FACEBOOKに参加すべき理由 ‐ 矢野悠貴

アゴラ編集部

先日ポストに入っていたちらしには、カーシェアサービスのスポット(拠点)が近くに出来たことを知らせるものがあった。特に都心で生活する人にとっては、高い駐車場料金、税金、ガソリン代を負担して車を所有するよりも、必要なときだけ時間借りするほうが確かに経済的だろう。

一方で車というのは、『所有』することに価値を感じられる、際たるものの一つではなかったかとも思う。車は、機能・デザイン・価格・ブランドといった様々な要素を持ち合わせており、その車を選択し所有しているということに、自らのアイデンティティが映し出されていた。


時代は、所有することよりも、様々なサービスにアクセス出来ることが大事になる、シェアリングエコノミーという社会へと移りつつある。

当然、カーシェアサービスには、高級車を扱うものが出てくるだろう。必要なときだけ、安価でメルセデスを乗り回すことが出来るのならば、メルセデスを自ら所有していることの価値は減る。この場合の価値は、他の誰もが持てるわけではないモノを、自分が所有していることで成り立つ『価値』だったのだから。

では、所有の格差で価値が保たれる社会でなくなると、自分の価値は、どこに見出されることになるのか。それは無形の情報だろう。ハードとして何を持っているのかという価値基準から、ソフトとして何を発信出来るのかという基準の変化が起こる。

誰もが発信者となり得るソーシャルメディア時代には、ブログやTwitter、そしてFACEBOOKにおいて、どのような発信をしているのか、そこに価値が見出されるだろう。当然、発信の前段階として、mixiでどのようなコミュニティに参加し、Twitterで誰をフォローし、FACEBOOKで何に「いいね」を押して、情報を入手しているのかは千差万別なわけで、そこが価値の差を生む要因にもなりうる。

日本ではソーシャルメディアにおいての匿名での発信が根強いが、匿名性サービスのもとにおいて発信されたアイデアや、匿名のユーザーで構成されたネットワークでは、自分というものの価値を高めることは難しいだろう。

どんなアイデアを持ち、どのようなネットワークの中で発信しているのか。実名のユーザーで構成されたネットワークに存在し、実名においてアイデアを発信していくことで、自分の価値は高められる。だからこそ、実名制を強制するFACEBOOKというメディアが世界的に成長をしていることにある種の必然性を感じてしまうのだ。
(矢野悠貴 エイベックス・マネジメント)