著者:ダニエル カーネマン
楽工社(2011-03)
販売元:Amazon.co.jp
★★★☆☆
二つの発癌物質A、Bがあるとしよう:Aによって年間10万人が死ぬが、被害は漸減している。これを防止する方法は簡単で、摂取を法律で禁止すればよい。Bによる死者は50年間に2人だが、最大で数千人死ぬ可能性がある。これを防止するコストは数兆円かかる。死者を減らす政策として、どちらが効果的だろうか?
こう質問されると、誰もがAを禁止すべきだと考えるだろう。しかしAがタバコで、Bが原子力だと聞いたらどうだろうか。タバコはニュースにならないが、原発事故は毎日トップニュースだ。これはリスク管理という観点からは合理的ではない。あなたが男性の喫煙者ならタバコによる癌で死ぬ客観的確率は10%程度で重要だが、放射能による癌でかりに今年1000人が死んでも、リスクはその1/100だ。
しかしジャーナリストにとっては違う。タバコのリスクは減っているので今さらニュースにはならないが、原発のリスクは大きくなったので、人々の関心を引きつけるからだ。このように人間が客観的な絶対量ではなく変化率に反応することを実験で証明したのが、カーネマン=トヴェルスキーのプロスペクト理論である。
普通の人には特に新しい発見とは思われないだろうが、これは経済理論と相容れない。新古典派経済学では、人々は客観的な絶対量を見て期待効用を最大化すると想定しているからだ。それを基準にすると多くの人々のリスク態度は非合理的だが、期待効用を唯一の合理性と考える理由はない。人々の不合理な心理に迎合して「原発は危ない」とあおるメディアのバイアスも、部数を最大化する合理的行動なのだ。
本書は行動経済学の元祖のノーベル賞講演を中心にして一般向けの論文を集めたものだが、英語の読める人は元の講演を読めば十分だろう。
コメント
長い間先生のブログを読んでいましたが、今回は初コメントです。
まず
タバコと原発を同じ秤で測るのは適切でしょうか?
交通事故の確率が原発よりも高いから、原発が安全ですか?
ところで、私の見解では交通事故も原発もどちらも危険です。
そして、交通事故は放射能を出さないし、空気、土壌、海も汚染しません。今回の風評被害で、農水産物だけにとどまらず、観光、ブランド力、日本に対する信頼感まで目に見えないものも大きく損なわれた。長引けば、長引くほど数兆円に上る損害が生じるでしょう。
いつマグニチュード8以上の地震か来てもおかしくない環太平洋火山帯の日本で果たして54基の原発は必要でしょうか?震源地のど真ん中に建つ浜岡原発は果たしてどのぐらいの確率で事故になるでしょうか?
私も経済学を勉強してきた人間で、多少確率論を知っています。しかし大陸型で地震、津波の少ないアメリカで積み重ねたデータは日本で通用するでしょうか?確率は膨大なデータをもとに正しい数字が出るものです。今回原発の事故で明らかに分かったのは人間の無力さです。終止符を打つのに5~10年ぐらいかかると言われ、解明もそれからやっとできる。現に炉心が壊れ、外国からの協力がないと困る。汚水の処理だけで頭いっぱい、再臨界の可能性もある中、私は原発推進などの考え方はどうも理解できません。
元原発の設計者さえ今回の事故を想定しなかったし、制御棒は100%作動しないと明言しています。ギャンブル人生は各自の責任で、タバコを吸うのも自由です。しかし、「国家100年の計」は長いもので、博打ではありません。明治維新時代のエリートたちが100年前に居たから今の日本がある。だから彼らは歴史に名が残る。
今我々も100年後子孫のために長い目で見る必要があります。歴史からも分かるように、一部の国の政治家は「目先の利益」しか見てなかったから国が衰退したり、滅んでしまった。
日本の閉そく感と失われた20年の理由は「発想が貧困」と高度成長期の成功体験が仇になったと私が思います。
株、土地バブルも、不良債権の処理が後手後手なのもIT革命、グローバル化が遅れたのも、全部共通しているのは「目先の利益」「問題を過小評価」「高慢と自信過剰」にある。
そして、ほかのエネルギーがなかなか実用化されず、研究、投資されなかったのは70年代のオイルショックでナーバスになって、「原発政策」があったからではないでしょうか?。
「木を見て森を見ず」が他の可能性を抹殺したのです。ところが、40年前から石油がなくなくと言われ続けているが、、新しい大規模の油田が次々と発見されている。実際、中国は先日また新たにレアメダルの鉱山が発見された。あと200年石油が取れる学説もあります。日本は焦って急いで原発を列島に作りまくる必要がないです。
北欧の国々は深夜営業、残業しないのに経済が回る。大量生産、大量消費せず、しかし生活水準が高い。日本もこれを機に夜中まで営業しているカラオケ、居酒屋。無駄に電源、資源を浪費する自販、パチンコ、タバコは果たして必要なのか考える良い機会と思います。目先の税金、税収の為日本人の「精神」、健康、医療費が消費され、犠牲になったのではないでしょうか?私はタバコを止められた人間です。やめたら、今は吸わなくても平気です。無駄に電気、社会資源を消費しなきゃ、原発やエネルギーもそんなに要らないです。「発想が豊か」であれば、パチンコ、居酒屋に代わる健康的で新しいレジャー、ロボット分野、スマートグリッド、新エネルギーの研究ってビジネスチャンスはいっぱいあります。しかしいつまでも過去に囚われ、原発の輸出しか見えなかったら、他の新しいチャンスが見失うでしょう。
経済理論とは相容れないが、経済における個人消費比率の高まった現代では、景気対策やその評価に、この、「変化率」の理論を取り入れて、金融政策や財政政策に役立たせようという、経済学者の取り組みはないのでしょうか?
原発反対論者でタバコを吸っている人はタバコをやめてから原発に反対しましょう。あるいは原発に反対するのをやめてからタバコを吸いましょう。自らを律しましょう。
当方も初めてコメントします。
変化率は、今回の原発事故の議論には関係ないのではと感じました。
死者を減らす政策としては、タバコのリスクを減らすことが原発のリスクを減らすことより有効と思いますが、原発周辺に住む個々人にとっては、原発のリスクを減らす方が合理的な判断となるのではないか、と考えました。
タバコのリスクは、せいぜい10%の確率で自分「だけ」(さらに、低い確率で家族の1~2名)が死ぬだけです。
一方、原発のリスクは確率が低くても家族、さらには親族一族郎党が全滅する可能性のあるリスクとなります。リスクヘッジの観点では、たとえ確率が低くても、後者を避けるのが合理的かと考えます。
加えて、個々人にとって、タバコのリスクは自分が管理できるリスク(死ぬのがいやならタバコをやめればよい)ですが、原発事故は自分が(ほとんど)管理できないリスクです。
今回の事故は、原発のリスク(家族全滅の可能性、自分で管理できない)を世界中に認識させたために、民主主義国家では原発の推進はきわめて難しくなったように考えます。
原発のリスクは、原発に近い地点ほど増大します。そのため、東京の人間にとっては、原発のリスクは許容できるリスクですが、福島の人間にとってはもはや許容できないリスクでしょう。
同じことがすべての都道府県で言えます。
中央集権の全体主義国家なら全国平均のリスクを減らすことが合理的ですが、地方分権型の民主主義国家では、全国平均のリスクが増大しても、すべての地域のリスクを減らすことが政治的に合理的です。
「日本全体を通した平均的な確率でみれば原発のリスクは非常に低いこと」、加えて、「福島の事故が、東京在住の私にとっては、ほとんどリスクがないこと」を私は理解しています。しかし、このような事故が実際に起こった後では、有権者である私は同じ市内に原発を作る政治家には決して票を入れないでしょう。
原発から漏洩した放射性物質がもたらす内部被曝での死者が、本当に50年間に2人程度であることを祈ります。
ECRRリスクモデルやICRPリスクモデルが誤った理論であることを願います。
そして、池田先生の正しい理論が誤ったデータに基づいて誤った結論を導いていないということを信じたいです。
watakokoさんへ
> 交通事故は放射能を出さないし、空気、土壌、海も汚染しません。
しかし車は排気ガスを出します。光化学スモッグは排気ガスが原因の一つです。ディーゼルの排気ガスがひどいので首都圏で禁止になったのも事実です。自然公園や夏の山で「自然保護」として『マイカー規制』ができる所もいくつかあります。例えば尾瀬など。アスファルトがスパイクタイヤで削られるので禁止になりました。あれも粉塵が自然破壊を引き起こしていたのが1つの理由だったと思います。
それに原発推進派はこう言ってましたよ。原発は『地球温暖化ガス』を出さない。
>タバコと原発を同じ秤で測るのは適切でしょうか?
>交通事故の確率が原発よりも高いから、原発が安全ですか?
リスクの評価手法としては
事故率×被害規模と考えるべきで
どれだけ被害が大きくても、「巨大隕石が~」なんていうのはまさに杞憂です。
費用をかける場合
減少した事故確率×減少する被害/コスト
で判断されるべきで
巨大隕石に備える為に手を打つよりも交通事故に備えて自動車を安全にするほうが低コストで社会の総被害は少なくなると考えられます。
被害の重篤さだけに目を向けて騒ぐのは、隕石の落下を心配するのと同じことになりかねません。
(隕石が落ちたことが無いわけではありません、ツングースカの様なことが大都市で起きれば未曾有の大惨事となるでしょう)
また、環境被害にしても、通常時でも原子力よりも火力発電の方が上回るのは言うまでも無く、事故においても原油流出による環境被害のほうが大きい。
プロスペクト理論をあわてて学びました、といってもWikipediaの説明を読んだだけですが。
私は、次のように理解しました。 原発による発電により毎年2の利得があるとします。 また、 -1000000の損失のある事故が発生する確率は0.000001/年とします。 すると、利得の期待値は、2 + (-1000000 x 0.000001) = 1になります。
しかし、 評価関数を X >= 0 では ROOT(X)、 X < 0では -X**2 としますと、 利得は、 ROOT(2) - 1000000 ** 2 / 0.000001 = -999999.59 になります。
これは、 保険と正負が逆になっており、 一回でも、 大損すると再起不能になる恐れがあるということです。
変化率に反応する、というのは本当でしょう。
原発の報道も、最近は、慣れてきたせいか、何が起きても驚かれなくなってきている。
みんな、これから、「微量の放射性物質」との付き合い方を身につけていくのでしょう。
何事も、「慣れ」ですよ。
タバコ葉に放射能が含まれている!?
もしそうなら、タバコで死ぬ原因は放射能かもしれない。
これが真と仮定すれば、無知から生まれた論理といえる。まだ科学的なリスク発生原因が明らかではないのに、これを思い込んで主観的に真とみなして、論理が組み立てられていると思われる。まず、無知の知を知るべき。