Ustreamが変えてゆく「何か」- 小寺信良

寄稿

AV機器評論家
09年、ネットにおける「顔」は、Twitterだった。まだ今年を振り返るには多少早いが、10年の「顔」はUstreamではないかと思う。

一つのメディアとしてUstreamを見た場合に、多くの可能性があるのは読者諸氏も感じておられるだろう。これまでネットの中心は、文字であった。情報を載せる、探す、コミュニケーションする、これらはすべて文字ベースで行なわれてきた。Twitterでさえ、「その世界」なのである。しかしUstreamをはじめとするネットの生放送は、現時点でメディアとしてはもっともリッチな映像と音声を、しかもほぼリアルタイムで配信する。


新聞、ラジオ、テレビというマスメディアの中でもっとも巨大産業に成長したのは言うまでもなくテレビだが、興味深いことに、三者の中でテレビがもっとも多くのデータ量を消費する。データが多ければその中に含まれる情報量が多いかというとそういうわけでもなく、結構無駄な情報も多い。その無駄も含めてテレビは、未だネットが越えられない唯一のマスメディアとして今もなお存在している。

そのテレビに対するネット側の対抗軸が、Ustreamをはじめとするネット生放送になるだろうというのが、筆者の考えである。多くのテレビ番組、特に民放のプライムタイムがバラエティで占められる中、ネットの生放送でシリアスなテーマの討論がビューを集めている。集めているとは言っても、数ではテレビには敵わない。6万人が見たと言えばネットでは大事件だが、テレビの視聴率に換算すれば、わずか0.1%にしか過ぎない。

しかしその6万人は、その番組を見るべくして見た6万人なのである。Ustreamではテレビのように、漫然と点けているという状態が存在しない。すなわち、そのテーマに対して積極的にコミットする「核」の数字なのである。広く大衆に知らしめることを是とするマスメディア的な考え方では、Ustreamの力は理解できない。

Ustreamの本質を、テレビ的な情報伝達方法のWEB化と見る人もある。しかしWEB化を名乗るには、まだ解決されていない問題が数多くある。その大きな一つが、検索性だ。どんなに番組中でアグレッシブなことが語られようとも、検索では見つからない。これは、莫大な知恵の蓄積を成し遂げつつあるWEBの特性から考えると、甚だ未熟と言わざるを得ない。

その姿はまるで、サーチエンジンが十分に機能していない時代のWEBと同じである。あの当時は、URLを知るということが最大の重要事であった。記事内のリンク、そこから蓄積されてゆく各個人のブラウザのブックマークが重要視されたのも、そのためである。

Ustreamはその時間に放送を見ていなければ、語られる内容は知ることができない。事前に放送時間の情報を知ることが出来なかった人間は、置いていかれてしまう。この問題を解決するためには、まず放送をアーカイブ化しなければならない。

そしてアーカイブ動画の中に、パーマリンクとしてのタグ、キーワードを埋め込んでいく作業が必要になる。さらにはアーカイブ動画と、放送中に投稿されたTwitterのタイムラインをシンクロさせて再構築できる仕掛けもいる。さらには語られた言葉の文字起こしも必要だ。これがなければ、文字ベースのコミュニケーションの中で言葉や論が引用されていかないからである。

映像による情報伝達方法のWEB化という意味では、まだまだ課題は山積している。そこには、生放送という手段を用いたコンテンツ制作法があるだけである。しかしながら、草の根運動や辻説法のツールとしては、現在でも十分に機能している。イベントやシンポジウムを実際に運用し、数千人をリアルで集客するのは大変なことだが、Ustreamでそれらを実現することは難しくない。Ustreamの本質は、生のパフォーマンスを配信することだ。社長や政治家など、パフォーマンスとして「語れる」人のツールとしては、Twitter以上に敷居が低いはずである。

そしてUstreamで語られた生の言葉が長く記録され、誰もが探せば見つけられる時代の到来によって、動画による情報発信は次のステージへ進むことができる。テレビにはできないこれらの世界が実現できたとき、ネットは初めてテレビを越える存在になるだろう。

*なおこれらの考察をまとめた新書『ユーストリームがメディアを変える』(ちくま新書刊)を上梓することができた。お手に取られる機会があれば幸甚である。
(小寺信良)