経済理論は全く理解出来ないド素人ではあるが、マクロ経済学者の特徴は、「理路整然と間違える集団」だと言う事は確かだと思う。
経済学の究極的な目的が、人類の幸福増進への貢献であるはずなのに、効率を口実に、難解な理論とデータを駆使して、金融界の欲得を代表する議員に経済学者が手を貸し、グラム・リーチ(GLB)法を制定した事が、経済秩序の世界的混乱と異常な格差拡大や租税便宜国を利用した脱税の急増など、人類の幸福に反する結果を招いたことも否定出来ない。今や、経済学の意義を問い直す時期である。
国別の成長率、生産性、規模などの経済統計は沢山あるが、これ等の統計で上位を占める先進国が、国民の幸福度を示すHPIと言う国際指数では軒並み下位に低迷し、米国内の幸福度指数でもネブラスカ、ハワイ、アラスカ、ワイオミング、モンタナなど、経済指数で下位に低迷する州が上位を占めて居る事実は、経済政策のあり方に疑問を持たせる事実である。
漱石が「山路を登りながら、こう考えた、智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」と言う一文で始めた「草枕」の世界は、今でも健在だ。今の経済政策の多くは「学者偏向型経」の典型で、「豊だが住みにくい」世の中を生み出す原因になている。現代社会は「知識・データ」と「常識、経験、知恵」の均衡を見直す必要に迫られている。
経済理論やデータの氾濫は、情報の非対称性を生み、豊富な情報と知識を持った専門家エージェントが、給与や年金に頼る不特定多数のプリンシパルを支配するエージェンシー・スラッグを招いてしまった。知識とアクセスの難しいデータを持つヘッジファンドマネジャーなどは、資金力を駆使して、監督を無しの制度を作り上げ、他人から集めた運営資産の2-3%をフィーとして徴収し、利益の20-30%を取り上げるなど、自分は絶対に損をしない仕組みで暴利を享受している。成功者には、年間数千億円の収入を得ている人物も稀でない。これなどは、情報の非対称を武器にしたモラル・ハザードの典型である。
日本の経済政策当局者は、世界的な論議に積極的に参戦して、本来あるべき経済政策の策定に乗り出して欲しい。その点、先週のウォールストリートジャーナルに載った「日本のバーナンケ、西側の批判に反論!」と題する白川日銀総裁とのインタビュー記事は興味深く読んだ。
経済金融大国の中央銀行でありながら、西側諸国からは軽視され続けてきた事に腹を据えかねたのか、痩身に上品な雰囲気を包んだ学者肌の白川日銀総裁が「バーナンケよ!四の五の言わずに、日本から学べ」とも言わんばかりに反論した。
白川総裁は「日銀がとった、ゼロ金利政策や大規模な株式買取りなどは厳しい批判の対象となってきた。実際は、当時としては前例のない革新的な金融政策であったために誤解されたもので、現在では諸外国の中央銀行が金融政策として採用しようとしている程のパイオニアー的な政策であった。斬新で革新的な政策を大規模に進めて来たにも拘らず、米国を始めとする諸外国は、この政策を無視するか、理解出来ない奇策だと批判してきた。処が、その後の経過を見ると、米国連銀は10年以上も遅れて日銀の政策をそのまま取り入れており、日銀は寧ろ孤独な先駆者であったと見るのが正しい」と述べている。
このインタービュー記事は、これで終わりだと思っていたら、今日(3月9日)のウォールストリートジャーナルには、この続編として、白川総裁への反論を大きく載せた。
白川総裁は海外からの批判に反論した筈なのに、ウォールストリートジャーナルが白川発言に反論を求めた専門家は、浜田教授や岩田教授などすべて日本人であったのが不思議である。
私が知りたいのは、日本の経済学者の反論ではなく、反論の対象になったバーナンキ連銀総裁を始めとする欧米の中央銀行総裁の反応である。中国は勿論、フランス,イタリー、インド等の中銀総裁のコメントにはすぐ反応する各国の中銀総裁が、白川総裁の厳しい反論に何も答えないほど、日本はローカル化してしまったのであろうか?
日本のブランド力の低下と、日本の当局者の多くが、国内の批判には居丈高に反論しても、海外からの批判には沈思黙考する内弁慶振りが各国の無関心に繋がっているのかも知れない。国際社会では、自説の主張が出来ないようでは尊敬すら得られない。
最近、日本の某有名記者と会った際「日本のブランド力が低下し、日本の全盛時には簡単だった海外の著名人との単独インタビューが、益々難しくなって来た。インタビュー結果が日本語だけでしか発表され無い事も、国際人にとってはメリットが少ない事も原因らしい」と嘆いていた。其れにも拘らず、日本の記者クラブが外人を締め出すなどは、自分の首を絞めるような愚策で、これに気がついていないとすれば、日本のローカル化は防げない。
「可愛い動物を、殺して食うな」と言う簡単なメッセージに、科学的なデータで対抗して涙を飲んだ「調査捕鯨」問題でも明らかな通り、今の世界は理論武装だけでは説得できない。「KY」言葉は最近では流行らないが、「SKY」(世界の空気を読む)センスが必要な時代だ。その為にも、日本の為政者は積極的に発言し、センスを磨いて欲しい。今回の白川総裁のインタビューはその点で多いに評価したい。