本当に映画のように市民はパニックを起こすのだろうか?  - 坪井 久人

アゴラ編集部

1998年ワシントンDC、閣僚の一人がなぜ退職したのかを探っていた若いジャーナリストは彼が常にエリーという名の愛人の話をしていることを突き止め、スキャンダルを疑う。だが、インターネットの調査によりそれはELE(ExtinctionLevel Event:種の絶滅を引き起こすレベルの事象)であると判明。幅10キロの巨大隕石が地球に接近しつつあり、人類を初めとする多くの種が絶滅する危機にある。誰かに打ち明ける前に、大統領との隠密なミーティングの為、政府の工作員により彼女は誘拐される。政府はパニックを恐れ、彼女に取引をもちかけた。

彼らの対策が整うまで発表を控える代わりに、記者会見では彼女に最初の質問をする権利を与えるという取引だ。地球の命運について一般の人々が知る権利を、彼女はおそらくは消える運命にある惑星上の自分のキャリアアップの為に手放そうとして、しかもその選択は承認される。結局、パニックと暴徒的行動が起きる・・・
映画「ディープインパクト」では、放棄された店に火をつける掠奪者たち、食糧と燃料の不足に暴動を起こすモスクワの群衆が描かれる。


果たして、本当に映画のように市民はパニックを起こすのだろうか?
実は市民がパニックを起こした事例は映画の中だけの話で、過去の災害では、ほとんどないに等しい現象だ。
それはオハイオ州立大学災害研究センターを創立したクアランテリが700例以上もの災害を研究した結果、至った結論である。「残忍な争いが起きることはなく、社会秩序も崩壊しない。利己的な行動より、協力的なそれの方が圧倒的に多い」

実際は、映画などでイメージがある「市民のパニック」とは違い、助け合いながら生まれる状況対応能力に優れたコミュニティを生み出す。今回の東日本大震災においても、様々な民間支援コミュニティが立ち上がり、多大な成果を上げていることが記憶に新しいだろう。
一方で、災害時、「エリートパニック」が発生する。
「エリートパニック」とは、コロラド大学の自然災害センターを率いる災害社会学者キャスリ-ンティファニーが提唱した概念で、「エリートは自分たちの正統性に対する社会秩序の混乱を恐れる」ことを指した言葉である。エリートは、壮絶な事態が発生・もしくは発生が予告されると、自分たち以外はパニックになるか・暴徒になると信じ、彼らの想像の中にのみ存在している何かを防ごうとして行動に出る。また、市民が目覚ましい成果を上げ始めた際には、それを阻害する行動に出る。

実際にアメリカでは、エリートパニックにより、例えば、以下のような現象が発生した。
・スリーマイル島では原発がメルトダウンし、閉じ込め機能が30分しか持たない状態を市民に伝えなかった
・911発生直後、ブッシュは市民の助け合いによる目覚ましい活躍と裏腹に、テロの恐怖を宣伝し市民の助け合いや絆を分断。新しく立ちあがったコミュニティの活動を阻害。
また、FEMAや政府が活動を仕切ろうとして、民間コミュニティ・組織と衝突
今回の東日本大震災においても、エリートパニックは同様に発生している。
事例を挙げればきりがないが、そのうちの一部を上げると以下になる。
・福島原発において、パニックを恐れて情報を正確に伝えない、情報を出すのが遅い
・復興会議のメンバーに市民活動で活躍している人々が参加していない(NPO/NGOの分野で一線で活躍している方がほとんど選ばれていない、また、東北で今回の災害で自然発生した市民団体から募集するのも一つだったと思うが、そのような検討はあったのだろうか)
現在でも、「パニックを煽るな」という言説があるが、どんなことがあろうとも「市民のパニック」は起きない。
「市民のパニック」ばかりに集中してしまうことによって、代わりにもっと危険なパニックが権力者に発生していることを見えなくさせてはいないだろうか。
我々がやらなければいけないことは以下の2つだ。
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①どんなに衝撃的な事実があっても、「市民のパニック」は起きないことを前提にすること
-だから、メディアはどんなに衝撃的な事実でもそのまま流すべき。自主規制かける必要はない
②エリートパニックが引き起こしているであろう言説に抵抗し、市民社会が生み出す力を最大化すること
-災害時に活躍する市民をメディアはもっと取り上げるべき。
-そして、最もエネルギーがある災害時から立ちあがったコミュニティを復興のエネルギーに変えるようにすべき。例えば、復興会議に現場で活躍している市民セクターの参加が少ないのは健全な状態といえるだろうか

(坪井久人 charity-japan)