私が拙著『電子書籍元年』を上梓して7か月になる。その5月から電子書籍にまつわる状況がどれだけ変わったのだろうか。そう思ってざっと見回しても劇的な変化はないようだ。もちろん電子書籍のタイトルは増えている。端末も増えている。今月になって端末の登場にも拍車がかかっている。
“自炊”派も増えているようだ。今月発売されたソニーのReaderは、通信機能がないので大丈夫なのかと売れ行きを心配していたが、どうも自炊派に支持されているらしい。どうせUSBでファイルを転送するので通信など必要ないということなのだろう。ここがLIBRIe(リブリエ)のときとは違うといったところか。
今年はメジャーな作家が電子書籍を新刊で発行したことも大きな話題になった。京極夏彦、村上龍、平野啓一郎……。いままでの電子書籍は新刊ではなく既刊本ばかりだったので、そういう意味では前進している。しかしだからといって大きく変化したとはいえない。
というのも、前述した作家の作品もそうなのだが、みな紙の本“でも”発刊しているのだ。つまり作家たちは最初から初版印税を手にしているわけだ。『歌うクジラ』は電子書籍の発刊が先行したかたちにはなっているが、この作品は講談社の文芸雑誌『群像』の連載をまとめたものなので、連載の時点で原稿料が発生している。
つまり、紙でも発刊している作家たちが電子書籍も発刊したに過ぎない。では、紙でも発刊できる作家が電子書籍“だけ”を発刊した例はあるのだろうか? 瀬名秀明が文芸系の電子雑誌というかたちで『AiR[エア]』を発刊したが、その発展形として講談社などと組み『BOX-AiR』を発行するそうだ。これも続けられるかどうかを考えると、まだまだ実験という意味合いが強いと思われる。
なぜ著名作家たちの電子書籍だけの発刊がないのだろうか?
答えは簡単なこと。彼らは紙で発刊できるからである。紙の出版社が発刊してくれるのだ。紙で発刊できるので電子書籍だけを出すということは単なる実験でしかない。紙で発刊すれば、出版社が初版印税を支払ってくれるし、電子書籍端末が大量に出回っていない現状、売り上げも伸びる可能性が大きいわけだ。
想像してほしい。あなたのもとへ紙の出版社と電子書籍出版社が同時に「あなたの本を出版したい」と言ってきた。紙の出版社は「定価1000円で初版は5000部、10%の初版印税として発行月の翌月に50万円をお支払いします」と言う。一方電子書籍出版社は「定価600円で印税は30%です。前金はお支払いしませんが、発行以降毎月実売部数から算出した印税をお支払いします」と言う。
本を書くのに1か月かかるとすれば、その間のギャランティとして紙の出版社では50万円を支払ってくれるわけだ。もちろんこれは5000部完売しなくても返金しなくてよい。他方、電子書籍では、もし1000部しか売れなかったら収入は10万円となる。よほどの資産家でお金に頓着しない人でない限り、普通に考えれば、紙の出版を選択するだろう。
つまり、紙の出版社で書籍を発行できる作家は、紙で出したほうがリスクも少なく、販路も多いので、今後も紙での発刊が続くということだ。もちろん先般発刊された平野啓一郎の『かたちだけの愛』(中央公論新社)のように同時に電子書籍(GALAPAGOS版)も発刊するというパターンが増えていくのは喜ばしいことである。出版社が紙と同じように儲けることができるのであれば、つまり定価を落とさず印税率を変えずに電子書籍を発刊できるのであれば、新刊で同時発刊は当たり前になっていくだろう。
過去の電子書籍騒動では、出版社が書店や取次のことを慮って新刊を電子化しなかった。しかし、今年はアメリカの動きや新しい端末の発売、そしてなによりも読者からの要求が大きく、出版社も書店や取次に対して“言い訳”できる状況になってきた。となれば、自分たちの利益を確保できるという条件であれば新刊を電子書籍にして販売することになんの抵抗もないはずだ。
そう、結局のところ、しばらくの間は日本での電子書籍は紙の書籍と同程度の価格で同時発刊というかたちで普及していくことだろう。電子書籍愛読者にとっては、新刊が電子書籍として手に入るだけでも、自炊の手間も掛けずに歓迎すべきことではある。実はこの状況を一変させる可能性もあるのだが、このことはまた次の機会に書くことにしよう。