政策のあり方 北海道の森林の外国人所有

小幡 績

北海道の森林の外国人所有が問題になっている。

ニセコなどのスキー場への投資は、オセアニアなどが多かったことから、ポジティブなイメージで語られていたが、ここに来て、森林の水資源を狙った中国系の投資家が殺到していることがわかると、国家の危機として語られるようになった。

間違っている。

これでは、中国系の人々が言うように人種差別になってしまう。

問題は保有する人の国籍ではない。新しい保有者が何をするかである。


欧米人がスキー場を買ったときには恐怖感がなく、中国系の人々が森林を買ったときに危機感が生じるのはなぜか。

それは国籍の問題ではない。さらにいえば、外国人という問題ではない。日本人であろうと誰であろうと同じで、新しい所有者が、社会に対してマイナスのことを行うかどうか、という問題なのである。

土地と言うのは常に公共財である。なぜなら隣地への影響は直接的にも大きいし、地域の自然環境、社会環境への影響が大きいのだ。たとえば、近くに病院や学校がある場合には風俗店やラブホテルを出店できないことはナニワ金融道でも有名であるが、同じことである。

この場合に、暴力団の所有を禁止するというのがひとつの方法だが、本当に事がそれですむかと言うとそうではない。別の人が名義貸しをするからということではない。風俗店やラブホテルを経営しているのは、普通は、暴力団ではないということであり、もっというと、ごく普通の人が、利益が上がるという観点で多くのビジネスモデルの選択肢の中からそれを選んでいる、と言うだけのことだ。

だから、ラブホテルと風俗店が嫌ならば、それを禁止すればよいのだ。実際の規制もそうなっており、営業してはいけないエリアを決めているのだ。

森林も同じ問題で、中国人が保有することに問題があるのではなく、自然環境を破壊する恐れのある人が所有することに問題があるのだ。

これを防止するための考え方は二つ。ひとつは、所有者により環境破壊をするかどうかを判断し、破壊をする恐れのある所有者は保有できないことにする。もうひとつは、環境破壊をした場合に厳しく罰するということだ。

理論的には後者が最適だ。経済学の定理のひとつ(政策割り当てに関するもの)に、規制したいものはそれに対して直接規制すべき、というものがある。たとえば、貿易では、国内の雇用を守りたければ、価格規制(関税)ではなく、国内生産量を確保するために、輸入量の規制をするべきだ、ということになるが、ここでは、水資源の破壊を防止したいのなら、その恐れのある行為をすべて禁止し、違反すれば厳罰に処すということだ。森林への投資は経済的利益を狙ったものだから、刑事罰ではなく、高い課徴金を課すべきで、そして、実際に重要なのは、取り締まり、すなわち、この規制の運営にコストをかけることだ。

たとえば、井戸を掘るには常に監督庁の許可が必要で、その量も制限される。海底油田を勝手に掘ってはいけないのと同じだ。その場合に、この許可のプロセスが外形標準でできないこと、およびルールの遵守を監督することが難しいから、役人は、このような方式は嫌がるだろう。

これは役人だけではなく、一般の人も同じ発想で、恣意的な判断は不可能で、外形標準でやらないと不公平という意識がある。その結果、所有者の国籍で判断しようということが違和感が相対的になくなり、なんとなくこの方式が受け入れられてしまう。

ニセコのオーストラリア人が良くて、千歳空港の中国人が駄目だという雰囲気になるには、確かに理由もあって、前者は環境破壊をあえて好む投資ではなく、後者は明らかに環境を破壊することによって利益を上げようとしているからだ。

そして、一般に外国人を排斥しようとするのは、よそ者を嫌うと言うことであるが、この感情にも理由があり、それは外から入ってきたり、根無し草であったりする人々は、その社会に対する愛着が低く、その社会を破壊することによるメンタルコストが低いということを察知しているからだ。

しかし、逆に言うと、その土地の人でも土地を愛していなければ、その社会を破壊することは有り、むしろ、その社会でライバルに負けて恨みを持っている場合には、最も強い怨念を持って社会を壊す可能性がある。これは、会社でも同じで、一族内部の争いになったときに、会社はもっとも過激な争いとなる。

だから、千歳空港の隣の土地は安全保障上重要でテロの恐れがあるから外国人には所有させない、と言う主張があるが、これは間違いで、日本人でもテロのリスクはあるので、テロを起こさせないように、そのエリアは、警察などによる立ち入り調査を頻繁に行うようにするだけのことで、その調査の自由度がほかの地域に比べて高くなるようにしておくことが政策対応となるはずだ。

したがって、問題は、個別の事象はそもそも客観的に判断ができないというあまりに慎重なスタンスを改めることにあるのであり、規制すべきものを直接禁止するという政策にシフトしていくための社会と政策決定プロセスのデザインを新たに考えることが最も重要となる。

コメント

  1. hogeihantai より:

    中国人による日本への投資では警戒感のみが強調されますが、将来の日中の軍事衝突を避ける観点からは中国人の対日投資は衝突の抑止力になるのではないでしょうか。現在は日本の対中投資が中国の対日投資より遥かに大きく、万一軍事衝突が起これば中国内の日本の資産は接収される恐れがありますが、中国人が日本に持つ資産は殆どなく日本は対抗措置をとれません。

    不動産に限らず中国人による日本企業の買収が進めば日本の対中外交カードの手持ちも増えるといえます。現在は両国間で紛争が発生した場合、経済的に日本が失うものが大きすぎ、昨年の尖閣事件のように日本は屈辱的な譲歩を強いられます。中国にも失うものを沢山持たせることが日本の国益になるはずです。

    中国人による山林の買収ですが、日中間にパイプラインでも引いて送水しない限りペイしないのでは?材木にしても日本は輸入材に押されて競争力はありません。北海道の山林を買っている中国人は「原野商法」に騙された被害者ではないでしょうか。千歳空港の話は文京町の中国人向け別荘17棟(将来1000棟の計画)のことだと思いますが、これを環境破壊というのならニセコのオーストラリア人向けのホテルやマンションの建設も同じでは?

  2. tktnrmk より:

    私も中国人の水源地買収報道に疑問を感じています。

    多くの報道では「中国では水資源が不足している」、「日本は水資源大国である」と言う事実と「中国人が山林を購入している」と言う事実を半ば強引に結びつけて「中国人が日本の水を支配しようとしている」という結論を匂わせています。

    この結び付け方にも無理があるのですが、実際に水源を支配するには広大な土地を確保する必要があり、山の一部を買っただけで何の影響もないと思います。また水源破壊のようなテロを目的とするなら、ダムに有機水銀をポリタンク1つ分流し込むだけでいいわけですから、山林買収に全くメリットはありません。

  3. haha8ha より:

    >中国系の人々が言うように人種差別になってしまう。
     
     差別ではなく「区別」ではないでしょうか?日本のパスポートは優良であるので日本人の国際感覚が鈍化しているように思います。
     私もアメリカではいつも好意的に扱ってもらい?(と勝手に)感謝するのですが、マイナー国籍にはアメリカ、厳格ですよ。保守の側に立つつもりではありませんが、国籍による区別なしがはたしていいのでしょうか?

  4. srx600_2 より:

    >> # hogeihantaiさん

    中国資本が日本企業を買収したら本社機能を自国に移すでしょ大半のケースでは。武力衝突が起こったとして敵国の資本を接収できる保証、というか法律があるのかが疑問ですよ。法令データベースを調べましたが、”戦争 接収”というキーワードでは同盟国の基地における法律しかありません。
    この手持ちのカードは”ババ”ですよ、国防動員法の危険性を考えると。

    規制すべきものを直接禁止すべきとは最もな話ですが、最近は逆へ向かっていて、東京都の2次ポルノ規制から金融規制・環境規制まで個人や法人を締め付けています。この状況で安全保障上の統制をオープンにしろと主張されても・・・・日本人には自由は必要無いってか?

  5. hogeihantai より:

    >>srx600_2さん

    現在の日本の法律では不可能かもしれません。しかし外国では珍しいことではありません。1979年イランとの関係が悪化した米国は在米イラン資産を接収してますし、2009年にはイランの核開発に関わった北朝鮮二社の在米資産を凍結してます。中国の法律は知りませんが、仮に接収できる法律がなくとも法治国家ではありませんから武力衝突になれば在中資産を接収することは十分考えられます。「それを実行すれば日本も対抗して同じ事をするかもしれない。そうなれば自国の損害も負けず劣らず甚大になる」と思わせるのが抑止力になると思うのです。

    尖閣のことを考え、対中経済依存度を低めるべきだという議論がありますが、私は逆で経済の相互依存度が高まれば、中国も二国間の関係を損なう行動を控えるとみています。現在は日本の方が失うものが遥かに大きいが故に、中国人が日本の資産を所有することを歓迎すべきだと考える次第です。