時計台の静けさ カンニング騒動の日の京都大学 - 宮崎圭佑

アゴラ編集部

私が仕事の都合で岡山から京都に来て、早5ヶ月が経ちます。現在、趣味で始めた研究のため月に数回程度、京都大学で主宰する定期的な勉強会に参加させていただいています。

私は京都大学の出身者ではありません。中国地方にある医療技師養成大学で学生時代を送りました。母校は実務学校で、知識の詰め込み、実習の繰り返しでした。良くも悪くも京都大学の理念である『自由な学風』とは逆の教育風土だったと思います。


ですから私はから京大に代表される『自由な学風』というものに、長く憧れを抱いていました。

私は今、部外者としてですがさまざまな『京大風景』を見ている最中なのだと思います。この4ヶ月を通して私には幾人かの院生を含む同世代の京大生の友人も出来ました。先月、時計台の前でよく分からない左翼系政治活動のビラも渡されました。これは母校にはない新鮮な体験です。

部外者である私は彼らと雑談を重ね、大学における学生、研究生活の話もある程度聞いています。一部の悪い話なのかもしれませんが、大学という本来もっとも若い人のイノベーションを育てなければならない場所が、なにやら閉塞しているのではないかと感じることが多いです。彼ら個々人が不満に思っている内容の詳細については詳しくは記載しませんが、現状噴出しているアカデミックにおける多くの問題を思い浮かべていただければ大体が該当しているものではないかと思います。自由な学風を理念とする京都大学においてさえそう感じる学生がいるという現実に、憧れていた私は少しショックを受けました。

だから私は大学における「自由」について仕事の傍らぼんやりと日々考えていたのです。そんな矢先に今回のカンニング騒動が起きました。

今回のカンニング騒動では、刑事責任の是非や既存メディアの報道姿勢などさまざまな議論が巻き追っているようです。私はこの問題の一番重要な点は、京都大学という長く国家権力と距離を置いていた場所が、ダイレクトに警察を頼ったという点だと考えています。何か大きな変化を象徴しているように感じます。犯罪を肯定している理由ではありませんが、一昔前、暴力行為に対しても自治を貫いていた場所が、2011年現在、受験生のカンニングで警察に被害届を提出した。この変化を凄いと思うのは私だけでしょうか。

受験生が逮捕された日、私は大学側の対応に不満を持っていたある京大生の友人と話してこう言いました。

「カンニングで大学が外部機関にダイレクトに頼るのなら、学生だってセクハラやアカハラに対してすぐ外部機関を頼ればいいの?だってこれが偽計業務妨害なら、悪質なセクハラはただの性犯罪だよ。どうせ大半の大学の学内相談室なんて機能していないのだから」

これは半分冗談のつもりでしたが、私がそう言った後、京大生の友人は「でも、何か大切なものが失われそうな気がするなぁ」と寂しそうに言いました。その感覚も私は凄く分かります。何故かその時、母校の親しい恩師の顔が思い浮かびました。

長年、この国の大学の「自治」はパターナリズムによる庇護関係により支えられていたのだと思います。その自治と表裏一体の関係で閉じた「自由」が存在していたのでしょう。

損得関係なく学問に打ち込むことも、ヘルメットも、何となく許されていた時代の空気があったのでしょう。

当時の京大を含む多くの大学には、言葉で説明できない「空気」が自然と存在したのだと思います。そしてその「空気」を、学生だけなく教員、もしかすると地元警察さえ吸っていたのかもしれません。立場は180度違っても、同じ文脈を共有していたのでしょう。そのような中で寛容で閉鎖的な大学自治が自律的と体現されていたのだと思います。

京都に来ると同時期に、私はツイッターを始めました。多くの学生、院生、若いポスドクの方をフォローしています。つぶやき内容から判断するに、大学に対する不満や、閉塞した状況を嘆いている声が多いように感じます。もしかすると大学と若い学生、研究者達の間で深い溝が出来ているのかもしれません。かつて自然に共有していた空気はもう存在しないのかもしれません。多くの教員と学生の信頼関係もぎこちなくなっているのでしょう。

「無縁」に形容される個への解体が、時代変化が要求する不可避な現象であるのなら、大学における従来の「自由」も時代変化とともに不可避に解体される運命にあるのかもしれません。現状の大学は無自覚にも、その変化の狭間で葛藤しているのでしょう。今までとは違った形で社会に開かれた自由が求められているのかもしれません。今回の騒動の顛末は、私には大学という老象が窒息した空気の中、迷走して叫んでいるように見えました。大学が新しい文脈の中で信頼と自由の息吹を吹き返すことは出来るのでしょうか。

受験生が逮捕された日、炎上するかのような不満がツイッターのTLに流れました。その日、私は吉田キャンパスの時計台下で上記友人と待ち合わせて飲みに行きました。PCの電源を切り、自転車で実際に京大に行くと、そこには静かな工事中のキャンパスがあるだけでした。暴れている学生などどこにもいませんでした。ヘルメットを被って歩いているのは作業員の方々でした。私は深い谷底を見つめるような、奇妙な静けさを感じました。

(宮崎圭佑 言語聴覚士)