量的緩和の未来

小幡 績

量的緩和をリフレの手段と見るリフレ派は問題外としても、量的緩和に対する多くの理解は間違っている。

量的緩和の拡大により、金融緩和期待が高まり、国債金利が上昇していることを期待インフレ率の高まりとみなし、これが現実の足元のインフレにいつか反映されるはずだが、それがまだ実現しておらず、さらなる拡大により、これを実現するべきだ、というような議論は、根本的に誤っている。


もし教科書に載っている公式が常に現実にも成立していると考えるなら、米国において期待インフレ率は上昇していると考えられるかもしれない。

政策金利がほぼゼロである状況が維持されたまま、10年物国債の金利が2.5%から3.0%に上昇した場合に、この0.5%の上昇は、国債のリスクプレミアムが不変とするならば、期待インフレ率の上昇と解釈される。ここで為替の減価を考えないのは、米国ドルは基軸通貨であるというより投資における基準通貨という風に言ったほうがいいだろう。もちろん、これを為替の変化の予測と考えてもいいが、そうすると、もうそれで十分に期待インフレの単純な上昇ではないことを示しているので、ここでは、仮に為替への期待が変化しなくても、という前提で考える。

さて、期待インフレ率の上昇でも為替の減価期待でもないとすると、国債金利の上昇をどう解釈すればいいのか。

これは均衡式からは出てこない。

市場が均衡式で決まっていると考える以上、これは説明できなくなる。だから、説明できないことを説明するために、教科書の公式好きな人々あるいはインフレの話をしたい人は強引に、これを目に見えない変数に押し付けて考える。すなわち、期待インフレ率の上昇である。

期待インフレ率は、誰の目にも見えないから、何とでもいえる。したがって、そう解釈することも可能であるが、そうでないと解釈することも可能なのである。では、どちらに解釈するべきか。

米国でも日本でも、物価連動債という債券がある。国債に関してもある。だから、この物価連動債と通常の国債、すなわち利子が物価と連動しない国債と比較することにより、将来の物価の変動に関する市場の見方を抽出しよう、という考え方である。これは絶対水準の差を考えてもいいし、さらにそれ以外の固有の理由により価格がずれていると考える場合には、それぞれの国債の価格(あるいは利回り)の変化同士を比べることもできる。

残念ながら、特に日本の場合は、物価連動債の発行が種類、量、ともに不足しており、あまり確定的なことはいえない。

しかし、一番の問題はデータが取れないことではなく、物価連動債と通常の国債との違いの解釈だ。

それをすべて期待インフレに帰そうとする考え方が間違っているのである。なぜなら、金融商品の価格は常に需要と供給で決まるから、値下がりした(利回りが上昇した)ということは、その金融商品のファンダメンタルズが変化した場合もあるが、需要サイドの変化による場合もあるのである。

そう考えると、国債の下落は、通常の国債であれ、物価連動債であれ、需要の低下による値下がりの可能性を常に考えないといけない。

そして、端的に言ってしまうと、量的緩和の効果というのは、期待インフレ率の変化などという高尚な変数の変化として現れる前に、需要の増加による価格上昇として現れるのである。

したがって、量的緩和の未来は、この需要増による金融商品の価格変動を同考えるかによって決まってくるのであり、この金融商品には、通貨も国債も当然含まれるのである。