100年に一度といわれたリーマン・ショック、その2年半後に襲った 1000年に一度といわれる今回の大地震が東北を襲い、日本を震撼とさせています。東京電力の気になる今後の対応が BBCの取材で明らかになりました。
BBCの取材陣は、東電側は今回の災害については、予期せぬ天災が起きたから補償する範囲外であるとの趣旨で発言していました。企業に課される原子力賠償法の上限1200億円での補償範囲内で絞られ、売り上げは5兆円で世界最大の民間電力会社としては、余力を残しての補償になると見込まれます。
ここで、原子力賠償法を見ると、「原子力損害賠償責任、第三条 原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りでない」。このことは、解決後の今後の補償問題の難航が予想される企業態度で、はっきりいえば、これほど大きいから責任はとれない、という回答といえるものです。
それを裏付けるように、30日に東電会長は農作物などの事故による損害賠償については、「国の支援を受けながら、原子力損害賠償制度に基づき、誠意を持った賠償の準備をしている」と話しています。
ここでピーンときました。東電は法律の上限で手を打ちたいのが見え見えです。 国営化より先に法律改正が望ましいでしょう。
2兆円の借り入れを行った東電は多額の損害賠償に備えなければならない。
しかし、請求する側にとって東電の対応は、絶えず憤りを感じるものになるだろう。
なぜなら、彼らは、原賠法をたてに、固く財布の紐を締め付けるものになるだろうと思われるからだ。
原賠法を改正して上限1200億円に加えて、次の一文を加えたらどうだろうか。
損害に対する企業責任は、当該企業の規模によりこの限りではない。
国有化はできるでだけ、先延ばしにすべきだ、なぜなら、国有化は国のデフォルトリスクを高めるだけだからです。
東電は2010年3月期に営業活動によって1兆円のキャッシュフローを稼ぎ、純資産は2兆500億円でした。上限1200億円で済めば、上々の解決とみていると思います。まだまだ支払い余力があります。
・国有化は当分避けるべき
放射性物質の被害は太平洋を汚し、今後、海産物などの損害賠償請求は、日本に求められる可能性大。東電は、当分、民営化の方が、得策ではないでしょうか。なぜなら、国際的な損害賠償は、東電に向かわせなければならないからです。日本に求められれば、日本の国家破綻は、早まると思われるからです。
また、東電の決算書を見ると、日本を代表する専門家が監査人に名を連ねています。かつて、東大総長でもあった彼は、後にコンサルティング会社の理事長も務めています。東電が進めてきた戸別住宅のオール電化 CMにも出ていたと記憶しています。彼はこの困難時に最適のソリューションを提示しないのでしょうか。危機が訪れると亀にならいに甲羅い閉じこもったもまま、科学者、コンサルタントとしての役割を捨てるのでしょうか。これもトップ学者としてこの国らしいとも思います。
Kazuo.Suzuki Journalist&Consultant
コメント
過去の事象に対して、新しく改正した法律を適応するのは、法の不遡及を侵す形になり、法治国家の基盤を崩すことになるのではないでしょうか?ここでもまた、「原則として」という文言を取り出し、例外を認めることを是とするという意味でしょうか?
東電の社債残高が5兆円もあるそうですから、政府としては東電を潰す事は政治的に困難かと思われます。
また、東電経営判陣の重過失を法廷で証明する事も困難ですから、落ち着く先は「1200億円迄」となるでしょう。それに、今から法改正しても、過去に遡及する事はできないでしょう。
重過失については、被災直後の東電経営陣の対応にはおおきな疑問があり、状況の悪化を招いた原因として、個人的には「クロだろう」と思いますが、たとえ検察が入ったとしても、経営陣の重過失を法廷で立証するのは技術的に極めて困難ではないかとも推測します。
なにせ長期の全停電が「設計上の想定外」である事は間違いなく、その状態での緊急炉心冷却は過去に前例がなく、(恐らくは)緊急マニュアルにも載っていない操作であったでしょう。
東電がつれてくる東大の御用学者も、口を揃えて東電を支援するでしょう。それだけの「義理」があるようですから。
石水
日本は法治国家だからなぁ。後出しじゃんけんが、法律的にも有効な訳無い。道義的責任と法律的責任は区別して対応しないと感情論だけではだめだ。
「法の不遡及」が絶対ダメーっていうのは、刑事実体法の時だけですよ。刑事実体法については、憲法39条に「何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。」と定められていて、「事後法の禁止」が適用されるので。
その他の法律の場合は、後法が優先されるので、むしろ遡及するのが原則です。例外的に遡及させないときは、附則に「なお従前の例による」とか「なおその効力を有する」という経過規定を入れます。
「予期せぬ天災」による事故とは大嘘です。外部電源が働いていれば今回の事故は起こらなかった。外部電源を取り入れる鉄塔が地震で倒壊したからポンプもバルブも動かなくなったのです。この送電線鉄塔はわずか震度6で倒壊しています。鉄塔以外の建物、配管、構造物も一部破壊されている可能性も大きいのです。津波は予想外としても中地震にさえ耐えていないのです。
福島第二では凝縮器(コンデンサー)を冷却する海水取水ポンプ(海面上2-3Mに設置)はポンプ室の建屋に守られて津波の被害を受けなかったが、第一ではポンプ室がなく水をかぶって故障した。取水ポンプは現在の様な竪型ポンプでなく水中ポンプを使用すればどんな津波が来ようが平気だった。東電は業者との癒着が酷いから水中ポンプメーカーの入り込む余地はなかったのです。
私も「予期せぬ天災」による事故というのはでっち上げだと考えています。現場職を除いて給与半減、今後相当な期間で見込まれる利益に基づく自己賠償があってその上でそれでカバーできないところがあれば、国家が保証するでないと国民は納得できなでしょう。
あ)異常に巨大な天災地変
で、引き起こされたか、どうか。これが適用されないなら、無限責任が適用される。
福島第2および女川も、津波は受けたが、問題にはいたらなかったし、むずかしいところだと思う。
ちなみに、官房長官は、この免責は適用されないという認識といってませでしたか。
い)あとだしの法律改正は、今回の一件には、効力をもたない。ちかごろのジャーナリストは、これくらいのこともわからずに、パブリックに文章を書くほどなのかね。
sasaoshさん。
アゴラでは、無知の表明は禁止されているはず。
仮に、100歩譲って、事後法により電力会社の責任を加重する法規の制定が合憲だとしても、「後法は前法を排する」という原則は合憲の理由たり得ません。
この原則は、「これから生じる事象に対していかなる法規を適用するか」という場面での問題で、「すでに生じた事象に対していかなる法規を適用するか」といこととは論理的に別問題です。後者が事後法の可否の問題であることは論を俟ちません。
戦後間もない農地改革に関して、これを断行したGHQに対する政治的配慮から、事後法による財産権の内容の変更を合憲とした判例はありますが、この平成の世において、東電憎しの俗悪な感情論に依拠し、事後法によって東電の責任を加重しろと仰る貴殿らは、北朝鮮や中国のことを笑う資格はありません。同じ穴の狢です。
アゴラにふさわしくないものと思料致します。
議論の前提が間違っていませんか?
「原子力賠償法の上限1200億円」というのは、「東京電力が保険会社と、1200億円を上限とする保険契約を結ぶこと」を定めています。
東京電力の賠償上限額ではありません。
東京電力が「原子力賠償法に基づき」と何度も言っているのは、「今回の震災は想定を超えているので、東京電力に非はない、政府が賠償すべきだ」と言っているのです。
被害者に対する賠償額は、上限が定められていないはずです。
現行の法律でも問題ないのではないでしょうか。
”設計上の想定外”を盾にしようとしているようですが、適用されないと思います。
地震は1000年に一度の大地震とは言え、日本に建設している限り”想定内”です。
津波については、海の傍に立てているくせに”想定外”でしょうか。常識的に考えて”想定内”です。濡れて動かないなんて、想定内外以前の問題です。
たとえ、北朝鮮や中国が原発にミサイルを撃ち込んできても、”想定内”です。(戦争が始まれば、真っ先に狙われるのがインフラであり、鉄道網に電力を供給する発電所を狙うのは、当たり前です。放射能を撒き散らすのであれば、尚更です)
何があっても設計上の”想定外”は、あってはいけないものです。
姑息な理由をつけて”想定外”にしようとする東電は、まさに盗殿ですね。
事象が発生してから法律を変えるのは個人的に賛成できません。法律は定めた通りに行われるもの。事情がかわったからなどと、簡単に変えてしまえば法律としての意味がなくなります。もし、変えるにしても問題が解決してからが妥当でしょう。
また、そもそも政府が原発を推進してきた点を考えても東電に批判を一極集中するのもどうなのかな?政府の方針が間違っていたと認めることは国民の多数派が選んだ政党が間違ってたということですし。
原子力賠償責任ですが、東電に非が本当にあったのでしょうか?平時と非常時の状況を同じにしてはいけません。
東電が設備投資をしていたのは計画書で知ってますし、どんな天災にも耐えれる建物なんてこの世には存在しませんし、天災をすべて想定内にできるのであればそもそも地震が起こっても大震災と呼ばれるような被害は発生しないのが普通です。天災は想定内にできないからこそ今回の地震で多くの人が亡くなっているのです。それに女川の方が奇跡的に止まったとも考えられるので基準を女川にするのもどうなんだろ?
私から見ればあれだけ原発を海外に向けても推進しておきながら政府の原発への対応が口ばかりで後手すぎる方が問題でしょう。
というか責任を追及する側にいるのが不自然。
誰が悪いと批判ばかりするのではなく、原発に頼らなければならない現状を踏まえて、どうすれば世の中が良い方向へ向かうか考えていくことの方が大切だと私は思います。
>9
議論の前提が間違っていませんか?
9の方からの指摘があります。これから調べてみますが、わたしも9の方と同意見です。すなわち東電の賠償責任に上限はないはずです。1200億円までは制度的な保障が有効な範囲で、これ以上は東電に一義的な責任があります。もちろん国家にも責任があって、東電をサポートします。
11の方が「東電の非」とか「責任を追求」などとおっしゃっていますが、原子力損害賠償法が定めるのは「無過失責任」と「責任の集中」原則です。したがいまして、東電がいかに誠実であっても賠償責任は東電にあるこということになります。政府には政治責任を追求し、東電には賠償責任を追及するものといえます。
原発に頼らなければならないという自明性はありません。あらゆる方法で、電力を賄うことが可能です。もんだいはコストです。原発事故は原子力のコストを可視化します。これを計算して費用対効果を計算し、割に合うならば続投、割に合わないならば代替エネルギーに交代するしかありません。
ちなみに私は、「原子力損害」を人体への影響に対する被害に限定している原子力賠償法の枠組みに限界を感じています。海外からの損害賠償や国内の風評被害といった産業被害、および防災コストも含めて原子力エネルギーのコストを考え直す必要があると考えます。