがあれば失敗しても大丈夫というのは聞こえはいいが、これでは市場経済のドライビング・フォースを弱めてしまうのではないか。資本主義、市場経済というのがこれほど成功したのも、そこでの勝者に豊かさを、敗者に貧しさを与え続け、人々を絶えず競争に駆り立ててきたからだ。つまり人々の豊かさへの欲望と貧しさへの恐怖という市場を動かすパワフルなエンジンと、失敗しても大丈夫というセーフティネットという考え方は、根本的に矛盾しているのだ。

確かにビジネスで失敗した者が食べることに困るほど困窮してしまっては問題だろう。自分や自分の家族が餓死するとなったら、犯罪行為に走る他ない。しかし現状では日本で餓死したという人はほとんど聞いたことがない。すでにこのレベルのセーフティネットは日本では十分に機能しているのだ。また失業保険もあり、現状では会社やお役所に雇われている人達には十分すぎるセーフティネットが日本には整備されているといえる。

こういったセーフティネットの外に置かれてしまっている人たちは、そもそも職がなく、またお金もない人々だ。日本の司法というのはどういうわけか一旦既得権を握った者の権利は大いに保護するのだが、何も既得権を持っていない人をまるで存在しないかのように扱う。正社員はそもそも解雇できないし、例え解雇されたとしても様々な金銭的な保証を受け取るのだが、そもそも就職できなかった人には何の援助もない。こういった失業者にとって本当に必要な措置は何だろうか? それは解雇自由化のような大幅な労働市場の規制緩和だろう。既得権者を自由市場という競争の場に引きずりだし、新規参入者と自由に競争させることだ。つまりセーフィティネットではない。

筆者は日本というのは格差があまりになさすぎるのが大問題だと思っている。もっと健全な格差があっていい。そして格差というものは取り除かなければいけない悪いものではなく、社会を発展させる原動力であるというポジティブな受けとめ方をもっとするべきだと思う。

参考資料
競争と公平感―市場経済の本当のメリット、大竹文雄
セイヴィング キャピタリズム、ラグラム・ラジャン、ルイジ・ジンガレス
なぜ大金持ちや大成功した人達が時に社会主義者になるのか? 金融日記
意味のないオルタナティブな社会システムを模索するのはやめにしよう アゴラ

コメント

  1. harappa5 より:

     1、生活保護の受けられる事が、厳しいという話はよくあります。受けられず亡くられたという痛ましい話も、記憶に新しいと思います。それでも、「十分すぎる」のでしょうか?
    2、「格差」を考える上で問題は、格差が子供の世代へ受け継がれる事です。両親の所得が乏しいせいで、高校・大学へ行かせられない人も数多くなるでしょう。そして、低学歴になった不幸な人は、就職口も制限され、才能や資質を活かす事が出来なくなるでしょう。それでも、自分で何とかしろ、と言われるのでしょうか?
     藤沢数希さんの考えには、賛成です。しかし、多分藤沢さんは、(裕福ではないにしろ)例えば、私と同じように、それなりに恵まれた家庭、教育、環境で育った方と見受けられます。しかし、恵まれない環境で育った人間と、我々が同じ土俵で勝負しろ、結果は本人の責任だ、では不公平ではないでしょうか?

  2. heromichi より:

    ベーシックインカムが行き過ぎているかどうかは、所得ゼロでの給付額や、税率次第なので一概には言えませんよね。
    そして、あれを導入しようという動機は、審査の手間を省くためと、現在の生活保護が労働のインセンティブをそいでしまうからではないでしょうか。
    加えて、大竹さんの本にも書いてあったと思いますが、現在は規制によって格差を是正する傾向があり、それが非効率だから、BI等によって市場に歪みをもたらさないセーフティネットを、ということだと思います。
    その意味では、BIは既得権の保護とは対極にあります。

    また、いくら少子高齢化で、退職者の割合が増えるからと言って、労働者の大半に不人気な解雇自由化を、セーフティネットの充実なしに導入するのは政治的に不可能です。

    最後に、「格差社会の衝撃」
    http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4886115144/ohtakesblog-22
    という本に詳しいですが、格差は貧乏人だけでなく、金持ちの健康も害します。
    格差なんてないに越したことはないのです。

  3. wishborn2400 より:

    資本主義の発展云々といいますが、同時に生じた労働問題や
    公害の問題と、それらの問題に対する社会的規制の歴史に
    ついてあまり考慮されていないようです。

    そもそもセーフティネットが十分でないことが問題なのです。
    藤沢氏の論には、拡大した非正規雇用の問題がすっぽりと
    抜け落ちています。
    非正規労働者は、そもそも社会保障制度の適用が緩和され
    ており、なおかつ解雇時の保障もない。
    失業保険?どれだけの非正規労働者にそれがあるのでしょう?
    彼らは会社に雇われていますよ。

    今のままで解雇自由化のような政策を行えば、非正規への
    シフトはさらに進行することでしょう。
    それが許されるのであれば、労働力としてコストが低いものを
    選択するのは市場として当然ですから。

    そのコストには、社会的セーフティネットへの負担が含まれ
    解雇された人々を再雇用の日まで支えるものです。
    それが負担されない雇用を放置しておいて、失業者にとって
    必要なものを云々することなど出来ません。

    そして、そうした雇用環境の不安定化は被雇用者の経済基盤を
    不安定化させることで、少子化等にも影響を与えることでしょう。
    すでに男性の正規、非正規での既婚比率は大きな差が生じて
    います。市場の論理による、社会へのダメージについて、もっと
    考慮がなされるべきだと思います。

  4. ケット より:

    生存権を認めておられますか?それとも弱肉強食?
    最初にそれがあります。
    さらに「最貧家に生まれた天才児も学べる」システムは必要かどうか?自殺せず破産できるシステムは?

    本当にセイフティーネットを否定したらどうなるとお思いですか?
    活気があり経済成長する国か…アメリカがそうだというなら、それは教会のない、フードスタンプ制度すらない日本に可能でしょうか。
    それとも格差が固定され絶望で沈滞し、多くの人材が失われ、治安や社会の「信」、法治も崩壊して腐敗と暴力が蔓延する途上国型でしょうか。

    身分制度を肯定するなら、どのような支えで?
    格差は世襲されやすいので身分制度になりやすく、階級社会は宗教を中心に多くの社会システムがそれを支えています。現在のアメリカ、また伝統的な身分社会ならヨーロッパやラテンアメリカなどが参考になるでしょう。「超自由日本」ではそれは何でしょう?
    さらにグローバル経済と現代技術では「多数の人間」がより安価になり必要性が下がるので、社会運営側である上層階級・それが強い政治はこれまでのように貧民層を世話する必要がなくなっていくのです。

    多くの前提が違うのでしょう。あまりに違いすぎて、こうしてコメントすること自体間違っている気もします。

  5. ケット より:

    私はある程度厚い、それも無条件のセーフティーネットがなければ多数の餓死者・自殺者が出、ファシズムか、社会基盤が崩壊して経済の基盤も失われると思っています。
    現状の生活保護制度には働くよりもらうほうが得で労働意欲を損ねる、補足率が低くある程度の餓死を容認する、もらい始めるのが難しく既得権化し、子供の教育ができないという問題があります。
    これまでの制度ではセーフティネットは会社・地域・家庭に負わされていましたが、それも高度成長だから可能であってそれが止まればどれも機能が失われています。
    特に連帯保証。戦後の混乱期から高度成長期では乏しい資本での起業を助け社会の紐帯も強めた制度でした。
    でも低成長時代では多数の人間を自殺させ、人間関係すなわち社会そのものを分断し、起業をあまりに危険にして衰退産業からの撤退にも抵抗となり、闇に膨大な資源を流す悪夢となっているのです。それをどうにかしない自由化は社会を破壊することになるでしょう。
    労働の自由化も、「いい職自体が少なくなる」という歴史全体の流れを無視し、落ちても生きられる保障がなければ際限なく雇用者と消費者が強まり、みんなが過労死か餓死かでしかないでしょう。

  6. livedoa555 より:

    就職時に身元保証人を求める慣習は、労働市場の発展に
    著しい障害になっている。第三者に保証人を依頼しなければ
    就職できないとすれば、もはや労働市場とはいえない。

    更に、転居時の賃貸住宅契約に連帯保証人を要求される
    ことなど、労働者の地理的な移動が困難な社会的条件の
    下で、労働市場の流動化を図ろうとすると、住居を失う人
    も増加するだろう。

    セーフティーネットは雇用よりも安定した住居の確保に
    重点を置くべきである。安定した住居があってこそ、
    競争原理に基づく流動的な労働市場の発展があるのである。


  7. himalaya8848 より:

     私は、人間は手段として発明した貨幣経済に陥穽しており、その克服こそ経済学の目的であるべきという素人です。

     そもそも人間のダイナミズムは経済格差から生まれるのでしょうか?
     人間の動機には成功報酬の大きさも要因ではありますが、興味を持ちやりたいことをやれる環境のほうが大切なように思います。
     ハングリーから成功する人がいることは稀にあるようですが、むしろ成功している人は、報酬の大きさよりも興味や使命感などではないでしょうか。

     そこには自ずから、教育や挑戦への機会均等のセーフティネットが望まれます。経済的平等が一律的に必要とは考えませんが、逆に一律的格差社会が活性化につながるとも思えません。
     経済学的意見ではありませんが如何でしょうか?

  8. himalaya8848 より:

     私は、人間は手段として発明した貨幣経済に陥穽しており、その克服こそ経済学の目的であるべきという素人です。

     そもそも人間のダイナミズムは経済格差から生まれるのでしょうか?
     人間の動機には成功報酬の大きさも要因ではありますが、興味を持ちやりたいことをやれる環境のほうが大切なように思います。
     ハングリーから成功する人がいることは稀にあるようですが、むしろ成功している人は、報酬の大きさよりも興味や使命感などではないでしょうか。

     そこには自ずから、教育や挑戦への機会均等のセーフティネットが望まれます。経済的平等が一律的に必要とは考えませんが、逆に一律的格差社会が活性化につながるとも思えません。
     経済学的意見ではありませんが如何でしょうか?

  9. nnnhhhkkk より:

     世の中面白いもので、税金や社会保障費をほとんど支払わない人ほど社会保障を求めてきます。しかし社会保障を充実させるには彼らの負担を増やさなければなりません。しかし負担の増加は反対し、社会保障の充実ばかり求めます。政治家も票がほしいから次々とゴネ得が実現し、借金ばかりが積み上がってしまいました。そして彼らは言う。大企業や金持ちから取ればいいと。しかしながら大企業や金持ちほど簡単に海外に簡単に行けるのです。
     ただでさえ法人税世界一、相続税と贈与税世界一で所得税の最高税率も世界で4番目の高さなのに、更に引き上げて財源を確保しろと非現実的なことを恥知らずに言うのが彼らの修正です。そんなことで税収が増えないことぐらい現実を知っていればわかるものですが、論理的ではなく感情的にしか考える力がないからそれが理解できません。
     そんなに社会保障を増やしたいのなら、低所得者層にも税金をかけるしかありません。スウェーデンは所得がどんなに少なくても30%以上の税金がかかり、更に多額の消費税もかかり、それでも医療を受けるのも難しいほどに財源がひっ迫状態ですが、それを受け入れなければ彼らの願いはかなえられません。ようするに我儘で図々しいのです。
     ベーシックインカムも論外です。いろいろ理由つけて非現実的なことを言って正当化していますが、ようするにゴネ得です。社会保障の保険的意味がわかっていないのでしょう。健康的で何の問題もない人達が無条件に支給されたらどうなるかは容易に想像がつくはずですが、感情でしか考えないからわからないのでしょう。いざという時にBIをため込んでおかなかったという自己責任を受け入れて死ねというのなら問題ないでしょうが、どうせ支払えない医療費をなんとかしてくれと言ってくるでしょう。彼らはそういう人種です。

  10. 故郷求めて より:

    なるほどと思わせるコメントが並んでいて笑えました。

    <貧しい家の子が高校・大学に行けない、行けたとしても進学塾や予備校で一流大学に行くノウハウを与えられないから、金持ちの子しか一流大学に行けない。従って、一流企業の正社員となれるのは金持ちの子だけで、その子たちはまた高所得者となるから格差が固定する>

    上の意見に対して、

    ・学歴(しかも入学歴)偏重社会の見直し
    ・正規・非正規の差別的待遇の撤廃
    ・年功序列賃金の廃止
    ・解雇の自由化
    ・終身雇用の見直し

    といった観点から反論せよ。

  11. katrina1015 より:

    筆者のセーフティネットとベーシックインカムの理解が相当ズレているように感じます。
    雇用のセーフティネットを問題にされているかのようですが、ベーシックインカムの導入で社会保障費の一元化あるいは簡素化で、失業保険社会保険制度はなくなるかもしれません。解雇という概念もなくなるかもしれません。
    もう少し、投資、コストという観点からの寄稿お願いします。
    格差は必要か?ですが、格差を認識できる格差は格差ではないでしょう。

  12. deathwalk より:

    福祉至上主義的コメントに幾多反論を感じますが一点のみ。藤沢氏の提唱するようなセーフティネットの薄い社会はファシズムへの道と断ずる意見がありますが、薄っぺらいレッテル張りにしか見えません。

    藤沢氏が提唱する低福祉社会は単なる資本主義というよりも個人主義の毛色が強く、国民があまり国家に頼ることの出来ない世界です。そのような国家を代表する頼りない政府にファシズムの熱狂を感じる国民がいるでしょうか。

    私の意見では、ファシズムとは社会主義のひとつの側面であり、藤沢氏のような個人主義者とは全く相反する概念です。国民はひとつの社会、国家に帰属する限り、平時の最低限の生活は保障するが、大きな代償を要求する、それこそがファシズムの原点ではないですか。誰の思想が国家社会主義の近いか危ういものです。

  13. wishborn2400 より:

    katrina1015さん、
    過去にファシズムが台頭してきた背景を考えれば、ケットさんが
    言われるような危惧もわかるというものです。

    ドイツ、イタリアについては、第一次大戦後の経済的混乱が背景に
    ありましたし、日本においても(ファシズムの概念そのものが、あまり
    確定的でないにしても、まあ一応は天皇制ファシズムという言われ
    方をすることがあるので)昭和恐慌、農村部の疲弊が背景にあった
    わけです。農村部の女子の身売りなどはご存知でしょう。
    それすらも許されていた社会だったのです。
    そして、そうした状況が五・一五事件につながり、挙国一致内閣の
    誕生によって政党政治は終わってしまいました。

    このままの状態が続けば、格差社会の中で低位となった人々が
    ファシズムのような極端な思想に傾倒し、民主主義社会そのもの
    を破壊してしまう結果となるか、出産や教育といった社会の
    再生産に支障をきたすことで、経済基盤そのものが崩壊する
    のではというのが、ケットさんの危惧でしょう。

    ファシズムの定義については色々とありますし、今日において
    第二次大戦前のようなファシズムの台頭がありえるかといえば
    多いに疑問です。その点において、私はケットさんに賛同しない。
    しかし、ファシズムの台頭の背景にあるのは、安心して生活でき
    なくなってしまった多数の人々の存在なのです。
    その状況は現実となりつつあります。

    私はケットさんの危惧に全面的な賛同はしませんが、きちんとした
    歴史の考察に基づくものであって、それに反論されるのはよいと
    思うのですが、薄っぺらいレッテル張りというのは適切な批判とは
    思われません。

  14. aisya96 より:

    市場経済が健全に機能していたのは冷戦構造の中、つまり社会主義という現実の脅威があった時代で、その中において資本主義も自らの修正を図り、労働者の権利保護や所得再分配、福祉といった弱者の権利の保護にも目配りをしてきたからではないか。
    セーフティネットについては、生活保護のような万人のためのものと特定企業の解雇制限や退職金をあえて混同しているようだが、解雇自由化をやれば単に失業者と不安定雇用者が今以上に巷に溢れるだけだろう。労働市場の規制緩和により、正社員以外の雇用を自由化し、さらに労働基準法の空文化でサービス残業を青天井にしたことが、まさに今の惨状の元凶だなんてことは、誰だってわかることだ。
    貧富の格差がドライビングフォースであることは否定しない。
    そして、機会の平等さえ保障すればよく、結果の平等は悪平等ということを言う人もいる。しかし、人間に能力や運の差がある以上、厳密な意味でも機会の平等なんてものはない。
    この意味で、いわば結果の平等を無視した議論というのは、天が定めた能力差という一大身分の下に、低い身分の者は最低限以下の生活でも我慢しろ…といっているような議論である。こうした議論も、貧困層があきらめているうちはそれはそれでよいかもしれないが、ただ、いつか、我慢しきれなくなって、そうした不満が燎原の火のように広がるときがくれば、それは社会の溶解や政治不安に結びつく可能性がある。
    その意味で、格差の放置は「勝ち組」を自認している方々にとっても、長い目で見ればありがたくない結果になるのではないか。

  15. nnnhhhkkk より:

     不思議なことに、リスクを取ったり何も努力もしないで毎日堕落して生きている人ほど結果の平等を求めたがります。ようするにゴネ得です。他人が一生懸命に稼いだ物を奪い取って自分の懐におさめようとばかり考えます。そして他人の足を引っ張る理由を綺麗事に求める傾向があります。格差が広がれば社会不安になって金持ちにもよろしくない社会になるとか嘘ばかりつくのがゴネ得派の人たちです。90年代に格差が広がっても犯罪が減ったアメリカを見れば分かる通り、そんなの嘘っぱちです。その辺の問題は、自由のない封建社会と食糧不足による飢饉なのは歴史を見れば明らかで、格差は何の問題もありません。
     そして何より日本ほど金持ちをいじめている国もないのに格差がひどいなどと言って、更に金持ちを痛めつけようと画策する勢力がいっぱい存在します。社会保障を含めれば日本の法人税は高くないなどと意味のわからないことを言う社会主義の連中の嘘を信じ切る情報弱者が大勢を占め、挙句の果てには金融機関を崩壊させる貯蓄税なんて金融を全く理解していないことを平気で言うおかしな人まで多数出てくる始末。私有財産の大切さと資本主義を全く理解できていないのでしょう。
     ベーシックインカムなんてその象徴です。社会保障の保険的機能を全く理解せず、平等に国民全員に一律に配ればいい。そしてこれは自由主義的考えだとまで言う始末。ようするに金くれと言っているだけのゴネ得に過ぎません。健康的で社会保障をもらう必要のない人にまで無償で配ることが本当によいことでしょうか?BIをもらったらすぐ使うような人が突如大きな病気になった時には医療費を払えなくなりますが、そうなった時にBIをため込まなかったから自己責任。だから死ねとできますか?
     そして働ける健康体なのに無償で現金をもらえたら必死に働くでしょうか?人間社会とは性善説で成り立つと本気で思っているのですか?

  16. 故郷求めて より:

    歴史的に云々という人がいるが、歴史の解釈なんてどうにでもなろうというもの。だから、自由主義経済で負け組の不安がたまったからだという説を否定はしません。

    しかし一方で、社会不安や暴動が起こるのは、格差が固定していた時代でもなく、格差が拡大していた時代でもなく、社会全体が上向きで好況を呈したあとに、右肩上がりの角度がちょっと下がったあたり、つまり成長が鈍化したがまだマイナスに転じていないあたりで起きている、という研究もあります。

    それによれば、暴動や革命が起こる前夜に、下層階級の人は中層近くまで引き上げられているんです。

    日本でも、昭和一桁期はまだ街に商品が溢れかえっていたと聞きます。向田邦子の『あ、うん』でも庶民が千疋屋の青りんごを見て感心するくだりがありますね。

    歴史のひだは奥が深く、何らかの表層的な出来事が何かの帰結になったという保証は何も無い。東北の寒村で餓死する人たちがいたとしても、彼らが東京で青年将校を炊きつけた事実など無いはず。因果関係など後からどうにでも付けられます。

    ただ個人的に思うことは、セーフティネットなしでもし、弱肉強食の弱者にとって地獄のような社会なら、負け組は絶望してファッショに走る意欲など持たないでしょう。ファッショは、その潔癖主義からも想像できるように、かなり余裕のある階級が巻き込まれています。ファシズム台頭の前に、一億総平民のような時代が挟まってるはずです。徹底した階級社会なら、上級者が抑えつけて終わりです。抑えが効かない世の中だから、ファシズムが台頭したんじゃないでしょうかね?