需要の経済における意味

小幡 績

なぜ需要が必要なのか。

それは食っていくためには需要がないと給料ももらえないからか。たとえば、失業保険を10年払い続ければそれでいいのか。高齢者年金が十分にあれば働く必要はないから、結局はカネの問題なのか。

答えはノーなのではないか、というのが今日の議論だ。

震災に結び付けて議論すれば、風評被害にあっている福島には補償金を払えばそれで済むのか。

そうではない。被災地にはカネではなく、仕事が必要なのだ。

私は従来から、社会的政策として失業対策、job creationが最も重要だと述べてきた。しかし、経済対策としても、そして成長戦略としても、雇用が重要であることのもっと深い意味を軽視していた。

なぜケインズが失業を一般理論の中心においたか。それは、この福島の補償問題を考えることによりはじめてわかる。そして、ケインズの一般理論には足りなかったことも福島を学ぶことによって理解できるし、新たな理論を構築するのも福島から生まれることがわかる。

キーワードは失業と動学理論と経済成長である。

コメント

  1. hogeihantai より:

    福島原発の建設とその後の増設にあたっては原発という職場の提供、法人税の収入に加えて国による多額の交付金、東電の寄付が地元の自治体に行われてます。普通の火力発電所意や電機、自動車工場の建設では支払われない種類の巨額な金が自治体に支払われてます。これは電力会社と自治体の双方に原発は危険だという認識があったからと解釈されます。つまり双方にハイリスクという認識があったからハイリターンの利益が地元自治体にあったわけです。

    リターンは全く無かったけども被害を受けた自治体は別ですが、巨額のリターンを手にしていた自治体が被害者として更に巨額の賠償を要求するのは筋違いと思います。原発に一貫して反対してきた住民からみれば賛成した住民は東電と同じ共犯者に見えるはずです。共犯者が被害者のような顔をして納得していたはずのハイリスクが顕在化した時に賠償を要求するのはモラルハザードと思いますが小幡先生は経済学者としてどう思われるか是非お聞かせ下さい。

  2. nyantaro99 より:

    まったくそのとおりだと思います。援助漬けで経済的発展の可能性を失ったアフリカのいくつかの国が思い浮かびます。